〈アンブレイカブル〉 - 6P

「知ってる。シュガーレス・プロジェクトって名前の本があっただろう。面白い作品だった。当時すごく話題になったよな。1984みたいな黒色の表紙でさ、突き放す感じがするくせに中身はエンタメ性が強くて、マニアックっていうか、頭のいいオタクが書いた文章っていうかさ。そういうトコが好きだった。中でもオチが――」

「最後に人類から糖分を奪う」

「そう。厭な世界だよな。それが二冊目のガラモン・ソングに続くっていう」


 しばらく多々良田さんと煤木作品について話した。彼の出したオリジナルの長編は「シュガーレス・プロジェクト」「ガラモンソング」の二冊のみ。あとは短編集やエッセイ、それとゲームのノベライズを担当して、それ以来、彼は消えてしまった。印象的だったのは「ガラモン・ソング」のあとがきで、自分に娘が生まれたことを書いていたことだ。煤木の書く小説の世界観は常に不条理で暗く、登場人物には現実の人間が持つような人間味がない。淡々としているというか、感情に乏しい印象を受ける。けれど、そのあとがきに滲み出た素の文章――煤木自身の人間味にぼくは惹かれた。


『自分の名前を娘に捧げるなんて、奇妙な感覚です。自分の人生を渡してしまうような。しかしペンネームは、いわば作家である自分を取り繕うための仮面だ。この仮面は私自身よりもよほど価値がある。愛しい娘よ。わたしの仮面の半分を、いや、それ以上を、きみに。きみがこの先も生きていけるように。――愛している』


 数年後。煤木の娘は、電脳化の際に脳の一部を損傷した。

 彼女は自分の脳に情報集合体の入った装置を取りつけることで、普通の人間と同様の生活を送っているらしい。けれどそれは、人間というよりはマン・マシン・ハイブリットだとぼくは思う。どこからどこまでが人間で、どこからどこまでが情報集合体なのか。その境界線は、現実世界の自分とパフォーマーの自分を有するぼくらよりも曖昧だろう。


 そのことが煤木自身のなにかを変えたのか、彼はそれ以来、作家を辞めた。

 犯罪者になったのだ。

 だからある意味で――いや悪い意味で、煤木しげるは日本一有名なSF作家だ。

 名もなき民を生んだ男。アとウから始まる三文字の苗字が消える。その原因を作ってしまったのは、ぼくが愛したひとりの小説家だった。そして今ではだれかの父でもある。


「電子書籍といえばさ、ネットで読める煤木の本はすべて娘さんが代筆した本らしい。けれどぼくは未だにあの件、巧妙なネット・ロアだと思ってる。大体、あるのかどうかすら怪しいぜ。〈煤木理論〉なんてさ」

 多々良田さんは「そうかしら」とつぶやいた。それからまた少し、彼女とは煤木の小説について熱く語り合った。ぼくらはあくまで内容のことについてだけ話し、作家のあとの煤木のことには一切触れなかった。


「ぼくはそろそろ帰るよ。さっきも云ったけど、部室のことは好きに使ってくれ。どうせぼく以外にはだれも来やしないんだ」

「あら。だったらもっと話してけば?」

「生憎だけど明日は用事があるからさ。その準備だ。それに、文芸部の手下どもといっしょに備品室を探すようなことはしたくない」

「残念ね。けど少し女子におべっかが使えるようになりなさいな。でないとこの先、生き辛いわよ」

「きみだって高校生だろ」

「あら。あなたよりは大人よ」


 ぼくは写真部をあとにした。その後、美術部に立ちより、親友と少し談笑してから帰った。校門を歩いてしばらくして、何台かのパトカーとすれ違った。一瞬どきりとして、足早に帰路を歩いた。


 その晩、帰宅してからアバター生成を続けた。

 パフォーマーの基になる情報集合体・子アバターとコミュニケーションをしていく。個人情報となる分身を持たないぼくの場合も、マムのなかには親アバターを作っているため、生まれた段階で分身もある程度はぼくのことを知っている。親アバター作成時や、前回パフォーマーを作った際に記録したぼくの情報は、彼ら経由でマムに記録されているだろう。ぼくの分身はまずこう質問した。「好きな子はいるの?」と。そのあとは好きな食べもの。印象に残った映画。最近会った出来事などを分身に聞かれる。代替悟性を経て現在のぼくの分身=最新情報を更新したパフォーマーに成長する。


 さて。短い時間だけど少し会話しよう。分身くん。なに、会話自体に意味はない。

 それに愛着もない。

 きみは、どうせ明日の朝には死んでいる。

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