〈アンブレイカブル〉 - 14P



 ぼくはそのまま力説を続ける眞甲斐さんから目を逸らし、アイコンタクトで安藤さんに助けを求めた。頼む、伝わってくれ。そのような祈りを唾棄するかのように彼女はわかりやすく瞳を閉じた。少しだけにやりと笑みを浮かべて。おのれ許さん。この借りはいずれ不意打ちで返す。たった今そう誓った。


「大型情報集合体が実装されて短期間で日本は変わった。けれど未だに俺たちはあれが何なのかを理解できてない。だから反発されている。なんだかわからないものが自分たちと同じ立場で意見してくることへの恐れだ。だから排除しようとアイツら……いや俺ら〈好う候〉は動いている。情報集合体を理解したときには、たぶんもう抗えないという確信めいたものがあるからだ」

 まるで八〇年代の映画に登場する革命軍のような口ぶりだ。眞甲斐さんは大学生のくせにフィクションじみた妄想に執りつかれている。反アバター派の連中はみんなしてこのように、なにかと戦うことにカロリーを割いているのだろうか。


 情報集合体は、その存在の前提として人間との共生を願い出た。分身として役目を果たすために必要不可欠だったクレジットカードの情報やログイン画面のパスワードを共有してもらうために、人間から不動の信頼を得なければならなかったわけだ。そのような知性が、マムが、『支配から逃れたから罰する』という分かりやすい理由でひとりの人間を社会的に抹殺するのだろうか。それは少し短絡的ではないか。ぼくにはその結論に至った彼の気持ちは理解できない。けれど、だからといって議論を避けるのでは今日ここにきた意味はない。


「ではひとつ聞きますが」

 咳払いをしてひとつ。ぼくは彼らに聞きたかったことを、聞く。


「持ち主の意思に背いて自殺する――そんなネットアバターが誕生すれば、それはなぜだと思いますか」

 眞甲斐さんはきょとんとしていた。突拍子もない質問だったのは自分が一番よくわかっているけれど、このタイミングで、このようなかたちでしかできない類のものだ。それに、こんな云い方でも、ぼくにとっては精一杯の言葉だった。彼は案の定、「質問の意味がいまいち理解できないが」と断りを入れてからこう答えた。


「生まれることの意味を問う質問であれば、生じることそのものには意味はないと思う。パフォーマーは、きみの分身となる情報集合体は、そうなるためにそこにいる。なぜ持ち主の意思とは別に自殺するか、という質問なら……いや、わからないな。そんなことがありえるのか?」

「今の眞甲斐さんの話だと、彼ら側の管理を逃れてネットアバターを運用することがマムにとっての罪ということになりますが」

 やはり伝え方に不備があった。ぼくはあらためて説明する。


「自分の知らず知らずのうちに、自分の管理下から外れているネットアバターはどう説明をつけるんですか。あなたの意見を聞きたい。マムが勝手に操っているだなんて云わないですよね。情報集合体は今のところ、人間の暮らしを支えることで市民権を保とうとしている。そんな彼らが悪戯に人間を不安にするようなことはしないはずだ」

 再考する。彼の言い分では、情報集合体を自殺させることの罪は殺すことではなくマムの支配下を逃れることにあるという。では逆に、その人間の分身である情報集合体〈パフォーマー〉が持ち主の与り知らぬ場所で自殺したら、マムはそれをどう受け止めるのだろう。


「帯刀田くんの中の人工知性論に興味が湧いてきたよ。その質問に答える前に俺も聞いておきたいな。きみはマムを、情報集合体を何だと思っている?」

「そうですね……人間は人間で、彼らは彼らだってコトです。ぼくらは未だに情報集合体を人工知性という言葉と同義に捉えているが、かつて人間の手で生まれたってだけで、情報集合体はもはや人工じゃない。彼らの側で勝手に生まれて、ぼくらとは違う文化や思想を持ち始めた。旧い云い方をするなら、人工知性の暴走ですよ。けれどそれによって起きる問題は、たぶん人間の側の問題というよりは彼ら側の問題だとぼくは思う」


 そして顎を撫でてぼくの話を聞く眞甲斐さんに、〈好う候〉のメンバーたちに、悪びれもせずにこう続けた。

「恐れているから抵抗しているとあなたは云った。けれど人間は異民族同士の文化の融合を繰り返して前に進んできたでしょう」

 隣でフラペチーノを啜っていた安藤さんが一瞬ぴたりと止まった気がした。なにか熱い視線を感じる。きっと応援してくれているのだろう。そう思って安藤さんのほうに目をやると、なんと彼女は青ざめた表情でぽかんと口を開けていた。あれ、おかしいぞ。なにか間違えたかな。

