第9話 いぬさん
羽ばたいているうちに、僕は小さな駅に着いたんだ。駅って言っても、人なんかほとんどいない。誰もいないんだ。静かで、ただ聞こえるのは風の音と、近くの海から運ばれてくる、波の音だけだったんだ。しばらく波の音は聞いていなかったから、少し懐かしい気分になったね。
あんまり何もなかったから、近くの木陰で僕は一休みしたんだ。今日の天気は雲がかかっていて、太陽はあいにく拝めそうになかったよ。太陽が見えない木陰になんて、なんの価値もないと思わないかい?
すると、近くにイヌさんがいたことに気が付いたんだ。顔はシュッとしているけど、ところどころしわが見える。あんまり僕と年は近くなさそうだったな。イヌさんはのそのそと僕に近づいてきた。慌てて僕は立ち上がって、イヌさんと向き合う事にしたんだ。こんなところで食べられるのはごめんだからね。
「安心しなさい、わしはおぬしを食いはせん」
言葉づかいから、とてもお年を召しているという事がわかったんだ。鳥だから勘は鋭いんだぜ?
「こ、こんにちは、あの、あなたは」
「イヌに名前を尋ねるときは、まず自分から、じゃろ?」
どうやら頭がとても堅いようだ。おじさんと近い何かを感じるよ。嫌になっちゃうなあ、もう。
「僕は、カラスのジョンです」
「ジョンか、よろしくの。わしの名前はジョニー」
なんとなく、僕の名前と近いものを感じたよ。つけた人はおじさんとセンスが似ているなって思ったね。
「通りすがりの少年がわしにそう名付けたんじゃよ。分からない存在は、全てジョニーだとぬかしての。まったく、いい加減なガキじゃ」
そんないい加減な名前でも、一応受け入れている事が、なんだかおかしくて思わず顔がに焼けちゃったな。顔は真っ黒だから分かりにくいかもしれないけどね
「なんじゃ、なにがおかしい」
どうやらばれていたらしい。とりあえず首を横にぶんぶんと振って否定したんだ。こういう類の生き物は、怒らせないに限るからね。
「まあよい、ところでおぬし、何故このような辺鄙な町へ?」
「……」
なんとなく、このイヌのおじいさんなら、知っている気がしたんだ。だから僕は尋ねる事にしたんだよ。
「探し物をしに来たんです」
「なるほど、海へ行け、そこにある」
ジョニーさんは何を探しているかなんてきかずに、すぐにそう言ったんだ。全く訳がわからなかったよ。このおじいさんは頭がイカレてるんじゃないかって、鳥頭の僕でも思ったね。
いけない、僕の見下す癖がまた出ちゃった。
「何で何も言っていないのに」
「大体の探し物は、海にある。そう決まっておる」
めちゃくちゃな理屈だ。僕は小さなころからずっと、海で暮らしていたようなもんなのに、そんなこと感じたことなかったね
「嘘だ、信じられない」
だから僕は、そう否定したんだ。今まで探していたものが、そんな簡単に見つかるはずがないって思ったからね。
「騙されたと思って行ってみるがよい。物事というのは、案外そういうものじゃ」
「そういうものなの?」
半信半疑で僕は尋ねたんだ。
「そういうもんじゃ」
やっぱりだ。この人はおじさんと同じ匂いがする。だって、『海の男だからな』に近いものを感じてしまったからさ。だから僕は、納得してしまったんだ。
「海にはここからどう行けば」
「単純じゃよ、この先をまっすぐじゃ。そうすれば、海には行きつく」
僕はジョニーさんに頭を下げて、海へと向かおうとしたんだ。
「待ちなさい」
「なんだよジョニーさん。僕は急いでいるんだ」
「その前に一つきかせてほしい」
僕は何も言わずに、ジョニーさんの質問を待ったんだ。
「おぬし、何故探し物を探しておるんじゃ」
なんだ、そんなことか。そう思ったんだ。
「見つけたいって思ったからさ。それじゃ理由にならない?」
「違うのお。おぬし、何故食べるのかと問われたら、食べたいからと答えるのか?違うじゃろう。それは、飢えて死ぬのを防ぐためじゃ」
