第1章 秘密⑥
「妃望さん、学校はいかがですか?」
私の正面に座るその人は、とても優しげな雰囲気をしている。
柔らかなその顔に、山吹色の着物がよく似合う。
だけど、その瞳は、
「とても充実しております。お祖母様」
私への憎悪に満ちている。
この人と居る間、私は呼吸の一つすらも見られている気持ちになる。
ううん。実際見られているのだろう。
「一度、成績が落ちていますが」
その問いに、余計なことを思い出しそうになる。
「体調を崩してしまい……。申し訳ありません」
オッサンのせいだ。テスト勉強を邪魔された週末のことを悟られないように、頭からかき消す。
「体調って……滝本さん、あなた何をしているの?」
お祖母様の視線が私の横に座る友美さんに移る。
「私は、ちゃんとやってるわ!」
友美さんが苛立ちを露にするから、私は慌てる。
「あの、本当に私の自己管理不足です。でも、次のテストではもとの順位に戻れました」
「当たり前です」
息が、詰まりそうだ。
食事を終えた私たちは、お祖母様に連れられて高級店が揃う老舗百貨店に足を踏み入れた。
こんなときにしか来ない場所。
そこでお祖母様は、私に幾つもの洋服を見立てては買い与える。
その数は両手に収まりきらず、金額だって見るのが恐ろしいものばかりだ。
一体いつ着ればいいのだろう。
着せ替え人形のような私を、何かに取りつかれたように見るお祖母様と、心底退屈そうに見る友美さん。
本当に、変な「家族」。
最後に着たのは、真紅のワンピースだった。
綺麗に絞ったウエストからふわりと広がる裾は膝が隠れるくらいの丈で、女性らしくて大人っぽい雰囲気になる。
どう見ても私には似合わない。
「それを着ていきなさい」
「え?」
「あなたに似合うわ」
ニコリともせずに言うお祖母様に従うしかない私は、鏡に映る自分を見る。
滑稽だ。
「あなたが滝本さんに感謝するとしたら、その容姿ね」
そんな私に、お祖母様が背中を向けたまま話しかける。
「容姿?」
「それ以外は何もないわ」
鏡の中に、お祖母様を睨む友美さんが見えた。
変な人たち。
でも、この人たちの「家族」である私の中には、このドレスと同じ色の血が流れている。
嘘。もっと醜い赤だ。
「それじゃあ、私は帰ります」
百貨店を出ると友美さんがそう言った。
「相変わらずお忙しいのね」
「大きなお世話よ。お金、頼んだから」
「下品な人」
お祖母様が顔を顰める。
その後ろに見えた車に気づき、声をかける。
「お祖母様、お迎えが見えました」
あれは薊の車だ。もう何度か見て覚えた。
「今日はありがとうございました」
私は深く頭を下げる。
そんな私に、その人は何枚かのお札を差し出した。
「タクシーを使いなさい」
両手が紙袋で塞がっていることもあり、受け取ることを躊躇っていると、伸びてきた手が勢いよくそれらを掴んだ。
「ありがとーございます」
そう言った友美さんを見たお祖母様は、それ以上何も言わずに車に向かい歩き出した。
「本当に感じの悪い人!」
友美さんは掴んだお札を一枚、私の手に握らせる。
「一枚で充分でしょ?」
「あ、はい」
「そういえば、あんた最近週末に出かけてる?」
「え、」
思いもよらなかった問いに、私は答えに困る。
「この前、昼間に帰ったら居なかったでしょ?」
背中を変な汗が伝う。
「あ、あの学校で最近、休日も補習みたいなのがあって、今年は受験もあるから、それに参加してるの」
上手く吐けたかわからない嘘に、手が震える。
「あっそ。それならいいけど、私に迷惑かけたら許さないから」
その瞳に、愛情を感じたことなんてない。
「わかってます」
私の答えを聞くと、母親であるその人は私の横を通り過ぎていった。
早く、戻ろう。
乗り込んだタクシーの中は、紙袋でいっぱいになった。
鞄からハンカチを取り出す。
それを握り締めて、思いっきり息を吸った。
ハンカチから感じる香りに、私は瞼を閉じた。
早く。
「早かったな」
開けられた扉に、素早く身体を入れる。
「すげえ荷物」
いつも通り、だらしない部屋着姿の男が煙草を吹かしながら私を見る。
「てか、似合わねえ格好してんな」
玄関に紙袋が落ちる音がする。
「って、おい」
履き慣れないパンプスを脱ぎ捨てた私は、口元の煙草を奪い、唇に自分のそれを押しつけた。
両手を首に巻きつける私の腰を右手で支えたオッサンが、私の指から煙草を取る。
「何発情してんの?」
唇の隙間から、男が余裕の声を出す。
「オッサン、」
「ん?」
「抱いて」
そう言った私に、その唇が動くのがわかる。
「ババアたちに苛められたか?」
オッサンの髭が耳朶に当たる。
「うん。だから慰めて」
そう言った私の身体をオッサンが抱き上げた。
その行動に、抵抗することなく唇を求めると、オッサンは歩きながらもキスをしてくれた。
なんで、ここに居るのかもわからない。
寝室に入ると、乱暴に身体を下ろされた。
ベッドに沈む私に馬乗りになったオッサンは、着ていたスウェットを脱ぎ捨てる。
もう見慣れた身体が、私に覆い被さる。
「許せないよなー、ヒノにこんな可哀想な顔させて」
サディスティックな笑みが私を見下ろす。
「だいたいさ、ヒノ苛めていい人間って」
あの“家族”が私にとって悪魔なら、
「俺以外にいらなくない?」
この男は私にとって、
「うん。もっと苛めて」
「ああ。全部忘れるくらい、慰めてやるよ」
天使だ。
オッサンの大きな手が、真紅のワンピースの上を撫でた。
「この服とか、趣味悪くね?」
「ン、ン」
「そのババアはさ、お前の年齢わかってるのか?」
「ハア、ン、オッサ、ン」
「あーすっげ、てかエロ」
「待っ、やあンン!!」
「あーあ。またイッた? じゃあ、次これな」
「も、無理」
私の言葉を無視して、私がイく度にオッサンは紙袋の服を順番に着せた。
新品の服たちが、オッサンによって汚されていく。
「は、んん」
「お前、今日やばくない?」
「な、に」
「また痙攣してる。マジで気持ちいい」
おかしくなっていく身体を感じながら、その背中にしがみつく。
「てか、俺もやばい」
「や、今ダメ」
「ダメって言われても、ヒノちゃんが離さないからね~」
「あ、また、」
「あーそうだ、最初の赤いのまた着てよ?」
耳元で囁くオッサンの動きが、私を急かすように速くなる。
その動きに、限界が近づく私の目からは涙が零れ出した。
それでもまだ解放してくれない男の顔が、楽しそうな笑みを作る。
「あれが一番、興奮した」
唇が、深く重なっていく。
このまま、消えてなくなればいいのに。
遠のく意識の中で、その温もりだけが私を繋ぎ止めた。
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