〈アンブレイカブル〉 - 8P

 家を出て、自転車に乗って駅に向かう。電車に乗って三十分ほどして伊ヶ出駅で降りる。土曜日の朝、そこそこの数の利用者たちがホームを歩くなか、券売機で精算処理をするのはぼくひとりだった。みんなパフォーマー経由で仮想通貨から支払う。切符を使ったのはぼくと大学生がひとり。彼の鞄には、黒いひし形のなかに小さな赤い点の入った刺繍があった。それは〈好う候〉のマークで、彼は反アバター主義運動の大学生らしかった。大学生はぼくを見ると、同志を見つけたといわんばかりに「うんうん」と頷いた。

 ぼくは拳を握った。勘違い野郎め。


 改札を出て、駅前にあるマクドナルドに入る。ぼくはハンバーガーが好きだ。朝食を食べたにも関わらず看板を見れば腹に入れたくなる。店の窓から、向かいにあるスターバックスの行列を眺める。こんな時代でもコーヒー店やファスト・フード店はまだ普遍性を獲得している。伊ヶ出市のマム――プラウダーは市民の健康管理にはそこまで厳しくはない。とりわけ食に対してはおおらかだ。彼女は道端に落ちているものを食べたところでパフォーマーとその市民に警告をすることはない。ただしそれによって食あたりを起こした場合は、その人の状態に適した医療機関の情報をパフォーマーに伝える。そして分身が医者に行くべきだと云って、本人が行くかどうかは自由意思に任せる。つまり肥満や高血圧、糖尿病になろうが支配者によって食制限を課せられる心配はない。その結果、寿命を縮めることになっても彼女は市民権を剥奪するようなことはないだろう。


 けれどパフォーマーにブルー・ウェール・チャレンジを行った市民に対して、マムは厳重に処罰を下した。市民の健康状態には驚くほど疎いくせに、アバターの代理自殺には神経質だ。この違いはなんだろうと考えてみるものの、ぼくにはわからなかった。

 母さんには嘘を吐いたけれど、今日、ぼくはブルー・ウェール・チャレンジを研究している〈好う候〉のメンバーと会う約束をしている。数日前、あの組織に所属する黒御影先輩から聞いた情報によると、ここ最近の彼らの議題は「アバターを自殺させる方法について」らしく、ぼくはたいへん興味を引かれた。プラウダーにバレずにアバターを死なさせる方法を、彼らは探したいらしい。もし彼らのなかに、ぼくが探しているあの現象を解決できるかもしれない人が現れたら、そのときはぼくのパフォーマーについて打ち明けてもいいと思っている。


 向かいのスターバックスに並ぶ人の群れに、見覚えのある後姿を見つけた。

 安藤さんだった。


 安藤さんはぼくらと同じ伊ヶ出高校の一年生で、偏差値の高い高校からの編入生だった。先生たちの期待に応えるように学年トップの成績を誇る。おまけに小柄な姿に似合わずテクノスポーツのエースとして活躍し、完璧を地で行く少女である。

 あるとき、ぼくは彼女が使う競技用のウェアラブル・デバイスを見せてもらったことがある。流れ星のエンブレムが刻印されている彼女専用のデバイスは、美術部とテクノスポーツ部の部長を掛け持ちする黒御影先輩によりデザインされたものだ。中学のころから、テクノスポーツの才能を開花させていた安藤さんは他校の生徒から〈シューティング・スター〉と呼ばれ恐れられていたと聞く。


 実に羨ましいではないか。ぼくだって写真部の部長としてなにかスタイリッシュな異名がほしい。「タテワキ」というあだ名には辟易している。ここらでマンネリを解消したい。一に由来するのがいい。メビウス・ワンとか。ジェームズ・ワンとか。


 とはいえぼくは怠惰で天邪鬼。一八六センチの身長だけがやたらと目立ち、学校生活のなかでは紙と筆で時代遅れのアナログな勉強方法をするだけの個性しか持ち合わせていない。月に一度の部長会議では、ほかの部の部長から「幽霊部員だけのお通夜部長」などと不名誉なあだ名で呼ばれる始末だ。いっそのこと本当に心霊写真でも現像してやれば目にもの見せられるだろうか。会議で除け者にされたぼくは居心地が悪く、厭になった。後日その部長が彼女さんと並んで歩いているところにお邪魔した。ちょっとしたトラウマを添えて。


「まいったな」

 それがきっかけで現在、ぼくと安藤さんは少し気まずい仲である。

 ぼくらは人知れず対立している。。

 その彼女が、よりによってスターバックスに入ってしまった。胃が痛い。例の〈好う候〉の集会が、これからあの店のなかで始まるのだ。一通りメンバーの容姿を把握するためにあえて監視しやすいこの場所から様子を伺っていたのに、安藤さんの出現により身動きが取れなくなってしまった。友人の多い彼女のことだ。ぼくが反社会的組織の集会に参加していると知ったら。考えるとぞっとする。云い振らすかもしれないじゃないか。学園内の情報網は油断ならない。瞬く間に噂は広まり、ぼくの学校生活はより深い影を落とすだろう。


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