予定

2019/10/01 15:51

 シルヴィアはジェイコブが寄越した手紙を読んだ。

「悪魔に関する詳細なデータを送る。

このURLにアクセスして、彼女の弱点を見つけだしてくれ。

私は     」


 シルヴィアはジェイコブがエメルを悪魔だと書き連ねてある事に安堵した。彼やマークはすっかり悪魔に騙されているものだと思っていたからだ。そうではなく、彼らはFBIの仕事でエメルを監視していただけだった。シルヴィアはタブレットを起動し、手紙のURLをブラウザに入力した。

 URLは動画サイトに繋がっていた。

 悪魔、エメルが映っていた。

 傷だらけで、特に右手の怪我が酷く、手の甲全体が青紫色に腫れ上がっていた。救急車両の後部ドアが解放されて   に乗せられたエメルの周囲で医師や看護師の只ならぬ表情と上下に揺れるカメラが事態の大きさを告げている。動画は無音だった。悪魔は病院の奥へと消えていった。


 エメルの弱点が右手の甲であることをジェイコブは教えたかったのだろうか? そんな風には見えない。大怪我を負った一人の少女が

(同情を誘うつもりなの?)


 シルヴィアの警戒心が高まる。

 ここから泣き落としが始まるのだと思うと、ジェイコブへの怒りが増した。やっぱり彼らもエメルに取り込まれている、これは宣伝動画。

 ブラウザを閉じようとした時、白いベッドの上で横たわるエメルのシーンに切り替わる。大きな大人たちに囲まれている。無音ではあるが、彼女の微細に変化していく表情のどれもがシルヴィアの心の暗部を抜けて、無防備な場所に、彼女の声が届いた気がした。

 声のない悪魔が感じる恐怖、哀願、寂寞、不安、無情、悔しさがシルヴィアの感情に小さな波を立てる。その都度、トラウマがそれを否定し押し戻す。 

 同情もしないが、いい気味だとも思えない。

 シルヴィアは何となく続きがきになった。


 テーブルの上で絵を書いているシーンに切り替わった。

 熱心に、丁寧に絵を書いている。右手が痛むらしく、エメルの顔に無数の皺が刻まれ、小さな体はその都度震えた。

(何を頑張ってるんだろ、こいつ)

 絵なんていつでもかけるじゃない、妙な苛立ちが胸を打つ。





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 車を詳細に観察しているエメルは、分厚いゴムのタイヤへ好奇心でいっぱいの視線を向けていた。屈み込んで車両の裏を眺めている。

(何が珍しいんだろう?)

 時折、マークがサングラスを頻繁にかけ直すシーンに切り替わる。

 困った様子でカメラの持ち主に声をかけている。カメラマンの苛立ちが画面のブレを通して伝わってくる。『後にしろ』と。


 車内に画面が切り替わる。ドライブレコーダーの様子らしい。

 三人が映っていた。







 

 サングラスを借りて、二人に意見を求めているらしいエメル

 パンを作るエメル、手慣れた様子で、材料をテキパキと分けて、作業に入る。エメルが何やら指示を出して、時折むくれている。

 頭一つは大きい、FBIの二人が小さく見える。


 なぜか、エメルがマークの家の二階からマークの小脇に抱えられて、身を縮こまらせていた。シルヴィアは突然の映像に息を飲んだ。

 パッチワークで張り合わされた映像は唐突で、急いで編集されたものである事がわかる。前後関係を知りたいと思い、タブレットを見つめていると救出されたらしいエメルはヨロヨロと玄関を上がって廊下を歩いていく。表情には苦悶の皺が中央によっていて、子供の頃に見たシェークスピアの演劇で、マクベスが最期を迎えるシーンを思い出した。

(何で、誰も手助けしないの? 怪我してるんじゃないの? 暢気にカメラ回している場合じゃない)

 彼女がバスルームへ入っていくところでカメラが九十度、クイックターンした。シルヴィアが怪訝に思っていると、今度は吹き出してしまった。

 一仕事終えたようにスッキリとした満面の笑顔でエメルが出てきたからだ。

(なーんだ)

 顔の筋肉がじんわりと緩んでいく感覚がとても懐かしく思えた。

 いつの間にか、シルヴィアはエメルを応援する立場に回っていた。

 エメルの表情は感情の万華鏡を覗いたように、変化する。

 彼女を心配し、彼女を応援し、そして彼女の悲しみに寄り添った。

 その悲しみの原因が自分である事に胸が押しつぶされそうだった。

 やんわりと、それでいて自分が罪人である事にあらがえない重圧。

 

