〈アンブレイカブル〉 - 13P


「念のため云っておきますが、パフォーマー同士のリンクに用いるのはアングラから落としてきた違法アプリです。反アバターのみなさんには、それが合法であれ違法であれ気にするようなことではないと思いますが――」


 この手の話は映画泥棒のコマーシャルが有名だけれど、違法ダウンロードはずいぶんと曖昧なものになった。マムがそれを禁止していないからだ。今の日本の法律は人間側と情報集合体側のふたつによって成り立っているけれど、これに関する違法性を説いているのは人間だけだ。映画の著作権が侵害されても、それは人間たちで罰してくれ。彼らはそう云いたいらしかった。マムに嫌われる悪さにも種類がある。それを理解しているからか、安藤さんはなんの恥ずかし気もない様子でぼくらに複製したアプリを送った。


「公の場でこうも堂々と話すとはね」

 ぼくは半ば呆れながらそれをインストールする。


「モラルはその文化に対して協調性を示す人たちのなかで意味をなすものです。パフォーマーを殺そうとするわたしたちに、それを聞きますか。それに本音を云うと、わたしが今日ここに来た理由はこれです。情報集合体の集団自殺には前々から興味があったのですが、今まで実行できそうな人たちが見つからず困っていたのです。そこで〈好う候〉の集会ならばと思い、参加しました。利用するかたちになりますが、利害一致ということでどうか」


 ぼくは口元に笑みを浮かべながら、どうしてか妙な違和感を抱いていることに気づいた。安藤さんは自殺共有についての説得力を持たないまま、彼女のパフォーマーはただ「やればわかる」と云った。〈墓石男事件〉であれほどの理知性を示した彼女にしてはやけに行動が先行しているようにも見えた。あのときの、言葉巧みにじっくりと犯人を追いつめていく彼女の表情は余裕と嗜虐趣味に満ちていて最高だった。


「面白そうじゃないか。やってみよう」

 少し考えた素振りを見せて、眞甲斐さんはこれに同意した。ほかの〈好う候〉のメンバーもアバター生成を開始。パフォーマー化に入る。彼らは、自分たちが今、殺すために分身を生んでいるということに対してどう捉えているのだろう。その気持ちはわからないけれど、ぼくにはどこか滑稽でならなかった。安藤さんはといえば、彼らが準備している間に追加の注文をしに行った。パフォーマーを使えばいいものを、わざわざ席を立ったのは気持ちに理由があるからだろう。ぼくだって知らない人だらけのこの席に、少し居心地の悪さを感じている。


「しかし難しいものだね。情報集合体殺しというのは。やったことはないが、人を殺すのと同じくらい面倒だ」

 眞甲斐さんは肩をすくめてそうぼやいたあと、「〈煤木理論〉でもあれば話は別だがね」と付け加えた。

「やはり反アバター派の人たちは〈煤木理論〉を欲しがるものなんですか?」

 ぼくは訊いた。


「どうかな。中にはそういうのもいるけどね。……でも俺はむしろ手にするべきじゃないと思ってるよ。〈煤木理論〉を手に入れれば大型情報集合体がそれを感知する。そうなれば秒で社会から抹消されるだろう。帯刀田くんが云ったブルー・ウェール・チャレンジの実行者のようにね。俺たちはパフォーマーだけじゃなく、ネットアバターそのものを持たないことで互いにある種の仲間意識を感じてはいるけど、本気で支配者に抵抗するならむしろアバター技術は失くしてはいけない。妖精を見るには妖精の眼が必要だからな」

 その引用をしたり顔で話す人間を初めて見た。けれど嫌いではない。

「だから思うに、俺は〈煤木理論〉は人工知性を殺すというよりは、社会に於ける人工知性と自分の関係を断絶するために使われるようなものなのだと思う」

「詳しいんですね」

 安藤さんがソイ抹茶フラペチーノを手に戻ってきた。

「そうかな?」

「ええ。そう思います」

 眞甲斐さんはぽりぽりと頬を掻いた。まんざらでもない様子だった。


「こんな噂を聞いたことはないか。〈煤木理論〉公表時の煤木のネットアバターは、今もこのネットのどこかに漂っているって――」

「まさか」

 ぼくは苦笑したが、安藤さんはフムンと視線を落として考えていた。ほかのメンバーも黙って眞甲斐さんを見ている。なんだこの空気。ちょっと恥ずかしいじゃないか。


「帯刀田くん、おかしいと思わないか。人工知性を死に導く文法。煤木はアバターを介してそれをマムに見せようとした。だから前提として当然、煤木のアバターも存在することになるが……では彼の分身は今どこにいるんだ。マムが抹消したのか。あの件で煤木はマムから完全に見放されてはいるが、仮に〈煤木理論〉が世間で云われているようなものであれば煤木のアバターを削除するということはマム側の主張と矛盾している」

 ぼくは答えられなかった。煤木のアバターをどうしたかということについては、支配者のみぞ知るところだ。今の時代の裁判は本人と分身の主張を、それぞれ人間と情報集合体の両者の立場から見る。人間の側の法律によれば煤木しげるの裁判はやはり相当長引いたらしいとは聞いていたけれど、一方かなり早い段階でマムがアバターを取り上げたのは確かだ。それが原因で煤木は自分の本を電子化できなかった。ぼくは権利問題には詳しくはないけれど、その後は彼の娘が代理で電子出版しているというのは多々良田さんとの会話でもあった。


「それにもうひとつ。ずっと気になっていたんだが、恐らく〈煤木理論〉の危険性は単に人工知性を殺すことにはない。あれを人間の立場に置き換えた場合は殺人文法になるが、だからといって情報集合体にとってそうであると考えられることじゃないだろう。これは例のブルー・ウェール・チャレンジの彼にしたってそうだ。親アバターは削除されたと聞くが、彼らのいう『削除』を俺たちが『処刑』と同義だと解釈しているだけで、もっと違うものなんじゃないかと思っている」

「実際にアバターが消去されれば、それは死でしょう」

 ぼくは眞甲斐さんの目をみて云った。

「死か。ではそのあとはどうなる。ネットのなかで火葬されて、灰になって空にでも飛んでいくのか」

「それは……」

「きみのいうアバターの死は、俺たちが日ごろからやっているような単なるデータの削除じゃあない気がするんだ」

 眞甲斐さんは身を乗り出して、ぼくにぐっと顔を近づけた。

「ブルー・ウェール・チャレンジの犯人はマムに嫌われた。情報集合体が同胞を殺されたことに怒っているからだ――本気でそう思い込んでいる者もいるが、俺の考えではちがう。自分のネットアバターを自殺させる、その罪の所在は殺したことではなくマム側の管理を逃れたことにあるのではないか?」

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