第6話 ネコさん


 あの日から僕は、なにも考えずにただ飛び続けたんだ。ほんとに、目的もなくだよ。ただ羽根を動かして、空を飛ぶだけの行為を繰り返したんだ。その間、僕はなんにも喉を通らなくて、なんにも食べる事ができなかったんだ。どうしたらいいかもわからなかったし、あの大きくて、優しくて、温かいなにかがあるかどうかの正体が、飛び続けてればわかる確信だってないのに。

 それでも僕は山の中腹辺りで、さすがに疲れてきたんだ。山の中で、一休みできるほら穴を探していると、一軒の古い家がぽつんと建っていたんだ。その家を見た瞬間に僕はね、とんでもなく寂しくなったんだ。なんでだかわからないけど、その家全体を、冷たくて、寂しいなにかが包んでいた事だけは確かなんだ。

 気になって僕は家にそっと近づいたんだ。縁側の辺りは完全に開いていて、泥棒さんに入って下さいと言わんばかりだったんだよね。あいにく僕は泥棒なんてする気はこれっぽっちもなかったけど。それでもなにがあるか気になって、僕は縁側に近づいてみたんだ。そこにあったのは、一個の檻だったんだよ。檻って言っても、そんなに大きなものじゃない。厳密に言ってしまえば、ケージって表現が正しいのかもしれない。だって、もしも僕が中に入ってしまったとしたら、それはいっぱいいっぱいになっちゃうに違いない程の大きさだったから。

 だけど、その中には僕が入れそうなスペースなんてどこにもなかったんだ。何故かって?先客がいたからさ。

 中にいたのは、一匹のネコさんだったんだ。体は僕とおんなじように真っ黒でね。瞳の色は緑色でとても綺麗だったんだ。思わず見とれてしまったよ。

「貴方は誰?」

 見とれていると、いつの間にかそう話しかけられちゃったんだ。不思議な気分だったよ。檻の中のネコさんに話しかけられるなんてね。

 本来ネコは、もっと自由なもののはずなんだ。島にいるネコなんか、まさに自由のかたまりのようだったさ。寝たいときに寝て、行きたいところに行く。そして食べたい時に食べるんだ。羨ましいな、なんて言ったら、おじさんは「お前も似たようなもんだ」なんて言うんだぜ? 聴いて呆れるだろ? まあ否定はできなかったけどね。

 それでさ、僕はとりあえず紳士的に対応したんだ。

「こんにちはネコさん」

「こんにちは、カラスさん」

 それで僕は檻の傍にそっと降りたったんだよ。

「どうしてそんなところにいるの?」

「さあ……どうしてかしらね」

 そう言うと、ネコさんは悲しい目をしたんだ。

「最初はね、この家の人にえさをもらっていたのよ、お魚とか、かつおぶしとかね」

「そいつはいいな」

 思わず僕は、サカナやかつおぶしを想像して、よだれがたれてしまったよ。慌てて吸い込んだけどね。

「それでもね、いつの日かその人は、私を檻の中に急に閉じ込めてしまったの。『私がこの子をなんとかしなきゃ、私しかいないんだ』ってね。優しい人なんだなって思ったわよ。それでも、怖かったのよ。いえ、今でも怖いわ。あの人が私をみる目つきが」

 ネコさんはそう言って身震いしたんだ。まるで水でもかけられたみたいにね。

「なんで君は反抗しなかったんだい?」

「……さあ……それでも、あの人、とても寂しそうな顔を時々するのよ。まるで、自分が世界に独りきりだって思いこんでいるみたいに」

 それはそうだ。こんな山奥に家を持って、たった一人で暮らしていたら、そんな気分にすらなってくるよ。

「その人は、今いないの?」

「多分、この時間ならリンゴを育てている頃ね。そろそろ戻ってくるかも」

 この家自体の敷地は結構広いみたいで、裏に畑があってもおかしくないないって思ったね。

「ここにいたらまずい?」

「ええ、とっても」

 僕はそれでも不思議と落ち着いていたんだ。何となく、その人が怖い人には思えなくてね。

「君の話を聴いているとさ、まるで君が、その人に同情してそこにいるみたいだ。君自身の感情はどうなるんだい?」

「言葉が通じないのに、どうやって伝えればいいのよ」

 僕はこう言ったんだ。

「君には、爪や歯があるじゃないか。それを使って、拒否をすればいい」

「そんなことしたらかわいそうじゃない!」

 ネコさんは声を荒げたんだ。僕はびっくりした。それと同時に、羽根があの時みたいにぶるっと震えたんだ。それはあの時の、アリのアンくんを連想させたね。僕はまた、無頓着にまずいことを言ってしまったらしい。

「ご……ごめんなさい、私のことを思って言ってくれたのに」

 ネコさんは怒鳴ったことを僕に謝りだしたんだ。悪いのは僕なのにだよ。

「構わないさ、それより僕はあるものを探しているんだ」

「あるもの?」

 そう、それはネコさんのさっきの叫びからも感じたんだ。羽根が震えたんだよ、あの大きくて、優しくて、温かいなにかがあったからに違いないさ。

「いや、君に言ってもわからないさ」

「構わないわ。教えてよ」

 僕は渋々答えたんだ。

「大きくて、優しくて、温かいなにかさ」

 ネコさんは黙り込んでしまったんだ。当然さ、僕が探しているものは、抽象的極まりないものだったからね。

「ごめんなさい」

 当然出てきたのは謝罪の言葉さ。僕は別に気にしなかったよ。慣れっこだったからね。ただ、ネコさんはその後に違う言葉を言ったんだ。

「でも、何かを探している時に、前に来た道を戻るのも、一つの手段だと、私は思うわ」

「戻る?」

 それは僕にも予想外の答えだったんだ。進んでいれば、いつか辿りつくものだと信じていたからね。当然、僕が探していたものの正体にさ。

「そうよ、今まで来た道を、もう一度見返してみるの。そうすることで、今まで見えてこなかったなにかや、見逃したものと出会えることもあるはずよ。試してみる価値はあるんじゃないかしら」

 その言葉に僕は、とても賛成したんだ。それに僕には、もう一度会いたい存在もいたからね。だから迷わずに大きく頷いたんだ。

「ありがとう、そうしてみるよ。今までも何度か見えてきた気がしたんだ。案外戻ってみると、見つかる物かもしれないしね」

 僕はそう言って、羽根を広げて、山を出ようとしたんだ。ネコさんに背を向けて、振り返ることもせずにね。

「ねえ、カラスさん、待って」

僕が行く前に、そうネコさんは引きとめたんだ。

「よかったら、リンゴ、こっそり持って行きなさい。一個くらいならばれないわ」

ネコさんは僕に、さっきから魅力的なアドバイスばかり言ってくれるね。そう思ったさ。この子も旅の仲間にしてもいいとすら考えちゃったね。本当さ。それでも彼女には羽根がない。だから僕は諦める事にしたんだ。

「ありがとう、いただくよ、その前に一ついいかな」

「何かしら」

 僕はネコさんを見ながらこう言ったんだ。

「僕はカラスのジョンだ」

 ネコさんはおかしそうに笑ったんだよ。何一つおかしなことは言っていないのに。不思議な子だ。

「私は、ネコのパティよ」

 僕は頷いて、飛び立ったんだ。裏庭に向かって、たくさんある木の中から、リンゴを一個頂戴してからね。すぐには食べないさ。食べたい時に食べるつもりだ。そういうものだろう?

 幸い、パティの言う人間には出会わなかったから、僕はとてもほっとして、来た道を戻り始めたんだ。

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