 映像にはエメルがサングラスをかけて、バスケットに手作りのパンを入れて出かける姿が映っていた。服装の手入れや身だしなみも姿見を身ながら念入りに。いつも、シルヴィアを哀れむような目でみつめ、世間や社会に向かって威嚇する眼圧から毒が抜け、柔らかく微笑む彼のリラックスした顔も新鮮だった。

 この後、エメルはシルヴィアの出した、漂白剤入りのジュースを口に。


 シルヴィアはもう映像を見ていられなかった。

 あの時、エメルが覚悟を決めそれを飲み干す瞬間が目に焼き付く。

 寸前で彼女は思いとどまった。



(思いとどまらなかったら)

 シルヴィアは抱えた膝に顔を埋めて震えていた。

 出会った時の月明かりを受けて静かに輝く、エメルの緑色の瞳の魔力にあらがう術が無かった。心の中に巣くったそれを必死に払いのける毎日。

 大好きなピアノの前に座ると、魔女の声がする。食事の時も、お風呂の時も、街を一人で歩いていても。


(・・・・・・魔女の声がするのよ)


 シルヴィアは喉が支えて旨く呟けなかった。

 素朴な映像が暗くなった部屋を照らし続けている。

 魔女の声は遠く、微かに何かを宣っている。


(※SASの拉致訓練を参考にする)

(※このシーンは書き直す。サブテクストを映像で見るような演出)

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2019/10/02 01:44

 FBIの武装した車両の一団が静かに動き出した。

 ジェイコブはバックミラー越しにエメルを見た。

 緊張と希望で高ぶっている様子だった。これからボーイフレンドとの再会が待っている。彼女にとって特別な男なのだろう、無理もないと思った。そしてFBIにとっても気になる男であり、サンエスペランサへ招く事になるだろう、その後は・・・・・・。


(幸あらんことを)


 無宗教であるが、今は何の神でもいいから幸運を授けて欲しいと祈った。エメルと、そしてシルヴィアに。


(前向きに捉えてくれればいいが・・・・・・)


 白黒、無音編集で構成したのには、エメルの声や、例え画面越しであれ緑色の瞳がシルヴィアのトラウマを先に刺激し、途中で映像を切られる事を心配したからだ。瞳の色が誘拐犯と同じだなんて、たまたまだ。巡り合わせが悪かった。それだけの話だ。


「今日は、カメラを回さないんですね」


 エメルの言葉は緊張を紛らわせるために、何か言葉を探って使ったにすぎない。ジェイコブは振り返り、精一杯の笑顔で答えた。

 エメルの言う、ネイサン=モーハンのデータは存在した。

 彼女が今も腰に下げているベレッタ・センチュリオンの登録者番号を調べて分かった。厳密に言えばネイサンではない、偽名だ。

 任務中に消息を断ったCIAエージェント。


「男前な彼氏だ。会うのが楽しみだな」


 先ほどエメルにも確認してもらった写真を眺めながら言った。

 エメルは肯定も否定もしないが、ただ瞳を潤ませてはにかんでいるだけだった。写真は十五年前のものだ。赤い霧の誘拐事件で街が震撼した年。

CIAはFBIに極秘で敵の懐に入り込んでいた。

 運転席にいるマークはいつも以上に静かだった。

 まるでそこにいないかのように。

 無理も無かった。実の娘をその事件で見失い、その消息を必死に追いかけ続けていた男だ。十五年前にその情報をFBIに流してくれていたら、マークはそう考えているに違いなかった。

 誘拐犯はCIAとFBIの機密情報の暴露を迫った。責任はCIAにもある。今は機密解除されて全世界の周知の事実、情報には誰でもアクセスする事が可能だ。国民監視と南米のクーデーターにCIAが関与していた件だった。

 情報は浸透したが、肝心の犯人は遺体となって埋葬された、ご丁寧にも。子供は返ってこなかった。


(ネイサンを救出したら、マークの手の届く距離から引き離さないとな)


 殺しはしないが、酷い目には遭うだろう。

 マークは拷問でも何でもする気に思えた。

 エメルとマークの感情の間で、ジェイコブはただ神に祈るしかなかった。


「エメル、この道でいいか?」


「はい。雪が積もった大地が見えてきたら、もう後少しです」


(雪か)


