第10話ほっと一息

「つまり、ゼロ~十歳までの幼児は最強なのよ」

 なんですと?

 オレは、再びおどけた道化のまねをする。

 どうも、心にある言葉と、アイナさんに対する言葉に齟齬を感じるとそうなってしまうらしい。

「ロロロ・ロシアンルーレット爆弾の毒は人間の肉体にしみこんで、さらに強い猛毒ガスとなって大気中に散ることになるのよ」

「おそろしいですね」

 アイナさんは呆れた顔でさんざんなじった。

 どうして自分の姿をまず先に見ようとしないのか、身だしなみにも気をつかうものでしょう、本当に十五歳なら、と。

「いやいや、男は生涯不変の一面をもつものです」

「そうですか」

 どうやら、アイナさん、おもしろくなさそう。

 さっき額にキスしたこと、後悔してるんじゃないか? などとオレは気にしだす。

 そうなったら、止まらない。

 自分との再会を――そう、再会。

 オレたちは初対面ではなかった。

 それを疎んじたりするアイナさんではない、と信じたいが。

 つい最近の出来事で、あれは相当ショックだった。

 黙ってアイナさんが小鍋であっためてくれたミルクを、手にしながら一口も飲まずに冷めていくにまかせているのが証拠みたいなもんだ。

「淹れなおしましょうか? ぼうや」

「いえ、けっこうです」

「でも、おいしくないでしょ」

「おいしくはないですね」

「だったら……」

「うまくないミルクを飲むのも、人生の味わいです」

「へえ。どこでそんな口をおぼえたの?」

「趣味の問題ですから、お気になさらず」

 オレは一口飲んで頷いた。

「やっぱり淹れなおしましょう」

「はい?」

「お客様にまずい飲み物を出す店だと、思われたくないわ」

「それではそろそろ……」

「お帰りですか? ぼうや」

 パッと輝くアイナさんの顔を見て、オレは苦笑した。

「ミルクが冷めるまで待ったのですから、そろそろ事情を話してくれませんか?」

「え?」

「あなたが水商売のバイトをなすっていることを、ご両親はご存じなのですか? 夕方から夜遅くまで……高校生の生活サイクルとは合わないと思います」

 すると、アイナさん、うつむいてしまった。

「ほかに、なかったんです」

 というと?

「ママが拾ってくれたから。そうでなかったら、私、壊れてたわ。バイトは縁よ。でもそうね、ほんのささやかな意趣返し、かもね」

「ほう?」

「私を、めまいのする地獄へ落とした運命への」

「意趣返しですか。いいのですか? それで」

 アイナさんは伏せていた目を上げ、オレを見つめた。

「うん……」

 オレは、ミルクの残りをごくごくと飲み干し、席を立った。

 ずり、と背中からずり落ちる格好で。

 ごち、と額をカウンターにぶつけた。

 やっぱりオレ、五歳児になってしまったのだなと実感する。

「また来ます」

「待って」

 アイナさんは、カウンターから出てくると、オレの唇をナプキンでそっとぬぐってくれた。

 なんだなんだ、照れるな。

「また来てね、ボク。アツアツのグラタン、用意しておくから」

「ああ、いいですね」

 べつに、グラタンは好きじゃないんだが。

 そのままドアを開けて、すっかり暗くなりゆく街へと戻っていくオレだった。

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