第4話 カエルさん


 アリのアンくんに怒られてから、僕はしばらく、生き物と会うのが怖かったんだ。だから僕はすぐに、あの大きな建物の近くにあった、小さな山みたいなところに行く事にしたんだ。そこを拠点にして僕は過ごしていたんだ。

 山の中ってのは案外快適だったんだ。食べ物はあるし、自然もいっぱいで、島にいたころを思い出したね。雨の日はほら穴でしのげるし、晴れた日は木漏れ日が木たちの隙間から見えて、とっても温かい気持ちになったんだ。

 でもね、あの大きくて、優しくて、温かい何かを探す事だけはやめなかったよ? たまに僕のいる拠点の山に、叫びに来る人が現れるんだ。特に目的のない言葉もあれば、何かを伝えたいような言葉もあった。しっかりとは聞き取れなかったのが残念だったけどね。でも、その中でたまに、あの大きくて、優しくて、温かいなにかがあったような気もしたね。でも、それは触れる前に、遠くに消えてしまうんだ。悲しかったさ。だって、触れられそうで、触れられないことほど、悲しいことってあるかい?ないと思うね、僕は。

 そんな中で、僕は山の中にある、小さな池にやってきたんだ。山の裏側には、まだ行った事がなかったからね。

そこではね、ゲコゲコとカエルたちが合唱をしていたよ。そしてだよ?そこで僕は、またあの大きくて、優しくて、温かいなにかがほんの少しだけど、感じられたんだ。だけど、それはその合唱全体の声じゃ無いんだよ。

 合唱の声を槍みたいに例えるとするならさ、一本だけ飛びぬけて長い槍があったように感じられたんだ。一本だけの槍が、僕の羽根のところに飛んできて、かすったように感じたって言えば分かりやすいかな。

 しばらく合唱に耳を傾けていると、一匹のカエルさんが、全員にこう言ったんだ。

「全然駄目!男声パートは中途半端だし、アルトとソプラノのバランスも駄目!そんなんじゃ全国カエルケロケロコンクールなんて、夢のまた夢よ? もう……みんなやる気あるの?」

 大声でしかりつけたもんだから、その場はシンと静かになったんだ。それからだんだんとね、みんなひそひそと何かを言い出したんだ。

「なんなんだよあいつ、偉そうに」

「楽しく歌えればいいのにね」

「一匹だけなに熱くなってんだか」

 そこには誰も、カエルさんを支持する声はいなかったんだ。僕はなんだか切なくなったよ。僕とは全く関係ないのにね。それでも、さっきのカエルさんの言葉はとても熱くて、かっこよかったんだ。僕にはそう思えたね。だから、誰も支持しない事が寂しかったのかな。

 気まずい雰囲気の中で、しゃがれた声のカエルが静かに言ったんだ。

「じゃあ、今日は解散で……アマさん、今日もありがとね」

 しゃがれたカエルの声が、さっきの熱血のカエルさんに優しい言葉をかける。アマさんって呼ばれた熱血のカエルさんは、何も言わなかったんだ。やっぱり、怒っていたのかな。

 その時、がさりと草むらから音がしたんだ。

「きゃっ!」

 草むらから出てきたのは、一匹のカエルさんだった。その声は、さっきみんなに怒鳴り散らしていた熱血の声の主、アマさんと一緒だった。

「こ、こんばんは」

 僕は驚きを沈めてから、落ちついて挨拶したんだ。

「わわわ、私は食べても美味しく」

 どうやら怖がらせてしまったらしいんだな、これが。よく考えたら、カエルの天敵は鳥だったな。

「食べないよ」

 あいにく僕はグルメなんだ。カエルなんか食べられないよ。安心させるためにも、これだけは言っておかなきゃね。

「ほんと?」

「ほんとさ」

 アマさんと呼ばれたカエルさんは、どうにか警戒を解いたみたいに、体をだらんと脱力したんだ。僕も同じように安心したよ。アマさんから、あの大きくて、優しくて、温かいなにかのヒントがもらえるには、安心してもらわなきゃね。