 八月の半ば。サンエスペランサは比較的温暖な気候で、冬の時期は短い。だが、嘘は言っていない。エメルは凍傷を負っており、履いていたブーツに溶けかかった雪の固まりがこびり付いていた。


(まさか、アラスカから馬を走らせてきたわけでもあるまい)

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2019/10/03 02:03

 真っ暗な中に灰色の雲の陰がうっすら浮き出ている、そんな空だった。

 ウッドロッドの街から見上げる夜空は宝石やビー玉、ガラス細工の欠片などを暗黒の絨毯の上に転がしたようで、子供の頃は玩具箱をよくひっくり返して部屋に星空を作っていた。

 サンエスペランサの夜空は手作りのそれよりも輝きがない。

 彼方に見える、地上を覆うボンヤリとした蜃気楼のような輝きが天空の輝きを覆い隠しているらしい。


「ここで待ってろ」


 灰色の道で区切られた広大な敷地内に点々と家らしき影が見える。

 マークはその内の一つを目指して歩いていった。

 エメルは腕を君で車に背を預ける。視線はマークの背中を追っていた。


「敷地が広すぎて、家と家の距離がかなりありますね。

 何かあった時に叫んでも誰かに聞こえるかな・・・・・・」


「そのために我々がいるんだ」


 エメルは頬のひきつったぎこちない笑顔をジェイコブに向けた。

 サンエスペランサでは彼と一緒にいる時間が一番長い。

 ふくよかなお腹をした、肌が濃いブラウンのおじさん。

 車の中から通りを見たが、衣装もそうだが、肌の色も様々で

 男女ともに背が高い。ジェイコブもエメルよりも頭一つ抜けていて、胴回りは彼女の二倍はありそうだった。


「ベレッタは返してもらえないんですね」


「この国では銃を持つためには色々、決まりがあるからな・・・・・・」


 ジェイコブは遠い目をしていた。

 エメルの街でも銃の携帯は許可されていない。

 ベレッタは神聖なる神の神槍として教会の宝物庫に保管されていた。

 光の早さで槍を放つ、強力な神の力を人の手に預かるのだ、誰でも持っていいものではない。ジェイコブの言葉は、サンエスペランサでは誰でも持ち歩けるように聞こえた。


「大事なものなんです」


 ウッドロッドが落ち着いたら、宝物庫にベレッタを戻さなければならない。後に残された人達が困るだろうから。ウッドロッドには三挺の銃が存在する。


「分かるよ。でも、心配はいらない。エメルはこの街の生活に馴染んで楽しむ事を考えていればいい。悪魔は我々が見つけて捕まえてやるからな」


 ジェイコブは肩を揺らしておどけて見せた。怖がる子供を慰めるように。話が噛み合っていないような気がした。

 

「悪魔を捕まえたら、ベレッタは返すよ。大事なものなんだろう?」




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「この国には魔法が溢れているんですね」

 魔法という言葉を口にすると、ジェイコブは決まって哀れみをエメルに向ける。その顔や気遣いは彼女を惨めな気持ちにさせた。

「遠くの人と文字や声で会話したり。絵画を動かしたり、描いたりできるし」

「君は良い魔法使いになれそうだな」

 エメルはその言葉の意味が分からなかった。

 彼女には素質がない事をウッドロッドを出る時に思い知った。神は彼女に特別な力を授ける事はなかった。ネイサンと同じ力があれば、彼と無事に逃げ切れたかもしれない事を思うと悔しくなる。

「物珍しい事も慣れると、当たり前に・・・・・・当たり前になると、

 何かが噛み合っていない気がした。





































(シルヴィアが怖がった後に、月明かりに輝くエメラルドの瞳を車のバックミラーで見る。このときに初めて、自分の瞳の色が変化し、静かに輝いている事に気づく(月の明かり以外の時は別の瞳の色にする)。逃げ出した夜にも、月が出ていた事を思いだす。実は追われていたのはネイサンではなく、エメル自身で、彼を助けたから襲われたわけではなく、初めからエメルが追い立てられていた事に気づく。(最初を少し変更))



 【街の言い伝え、月に輝く悪魔の瞳。赤き守人、青い騎士、緑の魔神。灰の生死人(ゾンビ)、黒曜石の王。神を貪り邪悪を連れて捲土重来す。】


(エメルは邪悪だとされている力を授かった事に愕然とするが、今のところ何の変化も持たない。エメルは迷信を払おうと努力する)

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