第26話スキャンダラス・ウィーク
どたどたどた。
オレは靴音高く、二階へ上がっていく。
「真希奈さん――」
いない。
どうしたんだ? いや、どうしよう!?
「真希奈さーん!」
畳んだ布団と、脚を折って壁に立てかけたちゃぶ台。
その気になれば勉強もできるけど、やる気は起きない。
こんなときだ。
真希奈さんだって、めげてるかもしれない。
ああそうか。
だから、「おとうさま」の「御具合」なんか聞いちゃだめだったんだ。
真希奈さんは、やりきれない気持ちで教科書をめくっていたのかもしれない。
真希奈さん、真希奈さん本当、ごめん。
オレ、どうしたらいい?
また、街中を探すのか?
がぼがぼのスニーカーで、冷たいアスファルトを駆けるのか。
彼女が、負った傷をオレが引き受けられるならそれでもいい。
現実は違うんだもの!
オレは、なんにもできないでくのぼうだもの。
背も低い、五歳児なんだ!
そう考えるのは、とてもみじめで悔しかった。
だから、店を出て駅地下周辺のたまり場を洗った。
「よう、なにしてんだよ」
五歳児になったオレに、なんの疑問もいだかず気楽に話しかけるゴリラがいた。
先ほどのこともある。
オレは殺気をこめて、ヘルメットをとるように相手に要求した。
「オレオレ。オレだよ、ケイ」
オレオレじゃわからん、と言っているんだ!
詐欺集団の一味かおまえは!
「いやだなあ。オレだってば」
「荻窪……オギ、かあ!」
オレは安心して、首っ玉にしがみついた。
べ、べつに、幼児化したからって、愛情表現が稚拙になったわけじゃないぞ。
そもそも、オレらはそういう仲じゃない。
がしっと、首根っこを捕まえて、肩によじ登って乗せてもらったんだ。
これで、真希奈さんがわかりやすくなった。
目指すはゴーグルのゴリラ!
「北北西に進路をとれ!」
「シリウスに向かって、飛べ! のような……」
「オギ、オレはジブリファンじゃねんだ」
「金曜ロードショウでこないだ観たからさあ」
「さっさといかんか!」
「たたかうお姫様っていいぞう?」
「口ばっかだろ。そういうのってアンバランスで嫌なんだよオレは」
女がたたかうっつったら、口撃だろ。
「いや、ナウシカは違うよ」
オギの奴はナウシカ談義をやめない。
それどころか、監督の嗜好まで持ち出して来てやり込めようとするのだ。
右を見ても左を見ても、ナウシカばっかりに見えてきた。
「勘弁してくれよ」
わいわい、がやがや。
周囲はゴリラな防護服を着ているのだからして、ナウシカがゴリラなのか、ゴリラがナウシカなのかもわからない。
とにかく、オレが求めた姿はどこにも見られない。
いや、区別がつかなかった。
だから、真希奈さんが自分から名乗り出てくれないととても困る。
「真希奈さーん!」
向こうにふりかえったゴリラがいた!
「真希奈さん!」
オレは、一縷の望みかけて、叫んだ。
それは、彼女ではなかった。
が、彼女の行方を教えてくれた、四人のゴリラのうち、オレを攻撃しなかった女の子だった。
「真希奈、探してるの? 私も」
「そっそうか。手分けして探そう」
オレが、彼女を探す理由は話せなかったけれど、これで彼女を心配している人間が一人ここにいることがわかった。
心強い。
「こないだから、真希奈ったら、通信回線切ってるみたいなのよ」
サナって娘はそう言った。
白いレースを使った、コーラルのビーズのポシェットを、随分無理して防護服の上からおしゃれにつけている。
いっこ年上だから、こっそりサナちゃん先輩と呼ぶ。
通信回線がどうなっているかなんて、オレにはてんでわからないのだ。
スマホなら、あるんだけどなあ。
オレは、サナちゃん先輩にさりげなく真希奈さんのナンバーを教えてもらい、数回かけた。
相変わらず、春の界隈はにぎわっている。
そんな中、スターウォーズのテーマが鳴り響いた。
迷惑気に、隙間をあけるゴリラたちの中心に、スマホをとり出すゴリラがいた。
「!」
そのゴリラの肩に、手をやるゴリラがいた。
今考えれば、とても考えられないことだし、許せない。
だけど、そいつが聞きおぼえのある声で『真希奈』と口にしたので、それが彼女だとわかった。
真希奈さんは、そいつから離れ、カラオケボックスの方へ身をひそめるように駆けて行った。
「だれ? ユウコ? それともサナ? 心配しないでって言ったでしょう?」
スマホから聞こえる。
カラオケボックスの音が聞こえる。
それだけ確かめると、オレはオギの肩から降りた。
カウベルを鳴らして、店内に入る。
と、ヘルメットをはずして、金髪をくしゃっとさせた真希奈さんがいた。
驚いて、混乱してオレはひざまずいた。
真希奈さん……いてくれた!
こんなところに……!
「ケイゴ君?」
「そうだよ……オレだよ」
あとは何を言っていいのか、わからなかった。
なにを言ったのかも、記憶から抜け落ちている。
オレは、なにを赤子のように泣いていたんだ……。
しかし、そのとき真希奈さんは全然わからないことを言い始めて……。
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