〈アンブレイカブル〉 - 1P
名前を間違えられることには慣れていた。
ぱっと見て何がなんだかわからないような難解な作品というものは、鑑賞者に考えさせる時間を与えるんです。だから印象に残るのですよ――と。
この言葉を明後日の方向に解釈したホテルマンの父と、自分の息子に一という字を入れたがった母が夜通し話し合った結果、このような名前になった。「一」は文字通り一等賞に輝く者の称号。あるいは一番手。つまり優秀で新しいもの。先駆者になりなさいということだ。「麻」という文字には頑丈とか、生命力という意味合いがある。なるほど。いい名前じゃないか。これでイチマと読むのでなければ。
これがぼくのルーツだ。どこの馬の骨とも知れない近代芸術家の、くそしょうもない発言によって、帯刀田一麻という少年は毎回この話をしなくちゃいけなくなってしまったってことだ。
親の期待に応えたかを聞かれれば、素直には頷けない、今日の我が口癖は「厭になるな」「まいったな」「キビシイな」だ。活力の欠片もない。さらには自分以外は全員幽霊部員の〈写真部〉部長で、最初に撮った写真は埃まみれの部室だった。それをひとりで掃除し続けた孤独な日陰者がぼくである。
だからぼくは名前を間違えられないよう、自己紹介のあとにこう付け加えるのだ。
「イチマです。タテダイチマ」
一度だけ「なんですかそれはジェームズ・ボンドのパクリですか」と返されたことがある。
それ以外は大抵皆、こう返す。
「あなたはどうしてアバターを作らないんですか?」
なにも答えない。ただ苦笑いを浮かべて誤魔化すのが常である。ぼくは個人情報そのものであるネットアバター〈パフォーマー〉を持っていない。仮想空間に作った分身を見れば、そこには名前の読み方も、字面も、どんな経歴の持ち主かも載っている。パフォーマーさえあれば、わざわざ身分証を提示しなくても学生料金で映画が観れるし、会員カードがなくったってお店のポイントが貯まっていく。
けれど、ぼくにはパフォーマーがない。
ぼくは、彼らにとっては異邦人のようなものなのだろうか。
だから名前も覚えてもらえないのだろうかと悩んだ時期もあった。けれど、そんな悩みは、ちょうど同じ時期にこの時代の支配者たちが起こした大災害のせいで吹っ飛んだ。
ぼくが中学生のとき――とある名字が、この世から消滅したのだ。
世界中のあらゆる機械に、その名字は認識されなくなった。
入力不可御家名。機械に嫌われた、ひらがなで表すとたった三文字。機械じゃないぼくらはその名前をあえて口にしない。支配者である大型情報集合体〈マム〉が認識できない言葉を発音すると、彼女らの機嫌を損ねてしまうからだ。
先祖代々受け継いだ家名を失った人々は、政府から代わりの名字を支給された今も
幽霊名たちが今もなお、必死に取り戻そうとしている三文字。
名前を失うということ。それはあだ名で呼ばれるよりも不名誉で、屈辱で、怒るべきことなのだろう。
それに比べれば、名前を間違えられるなんて些細なものだ。――悩んでいた当時のぼくはそう割り切った。
帯刀田一麻。
名乗らなくては覚えられない名前。
だから、みんなは勝手なあだ名でこう呼んだ。タテワキくん――と。
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