……何が言いたいんだろう。僕にはよくわからなかった。
「つまりじゃ、おぬしは、探し物を見つけることは、何か目的があってのことのはずじゃ。それは、なんじゃと尋ねておる」
「そんなの」
僕は考えた。何で僕は、大きくて、温かくて、優しい何かの正体を探しているんだろう。ただ、それに触れられた時、心地いいから? それの正体を知ることは、なにか不自然なことなんだろうか? そう考えたんだけど、なにかが違う気がしたんだ。
「……まあよい」
ジョニーさんの中で、勝手に納得されたんだ。助かったけどね。
「どうせ、見つければ嫌でもわかるさ。そういうもんじゃろ」
「そうなの?」
「そうじゃ」
似たようなやり取りを何度もしていたからか、ジョニーさんは、笑ってそう言ったんだ。お年寄りの考えていることは、やっぱり難しいや。僕にはとてもね。
「さあ、行け、ジョン」
言われなくてもそうするさ。僕は海へ向かって一直線に羽ばたいたんだ。羽根の中の貝殻を落とさないようにね。
海にはすぐに到着したんだ。白い砂や、ゴミや流木が散乱している砂浜の他に、海の水はすっかり満ちていて、さらにその向こう側から、冬の冷たい風を運んでくるんだ。正直少し、寒かったね。人間なんかは羽根がないから大変そうだなって思ってしまったよ。
ただ、海に着いたはいいけれど、そこには誰もいなかったんだ。あったのはゴミと石と砂だけさ。それでも、波の音と海の景色を見ていたら、心が落ち着いたよ。凄くね。
そして、今まであったことを、ふと振り返ってみたんだ。
アンくんの、認められたくてがんばっていた姿や、アマさんの、結果を出したくてがんばった姿を。女の子の熱い歌声を。パティの傷つけたくない臆病な姿や、カラス君の笑顔や涙をね。ああ、僕はどれも出会ってよかったと心のそこから思えるよ。何故かって? 思い出しているとね、自然と涙があふれてきたからさ。
海に負けないくらいのしょっぱさで、海に入ってもいないのに、溺れているような気分になってしまったよ。まいっちゃうよ本当に。そんな軽い誤魔化しをしても、涙はどこまでも出てくるんだ。どうやったら止められるかなんて考える間もないくらいにね。
僕自身から、あの大きくて、温かくて、優しい何かが出ているみたいだったよ。
それでもだよ、僕はそれの正体がわからないんだ。
悔しいったらありやしないよ。
「教えてよ! 僕に! 何なんだよこれは!」
どうしても我慢できなくて、僕はそう叫んだんだ。
こいつの正体を見つけたくて仕方がいないのに、一向に分かる気配がしないんだよ。誰だって腹が立つだろう?
するとだよ? 後ろから、誰かの泣く声が聞こえたんだ。その泣き声は、僕の質問に答えてくれているみたいに、しっかりと耳に届いたんだ。
どうやら女の子みたいだ。振り返ると、そこには、あの女の子がいたんだよ。
びっくりしたさ。まさかこんな所でまた会えるなんて思わなかったからね。ずっと会いたくて、またあの歌声を聞かせて欲しいって思っていた。それから、また僕の羽根を震わせてほしかったんだよ。あの大きくて、温かくて、優しい何かを僕に向けてほしくてね。
ところがさ、そこにいたのはあの子だけじゃなかったんだよ。なんと男の子もいたんだ。あの日、大きな建物の中で泣いていた男の子にそっくりだったよ。だけど、彼は女の子の横に座っているのに、彼女に何もしてやらないんだよ。
どうかしているんじゃないか! って言いたかったさ。誰かが悲しんでいるのに、ただ横で座っているだけなんて、信じられなかったね。それから、彼女はずっと泣き続けたんだ。今まで自分がため込んでいた真っ黒なものを、吐き出すように。そこからも、僕はまた感じたんだ。あの大きくて、温かくて、優しい何かをね。
それでも、まだ届かないんだよ。悔しかったさ。だって、それは今まで以上に向きだしで出ているんだよ。まるで、リンゴが皮を全て剥かれた状態で僕の方に飛んできているみたいにさ。だから、いつの間にか僕も、男の子と同じように、黙って女の子が泣いている様子を眺めていたんだ。
