シャバの空気(平成31年1月23日)

私は泳げない。三十八年間、温泉に入ったこともない。


一番古い記憶のひとつは、幼稚園の先生に詰め寄る父の姿と、今にして思えばきっと二十代前半の女の子であったであろう先生の、怯えた瞳である。迎えに来た父に、みんなでパンツ一丁で水遊びをしたことを話してしまったのは私だった。不思議なもので、水遊びの時の記憶自体は残っていない。


それが男手ひとつで娘を育てることになった自身の境遇に対する過度な気負いだったのか、あるいは小児性愛の気があったのか、今となっては知る由もないが、父は私の肌が人目に触れることを極端に嫌がった。幼少期から、半袖、短パン、ミニスカートとは無縁で、夏でも長袖、長ズボンが当たり前だった。地元の公立小学校に長袖長ズボンで通い、一生懸命勉強をして、制服のない中高一貫の私立校に合格した。自由な校風をモットーとする女子校に六年間、やはり長袖長ズボンで通い続けた。小中高の十二年間、プールの授業を見学し続けた。保護者から一筆もらえば、それは思いのほか簡単に実現した。私の場合は「もらった」わけではないが。


幼い私は特に疑問を抱かなかった。腕を出し、ミニスカートをはいて廊下を駆け回り、水着を着てプールで遊んでる同級生の女子達の方が無邪気で不用心だと思っていた。中学からは、同級生たちは流行を追ったり、自分なりのファッションを追求したり、服装に極端に無頓着だったり、あえて友達のグループだけで制服を着てみたり、制服のない女子校での自由を様々な形で謳歌しはじめた。相変わらず肌を覆い続ける私には、しかし、そうした自由を羨む時期は訪れようがなかった。当時、私の憧れはすでに、その遥か先に輝いていたからだ。


あれは小学校三年生の頃だった。父の留守にこっそりテレビを点けてはNHK以外のチャンネルを見る、というスリリングな悪行に目覚めていた私は、今にして思えば、同級生のファッションを羨み始める寸前の段階だったと思う。その日は今までにないほど父の帰りが遅れ、夕方のアニメを通り越して、ついにゴールデンタイムのバラエティ番組に突入してしまった。いつ父が帰ってくるかわからないという緊張感も相まって、私の興奮が頂点に達した時に、彼は画面に現れた。


全裸だった。股間こそ修正されているものの、スキンヘッドの男が、全裸で野原を走り回っていた。


私は打ち震えた。その時はじめて気がついた、いや、もっと前から気づいていたのに、気づいていないふりをしていた、見て見ぬふりをしていたのだ。ああ、私は不自由だったんだ。ずっと檻の中にいたんだ。右手に握っていたリモコンを、鉄格子を掴むようにギュッと握りしめた。そして、確信した。私が欲しいのはこれだ。背後のドアの向こうから、玄関の鍵が開く音がした。


当時の私なりに何事もなかったかのように振る舞ったつもりではあったが、やはり父は何らかの異常を感じたらしく、我が家からはテレビがなくなった。結局、私は彼の名前も知らないままだ。おかしな話かもしれないが、興味もない。あの瞬間の彼は、私の脳内で走り続けている。すべてを脱ぎ捨てて。名前なんて必要ない。彼のすべてを手に入れたような気分だった。


私にとって、すべての服は平等だ。高かろうが安かろうが、イケてようがダサかろうが、露出が多かろうが少なかろうが、「着ている」という一点において等価だ。私達は全員牢獄にいて、彼だけが塀の外を自由に駆け回っている。囚人服に優劣はない。塀の内側での生活が長くなるにつれ、私の中の彼の記憶は鮮やかさを増し、自分自身の人生に対する感心は色褪せていった。大学を何となく卒業し、私は何の感慨も抱かず白衣に袖を通し、カーディガンを羽織り、実家の隣の歯科クリニックで父を手伝いながら日々をやり過ごした。


そうして十五年以上経ったある日、高橋さんの奥さんが診療に訪れた。それ自体はいつものことだ。しかし、彼女は近頃にしてはずいぶんな薄着でやってきた。普段の冬みたいだ。入り口でそそくさと靴を脱いで、スリッパを履かずに受付に来て、黙って診察券を差し出してきた。町会の理事も務め、夫は区議会議員、息子二人を東大に入れたのが自慢の彼女は、いわば一番刑務作業に熱心な部類の人間だ。私に対しても毎回愛想を振りまくことを忘れず、軽い世間話くらいは必ず挟んでくるし、未だ懲りずにお見合い写真も定期的に持参してくる、そういう人だ。


「あの、どうかされましたか…?」

「いぇ…」


高橋さんの奥さんは、少し虚ろな目をしてぼそりと答えた。いつもなら微かに覗くはずの真っ白な歯も見えなかった。小さなバッグを抱えた左手は、完全に鬱血していた。ああ、縛って止めてるんだ。この期に及んでまだ、模範囚であろうとしている。でも、もうあと数分も保たないだろう。今すぐ発症したっておかしくはない。


「下半期のインフルエンザが大学と紹介なのに会ってみない?」


急にはっきりとそう言った。さっきよりも滑舌も姿勢も良くなっていたが、言葉が壊れていた。私は何となく、いつものように診察室のドアを開け、いつものように父に一声かけてから、高橋さんの奥さんを通した。軽く頭を下げる父と、会釈する高橋さんの奥さんの姿を見送りながらドアを閉め、そのままクリニックを出た。


父の用心深い性格のおかげで、それからの一ヶ月ほどは割りと暮らせた。水や保存食、予備の燃料やバッテリー、生理用品まで、どこかで大きな災害があるたびに買い込んでいた防災用品の数々をありがたく活用させてもらいながら、私は家から一歩も外へ出ずに、塀の内側が破綻していくのを感じていた。電気が止まり、ガスが止まり、水が止まり、外からの物音が止んで、家にはゴミが溜まっていった。


そして今日、たった今、気がついた。私はこの間、ずっと服を着ている。あの日、白衣から着替えた、長袖長ズボンのスウェットの部屋着をずっと。家に一人で、石油ストーブもまだ使えて、誰かが訪ねて来る可能性なんてとっくに無くなっているのに、この期に及んで。塀が壊れていく様を塀の内側で呑気に見学していた私は、高橋さんの奥さんと大差ない、根っからの囚人だったのだ。でも、もういいんだ。そうだ、もういいんじゃないか。たまらなくなって、私は外に飛び出した。


家の前の道路は閑散として、閉園したテーマパークのように建物だけが並んでいる。靴下を脱いで足を地面につけると、アスファルトから鋭い冷気が伝わってきて、気持ちがはやった。スウェットと下着を急いで脱ぎ捨て、私はついに外で全裸になった。ものすごく寒い。あてもなく歩き始めると、空からチラチラと雪が降ってきた。その結晶が一粒、一粒、自分の肌に着地し、染み込むように溶けていく。それに連れて段々と歩く速度が速くなり、鼓動が高鳴り、白い息を吐き出す回数が多くなって、ついに全力疾走を始めた頃、混雑した駅前の商店街が前方に見えてきた。私は構わず、一直線に疾走した。一月の冷気を切り裂くように。その数歩先を走る彼の姿が、私には見えていた。

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