「なるほど。きみの見立てでは、俺たち〈好う候〉は白人様に支配されるネイティブアメリカンというわけだ」


 《好う候》のメンバーが揃って眉間にしわを寄せる。ああしまった。そういうことか。こいつら過激派の宗教団体ってことを忘れていた。ぼくの発言は今、暗に彼らの活動を否定してしまったわけだ。


「いえ。人間と同じように捉えるな、と云いたいんです。情報集合体は可視化されている幽霊のようなものだ。夜は墓場で運動会をするが、だからなんだ。互いに文化を持って影響し合っているけれど、いっぽうで互いに触れることはできない。だからぼくらには実害はない。そう云いたいんです」

 安藤さんには悪いがぼくだって引き下がるわけにはいかない。今さら自分の言葉を取り消したり、口にしたことについて謝ったりなんてするものか。このまま話を続ける。論調を崩さずに堂々と言葉を綴り続けることで、かえって自分に勇気が湧いてくる気さえする。


「視えはするが触ることのできない頭のいい種族が人間のかたちを模しているだけ。――ぼくにとって情報集合体はそういうものだ。互いに観察したり話をしたりするだけで、結局は人間は人間でやっていくし、情報集合体は情報集合体でやっていくしかない」

「それは危機的意識が欠落しているよ」と〈好う候〉のひとりが口を挟んだ。何人かが続いて意見するように見えたが、眞甲斐さんがそれを静止した。彼はしばらく「うーん」と口に出して考えごとをしたあと、

「きみはさっき、持ち主の意思に反して自殺するといったが」

 と云った。


「はい」

「……たしかに情報集合体がそのまま人工知性と云い換えるだけの存在であるならば、自殺するネットアバターは単に持ち主が知らないうちに自殺を実行させるプロセスを組んでいた――というだけの話になる。それで納得がいかないから、今のような自論に辿り着いたのか?」

「ぼくは情報集合体を恨んではいるが、同時に縋ってもいる……そんな感じです」

 ならば、と彼は返す。


「自殺する分身が現れたら、それはもう直接そいつに聞くしかないんじゃないか。俺たちには想像の及ばないことだ」

「どうでしょう。彼らは持ち主がわからないことはわからない」

「きみの考えを基にするなら、アバターはアバターの意思で死にたいから死んだ……と云いたいが、それでは間抜けすぎるな。うーん。どうしてだろうね。なあ帯刀田くん。はっきりと聞いてしまうが、きみは――」

 ぼくを見る眞甲斐さんの眼が一瞬だけ細くなった。それは哀れみにも似た表情だった。ぼくが俯く寸前、彼はニコッと笑みを浮かべて云った。

「いや、いい。面白い意見を聞かせてもらった。おいで、代わりのドリンクを買おう」

「でも……」

「それくらいのお礼するさ」

 

 ぼくらは席を立って、スターバックスのオーダーの列に並んだ。客たちは皆、だれのことも気にせず自由に喋っていて、いつもの喧噪があった。云われるがままについてきたぼくは無表情でそれを見つめながら、眞甲斐さんの真意を探ろうと横目で彼を見ていた。

「きみは一度児童相談所に行くといい」

 ちょうどそのとき、眞甲斐さんはそう云った。

 ぼくは、さっき彼が目を細めたあの一瞬のうちに、すべてを悟られていたことを知った。

「あなたは……」

「でなければ大人になってカウンセリングに通うことになる。その意味はわかるよな」


 彼はどうやら、ぼくの質問に明確な答えを示さないまま、その裏にあるぼく自身の事情に気づいたようだった。安藤さんを含むほかの人たちは違ったのだろう。少なくとも眞甲斐さんはそう判断して、彼らの前でぼくを辱めることのないよう、ふたりきりになることを選んでくれたらしかった。


 ぼくは訊いた。

「眞甲斐さん、本当に〈好う候〉の人なんですか」

「どうしてだい」

「ああいう連中にある、ぶっ飛んだ頭の悪さがあなたにはない。ぼくの話をああも簡単に理解できたのは、あなたのなかにもぼくと似たような考えがあったからじゃないかなって。そんなあなたが反アバターを主張する意味がわからない」

「はは、こうなる前の社会にだって、流行りでデモを起こすヤツらはいたもんだ」

「自ら衆愚に浸るほど追いつめられてもいないでしょう」

「ありがたい言葉だが、きみだって自分が理解できないものを知性欠如とみなすほど年寄りではないだろう。あれはあれでちゃんと意味があるからやっている」


 オーダーを完了してドリンクを待っている間、眞甲斐さんはにこやかだった。

「帯刀田くん、進学は伊ヶ出大か?」

「ええ。たぶん……」

「それはいいな。俺も院に進むと思うから、きみが来るころは大学生の嗜みってやつを教えてやるよ」

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