2020年 8月11日

 自衛隊のジープ――本当は七三式小型トラックというらしい――がわたしたちの暮らす中学校にやってきた。


 今日みたいな日は、1日の仕事が少しばかり変わる。

 普段は畑仕事や畑の拡張工事がメインだ。だけど自衛隊が来ると、それは後回しになる。


 まず初めに、支援物資の荷下ろし。これをするとき、皆の顔は少し明るくなる。

 中に入っているのは余り物のレーションや缶詰くらいだが、こんな状況ではそれもご馳走だった。


 そして次の作業をするとき、皆の顔が暗くなる。

 本化した人たちをジープに積み、自衛隊に回収してもらうのだ。


 自衛隊は元々ヒトだった本を駐屯地の倉庫に集め、厳重に保管している。

 日差しを避け、大量の乾燥剤で湿気を避け、その他諸々の劣化原因を排除し、いつ元に戻るかもわからないヒトたちの延命治療をする。それがきっと、今打てる最善手だ。


 今回積むのは、合計30冊。前に自衛隊が来た時から、今日までの間に本化した10人。そして、一昨日わたしが隣町の小学校で発見した20人。


 やってきた自衛官2人と、こちらの若い男2人が本を積み込んでいく。それをお年寄りや子供たちが、複雑な心境をにじませた顔で眺めていた。


 彼らは本化した仲間との別れを悲しんでいる。だがそれによって助けられてもいる。

 人が減れば、その分食い扶持も減るからだ。こんな世界だから、それも仕方がない。


 でもそれ以上に、本化現象によって助けられたのは、本になった本人たちではなかろうか。


 だって彼らは皆、自らの行きつく先をもう知っているのだから。すべてを言語化されることで、先の見えない不安に苛まれることなく終着点を知ることができる。

 

 だからわたしは、彼らを羨ましく思う。


 ――あの時、彼らのようにわたしも未来を知っていたなら。わたしは、もっと違う風にできたかもしれない。

 こうして本になった仲間が積み込まれる度、そんな想いが胸を突く。




 ***




 2年前、父が亡くなった。


 死因は、出勤中の事故。

 電車を降り駅へと向かう道中で、歩道に突っ込んできたトラックに轢かれた。電柱と車体に挟まれ、即死だったらしい。


 その前日、わたしと父は喧嘩をした。中学卒業後の進路について、わたしの希望と父の意見が食い違っていたのだ。


 ――お父さんに、わたしの何がわかるの?

 ――わかったような口をきかないで。



 ――――大嫌い。



 それが、最後に父に放った言葉だった。


 ひどく後悔した。

 別に父のことは嫌いじゃなかった。あのとき偶然、ちょっと口論が激しくなってしまっただけなのだ。


 もし。

 もしあのとき、父が死ぬことを事前に知っていれば、わたしはもっと違う道を歩んでいたかもしれない。

 せめて次の日の朝に、「ごめんなさい」と謝れたかもしれない。


 そのときから、わたしは心のどこかで恐怖感を抱いていた。

 先の見えない未来に。

 何が起こるかわからない、曖昧な未来に。


 だから、本化現象で世界がおかしくなり始めたとき、少しだけ安心した。終末という、絶対的な未来が見えたから。

 

 わたしは、この世界を愛していた。




***




「それじゃあ、必ずまた来ます。こんな状態ですけど、お互い頑張りましょう」


 自衛官の声に、はっと我に返った。

 いつの間にか本の積み込みが終わり、2人の自衛官はジープに乗り込んでいた。


 ドアが閉まり、重い足取りでジープが走り出す。

 校庭に、2筋のわだちが描かれる。正門近くまで伸びたところで、地面が砂からアスファルトに切り替わって消えてしまう。


「どうしたミライ。ぼーっとして」


 私だけに見える白い霧が収縮し、キリノの形になった。


「ううん、何でもない」

「轍がそんなに面白い?」

「違うって。ただちょっと……」

「…………」

「……わたしたちも、無関係じゃないかもって」


 キリノが首をひねる。


「意味がよくわからないんだが」

「別に、わからなくていいよ」


 言いながら、途切れてしまった轍の先を追う。

 彼女は、白くて透明なため息のようなものを吐いた。


「変な奴」

「そっちの方が、幾千倍かは変でしょ」


 でも実は見えていないだけで、もしかしたらあの線はまだ続いているのかもしれない。

 キリノと話していると、そんな気がしてくる。


 わたしは、それが怖かった。

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