第3話 私は元を取りました。
TRPGを遊んで、ほかの人にルールブックを買わせようとするときに、言うことの1つが「何回遊んだから元は取った」である。
いやしかし、これはどう考えても失礼な発言をするときがあるのだ。
計算を簡単にするためにルールブック1冊1万円、2人のプレイヤーがおり、Aさんは5000回そのゲームを遊び、初心者であるCさんは1回遊んだとしよう。
時はAさん5000回目、Cさん1回目のセッションだ。
セッション終わりにAさんが言う「このゲーム5000回遊んだ。これだけ長く遊べるから安い」と。遊んだ歴や回数でマウンティングをとっているか否かについては本筋ではない。問題のある発言に変えよう「このゲームを5000回遊んだから元は取った」。
まず、本筋から外れている方だ。Cさんは「これくらい長く遊べるのか」あるいは「年数や回数をひけらかすクズ」だなと思うはずだ。
一方で問題のある方だ。「元を取れた」という発言でCさんはこういうことを思うだろう。
1つ、「1冊1万のルールブックの元を取るためにはあと4999回も遊ばなければならない」。
2つ、「僕はこのセッションを楽しめたので、1万円出す価値はあった。故に少なくとも僕には1万円の価値はあった。しかし彼は5000回も遊んでいるので、彼が楽しいと思っているこのセッションは少なくとも2円の価値しかない」。
3つ、「元を取るために遊んでいる」という「ソフトが高かった時期にファミコンでクソゲー買ってしまったとき」の全時代的な発言を今でもやっている。
世の中には情報があふれ楽しい物が溢れかえっている。そんな中「こんなに楽しいものを元を取るほど遊ぶのか」。このキャラクターが欲しいからガチャに大金を注ぎ込み、あの人と一緒に遊びたいから高い金を払ってネトゲを遊ぶのだ。
「元を取る」ものって高い買い物の時だ。食べ放題の店だったり、家電だったり。
通販で家電の紹介を見ると「これほどまで便利です、お値段やすい」と費用対効果を示す。昼間の番組で食べ放題の店で「元を取る方法」をやっているが、これは「元を取りたい人向け」のコーナーである。
今楽しかったこのセッションを今後「何百回と遊べる」という夢を見せるならば、初心者が「元を取るまで遊ぼう」と思わせればいい。「元を取った」はあくまで言った本人の感想だ。元を取るためにゲームをすることは否定しない。しかし「初心者に布教する」という目的の元初心者相手に遊んでいる人間が「元を取った」発言は、独りよがりな発言だ。君の目的からすると「君が元を取る」のではなく、「初心者に元を取ったと思わせる」ことのはずだ。
そして言い始めるのが「楽しむためにはどうしたらいいか」だ。「元を取る」ということを行うのならば元を取るためにはどうしたらいいか」だろう。前述の食べ放題の店で元を取るコーナーだって「沢山食べるには」ではなく「元を取るような食べ方」とは、だ。
「元を取るためにはどうしたらいいか」という技術的なことを伝えず、徒に回数だけをひけらかし「元を取った」という発言は、ただのマウンティングに過ぎない。
「楽しむためには」と「元を取るには」の違いを理解しなければならない。
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