〈アンブレイカブル〉 - 2P

「タテワキくん」

 だれかが呼んだので、ぼくは振り返る。夕暮れどき。午後四時四十五分の写真部。濁った眼をした文芸部の部長――多々良田渚央 たたらだなおがそこにいた。

「お邪魔だったかしら」


 その瞳は到底、生気というものが感じられなかった。奈落のような瞳で感情のこもらない物言いをする同じ学年の女の子。それが多々良田さんである。

「逆だ。ナイスタイミングだよ。ちょうど今、パフォーマーにぼくの名前について教えていたところだから」

 彼女は短く「そう」と答えて辺りを見回した。生まれたばかりで可視化されていないネットアバターは、持ち主以外には感知が難しい。アバターを作り直した経験のない人にとって、これは忘れがちな基本知識である。


「まだ見えないのね。学校でアバター生成してる人、初めて見たわ。今日が誕生日になるのかしら」

「何回目の誕生日か当ててみるかい」

 ぼくが自嘲するように云うと、多々良田さんはイエスともノーとも答えず、少し間を置いてから「ありがとう」と云った。

「部室を貸してくれるんでしょう。そのことでお礼を云いにきたの」

「別にいいよ。恩を売っておくといいことがあるかなと思って」

「いい勘してるわね。半分だけ」

「恩を売ってもムダってこと?」

「わたしは恩を売るべき人だけど、返すとは限らないわよ」


 彼女は淡々と答えた。多々良田さんはものごとをはっきり云う性格で、凡そ人情というものを知らない。入学当初、まだ入部して間もない文芸部で先輩部員たちの書いた小説をぼろくそに非難し、現役高校生作家という最高のステータスを武器に短期間でサークルヒエラルキーの頂点に君臨した。そんな彼女とぼくのような一介の日陰者がこうして対等に話ができるのは、ぼくらの共通の友人でありぼくにとっては十年来の腐れ縁である厄介な幼馴染みが、バター抜きのクッキーみたいにぱさぱさしたハートを持つ多々良田さんの気を惹いているからだ。その悪友が彼女とぼくを引き合わせた。


「けれど、この部室でなにをするのかは気になるね」

 そもそもぼくが入部するまで物置になっていたのがこの写真部だ。

 点眼タイプのナノマシンを眼に差せば、パフォーマーの視ている景色や情報が網膜に投影される。パフォーマーの眼を借りて校内を歩けば、その教室には今、だれがいるか。何人いるのか。なにをしているのか。そういった情報まで電子文字でアシストし 教えててくれる。なのにどうしてか、校内にいるパフォーマーを含む情報集合体はこの部室だけは認識しない。写真部の部室の前に立っても、だれもいないことになる。要するに開かずの間だ。


「いつもだれかが来るのを待っているんだぜ。古畑任三郎ごっこだよ。きみが来るのを待っていた――そう云うための準備をしていたのに」

「この部室がやけにじめっとしてる理由がわかった。あなたの涙で地面が濡れてるからね」

 この時間に気取った言い回しをしたくなるのは、どうやらぼくだけではないらしい。多々良田さんは少し呆れたように腕を組んで、ぼくにこう尋ねた。

「タテワキくんは、〈改奇倶楽部〉って知ってる?」

 ぼくは首を横に振った。「なにそれ」

「この伊ヶ出高校にかつて存在していた、非公式サークルの名前。当時はこの写真部を拠点にしてたみたいよ。だから――」

 あながちぼくと無関係というわけでもない。そう彼女は云いたかったようで、少しこそこそと秘密の倶楽部について話してくれた。


 改奇倶楽部とは、多発するネット・ロアや都市伝説を独自に調査し、必要があればねつ造や改ざんをも企てる、たいへん迷惑なオカルトマニアたちが結成した組織である。曰く、そのはじまりは岐阜で行われた口裂け女の撲滅運動にあり、それから代々続き、第二次オカルトブームが流行している現代でも人知れず暗躍していたものの、つい昨年に突如として解散。理由は不明。表向きに掲げていた写真部の看板も先代部長が自ら引っぺがし、登山部が開いたキャンプファイア教室で薪代わりに使われるという無残な最期を遂げて以来、その名を口にする者はいなくなった。そのため関係者全員が卒業した今となってはその存在を知る者も少ない。


 以上が、多々良田さんの説明によりわかった事柄である。なるほど。初日から写真部を掃除する羽目になった原因がわかって少しだけすっきりした。

「廃部になる直前まで〈ペルソナ殺し〉を追ってたらしいのよ」

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