「さっきの合唱、聴いていた?」

 アマさんは僕に言ったんだ。

「うん、僕は好きだけど」

「全然よ」

 アマさんはため息を吐いた。カエルの息なんて大したことなんてないけれど、他の草が少し揺れたような気がしたんだ。僕がそう感じただけかもしれないけどね。

「僕はカラスのジョン、よろしく」

「アマガエルのアマよ」

 僕等は暗い山の森の中で、簡単にそう自己紹介し終わったんだ。自己紹介から友達は始まるって、おじさんがよく言っていたよ。

「僕はね、あるものを探して旅をしているんだ」

「あるもの?」

「うん、それはね、大きくて、優しくて、温かい、なにかなんだ」

「ふーん、聞いたことないわね」

 それはそうだ。だって、僕が勝手にそう呼んでいるだけなんだから。

「見つかりそうなの?」

「さっき、ちらっと見えたんだ」

「どこで?」

「君からさ」

 そう、あの合唱の時、ほんの少しだけ感じた。僕の羽根が震えたんだ、間違いない。

「不思議ね、私は何かを出した覚えはないわよ」

「それでも感じたんだ。僕はそれの正体を知りたいんだ。君の話を聞かせておくれ」

「私の?」

「そう、君の」

 僕はそう食い下がったんだ。当然だろ? ヒントとなりそうなものがこんなに近くにあったんだから。

「私はね、ある日歌を聴いたの、人間のね」

「人間の?」

 僕と同じだ。それはあの子なのだろうか……分からない。

「今より離れた町だったから、どこでって聞かれても困るんだけどね……でも私はね、その子の歌を聴いて、自分もあんな風に、本気で何かを作り出したいって思ったの」

「それが、合唱?」

「そう、カエルは一匹で歌っても、なんの力もないから。だから私は、自分がいた町を離れて、合唱隊があるこの山にやってきたのよ。昔から、なんの取り柄もなくて、家族もいなかったからね」

「奇遇だね、僕もだ」

そんな事を言いながら、二人で笑い合ったんだ。

「それが来てみたら最悪。もう聴くに堪えなかったのよ。それでも私はこう思ったわ、この合唱隊を私が変えてやるんだって」

 アマさんは熱くそう語ったんだ。そして僕もまた熱くなっちゃったんだよ。ついつい感情移入しちゃうのが、僕の悪い癖だってことは、わかってはいるんだけどね。

「でもね、なんか……ずれているのよ。私の情熱と、他のメンバーのね。もともと、上を目指すつもりなんてなかったみたいだし」

 アマさんはそう言って、少し泣きそうな顔を浮かべたんだ。僕も泣きそうになったよ。カーカーって、大声でね。だから僕は、今自分が感じた素直な事を言ったんだ。

「がんばっている君は、かっこいいよ」

「かっこいい?」

「そう、かっこいい」

 僕は言葉をそのまま続けた。

「羨ましいよ」

「そんな、大したもんじゃないわよ」

「でもさ、何で君は、歌うの? その感銘を受けた女の子が、理由なの?」

 何に対しても、僕は理由を欲しがるんだよ。自分が納得できる世界であってほしいからなのかな。少なくとも、僕が生きているこの世界には、全て理由があるって信じたいんだ。そしてそれを理解したいって気持ちがある。わかるかい?

「うーん……理由を言ってもね、何か違う気がするの。全てが後付けになって、正しいものじゃなくなるかもしれないから」

 その言葉は、おじさんの「海の男だからさ」に近いように感じたんだ。だから僕は、思わず納得せざるを得なかったんだよ。

「他のメンバーだってね、だんだん成長してきているのよ? 前は音程すら取れてなかった子が、ちゃんとお腹から声が出せるようになっていたりとか、他にもね」

 アマさんは、それから他のメンバーがどれだけ成長したかを、僕へ一匹一匹説明してきたんだ。その表情と言ったら、とってもうれしそうで、楽しそうで、あの女の子の歌っている時の笑顔に、とても似ている気がしたんだ。だからまた、僕の羽根は少し震えた気がしたんだよ。もちろんその時にね。

「あら、ごめんなさい。少し、喋りすぎてしまったみたいね」

 しばらく喋り続けてから、アマさんは恥ずかしそうに僕にそう言うんだ。体は緑色なのに、ほんのり赤くなっている気がしたよ。かわいいなあって思っちゃったな。だから安心してくれって、君以上に素敵な子なんていないよ。

「大丈夫だよ、とても楽しかった」

「何か、助けになった?」

「もちろん」

 僕はまた、あの大きくて、優しくて、温かい何かに近づけた気がしたんだ。だけど、まだだ。まだ僕は到達できていない。おじさんに立派に報告できるようにしなければいけないんだ。

「よかったわ」

「これからも、がんばってね」

 僕はアマさんにそう励ましたんだ。僕にできる事は、それだけだからね。

「ええ」

 アマさんは、優しい声でそう言ったんだ。あの時の、怖い声とは大違いだ。

 それでも、アマさんはとても輝いて見えたんだ。あの時歌っていた女の子と、良い勝負だと思ったよ。

「あなたもね」

 僕まで励まされちゃったよ。まいったね、もう。

「何かを探すのに、同じところにとどまっちゃだめよ?」

 アマさんはそう得意気に言うけど、僕はこう反対したね。何て言ったかって?

「僕がここにとどまっていたから、アマさんに会えたんだよ?」

 ってね。そしたらアマさん笑いだしたんだよ。

「カラスのくせに、口が達者ね」

「そんなことないさ、思った事を言っただけだよ」

 そう言って僕は、妙に照れくさくなったから、さよならも言わずに空に飛び立ったんだ。

 寒い夜空の中飛んでいると、不意にこう思ったんだ。

 アンくんも、アマさんも、何か同じものがあった気がしたんだ。それがなんなのか、その時の僕には、わからなかったんだけどね。

 一人で星空が輝いている、雲一つない静かな夜空を飛んで、風を切るのは、妙に心地良かったよ。


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