たまらなかったよ。
それから、しばらくその子は泣きつかれたみたいに、顔を上げたんだ、するとびっくりしたよ。その目は、前会った時より、ずっとずっと、キラキラ光っていたんだ。きっと、今度ばかりは太陽が束になってかかってきても敵わないだろうね、彼女のキラキラにはさ。
するとだよ、彼女は黒い鞄を男の子から受け取ったんだ。それは、前に見たキーボードとは違っていたんだよ。また、別のガッキかと思ったよ。不思議な形をしていたからね。まるでそれは、パイナップルのような形をしていたんだけれど、色が美味しくなさそうだったね。
でも綺麗だったよ。海みたいに、爽やかな青色をしていたんだ。
彼女は、それを肩にかけて、海に向かって歩き出したんだ。まるでそれを持って海に体を投げ出すみたいにね。焦ったよ。彼女みたいな存在は、絶対に消えてはいけないのに。あんなに素敵な存在は、これからも誰かのために必要なんだ。
少なくとも、僕みたいなカラスには、絶対必要さ。
それからどうなったかって言うと、彼女は海に背を向けて、男の子に向かって歌い始めたんだ。ガッキの音を聞いた瞬間、羽根がまた全て抜け落ちてしまいそうになったよ!
いや、抜け落ちてしまうどころじゃない。上に向かって飛び上がりそうだったんだ。
ガッキの音だけで、僕は巨大なものを感じてしまったんだよ。
そこから彼女は、歌を歌い始めたんだ。
とっても素敵な歌詞だったんだよ?君にも聞かせてあげたかったさ。
今まであったものや、たくさんの人に出会って悩んだ事。そして、そんなしがらみを全て捨てて、自分は自分の道を進むんだ。っていう曲さ。
言葉にすると単純だろ? でも、それには彼女の全てが詰まっていたんだ。大きくて、温かくて、優しい何かをありったけに寄せ集めて、それを歌にしているんだ。
もう、本当に最高だったさ!
その時、彼女は泣いていたんだけれど、さっきまでの悲しそうな泣き声と違って、とっても嬉しそうな泣き声だったんだ。まるで、今まで探してきた、とってもとっても大切な探し物を見つけたみたいにね。
僕も彼女と一緒に歌ったんだ。彼女にはカーカーとしか聞こえないだろうけど、少しでも僕は彼女と共有したくて、空高く飛び上がって、大きな声で歌ったんだ。
するとね、男の子も歌い始めたんだよ。一緒に、笑いながら、踊るように、海を背後にね。その二人は、とっても楽しそうで、世界中の誰よりも幸せそうだったんだ。
だってさ、その二人からも、あの大きくて、温かくて、優しい何かがいっぱい出ていたんだから。僕の羽根はずっとうずうずしっぱなしだったさ。
するとね、さっきまで曇っていたそれが、少しだけ薄くなってきた。眠っていた太陽が、僕たち二人と一匹の歌で、目覚めたようにね。すると、僕等を太陽が照らし始めた。まるで祝福の言葉を投げているみたいにね。
僕も二人に、どういうわけか言いたくなって、空高くからこう言ったのさ。
「おめでとう!」
ってね。それから僕は、羽根の中に隠していた貝殻を、二人の方へふっと落としてみたんだ。別に、カラス君との思い出を捨てたわけじゃない。
ただ、カラス君と感じたものを、二人にも感じていてほしいなって、そう思ったから僕は貝殻を落としたのさ。男の子の方が貝に気が付いたみたいで、ポケットに歌いながら入れてくれたんだ。
それが僕には、たまらなくうれしかったんだ。
すると、女の子はガッキを弾く手を止めて、歌う事もやめたんだ。
どうしたんだろって思ったよ。女の子の目を見てみると、とてもまっすぐな目をして海を見ていたんだ。空と海がくっついて、一本の線になっているところを見ていたんだろうな。
それから、彼女は思いっきり息を吸って、今までにないくらいの大きな声で、ある言葉を言ったんだ。
