第3話 アリくん

 おじさんと別れてから三日、僕はあの大きな何かを探すために、あてもなく飛び続けたんだ。人がたくさんいるところだって、もちろん回ったよ。そこで僕はたくさんの言葉を覚えたんだ。

 海から少し飛んだ所に、駅っていう不思議な建物があったんだ。そこには、大きな鉄の箱に人がたくさん詰め込まれて、みんなの行きたい場所へ向かうんだよ。もちろん降りてくる人もいる。その人たちの目的地は、ここなんだろうなと、僕も理解できたさ。

 そして、その箱の名前が、電車って言うのも知れたんだ。おじさんはいけずだな。これくらい僕にも教えてくれたっていいのに。

 たくさんの人が海の魚みたいに交差するなかで、僕はあの日あの子から感じた、大きくて優しくて、温かい何かがないかって探したんだ。

 でもそこでは感じる事ができなかったんだ。その代わりに、あのたくさんの人たちから感じたのはね、冷たくて、悲しくて、寂しいなにかだった。それはあの子から感じられてものに、ほんの少しだけ近くも感じたんだけど、やっぱり全然別物だった。だって、羽根が全く震えないんだもの。あれじゃない。絶対に。

 その間、他のカラスたちにも当然声をかけられたんだ。中には乱暴な奴もいたけど、食べ物をわけてくれるようなやつもいたんだ。彼の事は、絶対に忘れないよ。

「ここは危険だぜ? 他所者。俺がいたからよかったな」

 そのカラスくんは、ゴミ箱からいくつか生ごみを取り出してきて、僕にくれたんだ。おじさんのえさの方が、ずっと美味しかったけど、ぜいたくは言えない。

「困った時はいつでも言いに来い」

「うん、ありがとう」

 僕はそいつにとっても感謝したよ。ここ三日、誰とも口を聞いていなかったからね。

「ところでお前さん、なにしにこんな辺鄙な町へ?」

「探し物があるんだ」

「探し物?」

「うん、それはとても大きくて、優しくて、温かくて、強い何かなんだ」

「はあ……ここに俺もいて長いが、聞いた事がねえな」

 そのカラスは申し訳なさそうに僕にそう言ったんだ。優しいやつなんだなって思ったさ。カラスってのは下品で乱暴なやつが多いからね。彼のように義理がたい奴は珍しいのさ。

「ここら辺のことが聞きたいなら、いつでも来い。待ってるからよ」

「わかった」

 僕はそう言って、そいつに頭を下げたんだ。名前がないらしくて、なんて呼んだらいいか分からないんだ。

 すると、バサバサと羽根の音が遠くから聞こえたんだ。見るとカラスがたくさん集まって、僕等の方へ飛んできていたんだ。「おーい!」って声までしてきたよ。

「ったく、人気者は辛いぜ」

「友達?」

 咄嗟にそんな言葉が出た。

「……そんなに良いもんじゃねえよ。あいつら全員と気が合うわけじゃねえ。いいやつもいれば悪いやつもいる。正直一緒にいてしんどいやつもいるんだ」

「じゃあ、何で?」

 関わりたいカラスにだけ関わっていたらいいのに。何で彼は、わざわざしんどいことをするんだろう。僕にはそれがよくわからなかったんだ。

「いつかよ、あいつらが俺を助けてくれるかもしれねえだろ?」

「それが、理由なの?」

 僕が訊き返すと、彼はなにも言わずに黙り込んでしまったんだ。何かを考えているようだったんだ。なにを考えているか、ただのカラスの僕には、分かるわけがなかったんだ。

「さあな」

 そう言って、彼は飛び去って行ったんだ。

 いつか僕は、彼とまた会いたいなんてことを考えちゃった。恥ずかしいなあもう。僕は駅から離れて、別の場所へとはばたく事にしたんだ。近くに何か、僕が探すものがないかなって思いながらね。

 空を飛んでいると、駅に負けないくらいの大きな建物があったんだ。その建物の周りには、大きな草が一本も生えていない広場があったんだ。その周りには、木が何本か生えていて、小さな森をつくろうとしているようだったよ。島からきた僕には、それがどうにもこうにも、間抜けに見えてしまったよ。

 こんなに広いのに、人が一人もいないのは変だと思った僕はね、建物の窓に近づいてみたんだ。すると、小さな子供が小さな部屋に集められて、みんな何かを必死に書いているんだ。あんなことをしてなにが楽しいんだろう。不思議なんてもんじゃない。おじさんの笑顔くらい不気味だったよ。