その言葉が、僕に答えを教えてくれたのさ。
「大好きだった!」
僕の体に、その時、雷に打たれた時よりもずっとずっと大きなしびれがやってきたんだ。何が何だか分からなかったよ。
そしてしばらくぼーっとして、空にぷかぷか浮かんでいたんだ。それから気が付いたんだよ。
彼女のその言葉が、答えだったんだってね。
アンくんは、自分を認めてくれない家族の事が、大好きで大好きでたまらなかったんだ。
だから認められたかったんだ。大好きだったから。
アマさんは、文句を言いながらも、駄目駄目で仕方のない、大好きなカエルたちと、結果を取ってみたくて心を鬼にしていたんだ。
結果を出したかったんだ、大好きだったから。
パティは、自分を捕まえてきたロクでもない人間が、大好きだったから、抵抗できなかったんだ。
傍にいて、安心させてあげたかったんだ。それがどんな形でも。大好きだったから。
カラス君は、どんなカラスだろうと、大好きで大好きで、堪らなかったんだ。だから自分を偽って、傷つけないようにしていたんだ。
傷つけないようにして、笑っていてほしかったんだ。大好きだったから。
そして、彼女も、何かが大好きだったんだ。
それは一人じゃないかもしれない。二人かもしれないし、三人かもしれない。
それは友達かもしれないし、家族かもしれないし、ほとんど関わった事のない他人かもしれない。
それでも、そういう大好きが、たくさん集まったから、彼女は苦しい事もあったんだろうな。
そして悩んだこともあって、泣いた事もあって、それでもたくさん笑う事もあって、笑いたいっていう思いもあって、笑ってほしいって夢もあったんだ。
そういうものが、まるで木みたいに集まって、大きな山になったんだ。
その山なんだよ。その山は、とっても大きいんだ。そして、温かくて、優しいんだ。
それが、僕が探していたものの、正体だった。
おじさんの言った通り、それはどこにでも転がっているんだ。
それが重なっているものが目立つだけで、そう言うものは、どこにでも転がっていたんだ。誰だって、何かが好きなんだからね。当然だろ?僕はおじさんの言葉や笑っていた意味が、やっとわかったよ。
とってもすっきりしたさ。彼女の大きな大きな叫びと歌でね。彼女にありがとうを伝えたくてたまらなかったよ。
だけど、僕はカラスなんだ。だから伝えられない。
あの男になりたいって思ったな。だって、あれから歌い終わって抱き合ったりしていたんだよ?僕もそうなりたかったよ。一緒に喜びたかったな。
そして、砂浜に寝転がって、彼女を祝福したかった。でも、僕にはやらなきゃいけないことがあるんだ。
正体がわかったんだ。僕の探していたもののね。
だから、僕は帰らなければいけない。おじさんのところへ。そうすることで、僕の旅は初めて終りを迎えるんだ。
ここに長居はできないんだよ。そうしてしまえば、おじさんのところへ帰れなくなる。なんとなくそう思ったんだ。カラスのなんとなくってのは、案外頼りになるもんなんだ。
飛び立つ前に、僕は二人の方を一度見たんだ。とっても綺麗な笑顔を、二人ともしていたんだ。この二人が、この先幸せな未来が待ってればいいなって、純粋にそう思ったんだ。
それから僕は、あの港へと向かったんだ。精一杯羽ばたいてね。
「幸せになってね!」
僕が願った直後に、後ろから女の子がそう叫んだのが聞こえたよ。
僕に言ったんじゃないってのは、十分わかっているよ。だけど、僕は嬉しくて思わず、こう返事したんだ。
「ありがとう!素敵な歌をありがとう!君も、絶対幸せになってね!」
ってね。
「じゃあな、ジョニー!」
今度は男の子がそう言ったんだ。
おしいな、僕はジョンだよ。
そう言おうとしかけど、二人の時間を邪魔したくないから、そのまま僕は飛び去ったんだ。
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