 他の部屋も、おんなじようにみんな紙に何かを書いていたんだけれど、一個の部屋だけ、みんな机には座らないで、立っているところがあったんだ。

 そこには、あの時あの子が持っていた、歯みたいに白黒のガッキがあって、子どもたちは、立ったまま、全く笑わない怖い顔で歌を歌っていたんだ。何で、あの時のあの子みたいに、素敵な何かが出ていないんだろう。僕はこの部屋を見た時、ちょっとでも期待していたのに。その子どもたちからは、なんにも出ていなかったんだ。さみしかったよ、凄くね。

 みんなにも、あの子の歌を聞かせてあげたいって思ったな。多分、みんな自分の歌がとても恥ずかしいものだったって気がつくはずさ。

 ああ、あの子にもう一度会いたいなあ。

 そう思いながら僕は、羽根を休めるために、島の出来そこないみたいな木が植えられているところに降りたったんだ。すると、そこにも生き物がいたんだよ。

 僕みたいに真っ黒なのは同じなんだけど、とっても小さいんだ。島でも僕は何度か見た事がある。これはありさんだ。

 ありさんは、いっつもたくさんのグループで動くもんなんだけど、僕が出会ったこの子は違ったんだ。一人ぼっちだったんだよ。

 しかもその一人ぼっちのありさんは、とても大きな種を運んでいたんだ。仲間と一緒に運べばいいのに、なんでこんなに頑張っているんだろう。

「こんにちは、ありさん」

 退屈だった僕は、思わずありさんに声をかけたんだ。

「こんにちは、カラスさん」

 ありさんは、元気な声で返事をしたんだ。まだ幼い、男の子みたいだ。

「僕の名前は、ジョンだ」

「ジョンさん、いいお名前ですね」

 ありくんは幼いのに、礼儀正しい男の子だったんだ。ああ、かわいかったさ。勘違いしないでくれ、僕には君だけなんだから。それに僕は男の子より女の子の方が好きだしね。

「僕の名前は、アンと申します」

 アンくんも僕みたいに、礼儀正しく自己紹介をしたんだ。

「アンくんか、よろしくね」

 アンくんは、運ぶ作業を一切止めずに、僕と会話しいてたんだ、大したもんだよ。

「ところで一個訊きたいんだ」

「なんでしょうか」

「どうして君は、たった一匹で、そんなに大きなものを運んでいるんだい?」

 アンくんは僕の質問に対して、なんだそんなことかというふうに、簡単にこう返したんだ。

「認められるためですよ」

「認められるため?」

「はい、僕には、兄弟がいっぱいいるんです」

「へえ、羨ましいな」

 僕には家族がいないんだよね、これが。気が付いた時から、おじさんと船に乗っていたんだ。だから、僕の家族はおじさんみたいなものなのさ。

「みなさん、どのお兄様も、とても優秀で、力持ちで……みんなからとてもとても頼りにされているんです」

「そいつはすごいな」

 僕には経験のないことだったからね。誰かに頼りにされるなんていう素敵な体験は。

「それで、僕にも、一人でできるんだってところ、見せてやるんです。そして、僕を認めさせるんですよ」

 アンくんは、得意気に僕にそう言ったんだ。

「すごいな、僕は、認められたいって、そんな大層なこと」

 考えもしなかった。そう言おうとしたんだ。だけど、何かがひっかかったんだよね。この旅をすることで、あの大きくて、温かくて、優しい何かを見つけることで、僕は誰かに認められたいんじゃないかってね。でも、その辺りが、僕にはよくわからなかったんだ。自分の事なのに、笑っちゃうよね。

「どうしたんですか?」

 アンくんが、心配になったのか僕を小さな体で覗き込んできたんだ。僕は慌てて首を振ったよ。

「ううん、なんでもない」

「そうですか、とにかく僕は、認められるために、自分を追い込んでいるんですよ」

 素直に僕は、アンくんをかっこいいって思ったんだ。

でもね、僕はそのアンくんに何かしてあげたいって思ったんだ。

 そして、ほんのちょっとだけ、羽根で大きな種を押しだしたんだ。するとアンくんのやつ、こう言ったんだよ。

「何で余計なことするんですか!僕一人でやらないと意味がないんです!」

 アンくんをとても怒らせてしまったんだ。僕は堪らなく申し訳なくなって、そのまま空に飛び立ったんだ。

 でも僕は、アンくんと話している時に、ほんのちょっぴり感じたんだ。

 あの歌の女の子の、大きくて、温かくて、強い何かに近いものをね。もしかしたら、思い違いかもしれない。だけど、僕の羽根が、少しだけぴくりと動いたのは、確かだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る