第1章 秘密②

「来週は、来ないから」

「あ゛?」

私の首筋に顔を埋めるオッサンにそう伝えたのは、中間テストが近づく月曜日の早朝だった。

まだ微かな音しかしない世界。

普段は聞こえないような鳥の声が、静かに響く。

空にはきっと、月がその姿を残しているであろう。そんな時間。

「来週はテストなの」

「……」

「だから、会えないよ?」

「また、ここで勉強すればいいだろ」

私を見ることなく、その手と舌が肌を撫でる。

「やだよ。前にそうしたら散々だったもん」

「俺のせいじゃないだろ」

「オッサンのせいだよ! 私、あんな点数初めて見たもん!」

「お前の頭が緩いだけだ」

「オッサンよりは頭いいし! それに私、受験生なんだから!」

「あーそう。わかったから黙れよ」

オッサンはそう言い、ようやく私を見た。

睨む私の顎を、その手が掴む。

「時間ねーんだから集中しろ」

「は?」

「だから、さっさと濡らせって言ってるんだよ」

「ふ、ン!」

理不尽な苛立ちをぶつけるように、唇が塞がれる。

なんか、ムカつく。

「そんなの、オッサンのせいでしょ?」

「あ゛?」

鋭い視線に負けないようにオッサンの肩を強く押し、身体の下から抜け出す。

「疲れてるんじゃない? だから私を気持ちよくできないんだよ」

「は?」

「ついでに言うと、その次の週も来ないから」

オッサンに背中を向けて、シーツの中のパンツを捜す。

「てめぇ、ふざけんな」

「生理だ! ばーか!!」

振り返り、その顔に向かって舌を出した直後、重なった視線に、私は酷く後悔した。

声を上げる間もなく捕まった私は、気づいたときには再びその男の下に居た。

「ん、んんん!!!」

口内を、厚みのある舌が遠慮することなく動き回る。

唇から流れる唾液が、どちらのものかなんてわからない。

同時に、先ほどまでとは比べ物にならないくらい執拗に、オッサンの指先が動く。

その動きに、自分の発言をまた後悔する。

そんな私に気づいたのか、唇を離したオッサンが、ムカつくくらいの笑みを浮かべて私を見下ろした。

「せっかく人が手加減してやってるのに、調子に乗るんじゃねーよ、クソガキ」

「な!!!」

「学校行けなくなっても俺のせいにするなよ?」

「え、」

「子供が大人を挑発するもんじゃないってこと、お前の身体に教えてやるよ」

「待っ、や……っあ!」

オッサンの指が、ゆっくりと進んでいく。その動きに合わせるように震える身体を、コントロールできない私の目から涙が零れた。

そんな私の耳に、オッサンの舌が触れた。

「ん、ひゃあ!」

「聞こえる? ヒノちゃん」

そう言われて聞こえるのは、さっきまではなかったはずの水音。

部屋に響くそれが、何かなんて説明されなくてもわかる。

「もしかしてヒノ、こういうプレイが好きだった?」

「ちがっ!」

「わざと俺を怒らせて、攻めてもらいたいとか思った?」

「違う! や、もう、ンンン!!!」

長い指が、私の中を動く。

まるでそこが、自分のものであるかのように。

「そうとしか思えない濡れようなんだけど、ヒノちゃん」

「ううう、ダメ、あ、あ、あ」

脳みそが溶けるような感覚に、私は必死でオッサンの髪を掴む。

「だいたいさ、そういう予定は前もって言っておけよ? そのための予定だろ?」

言いながら身体を離したオッサンの手が、私の脚を持ち上げた。

「俺がなんでこんな朝っぱらからお前抱くか、わかるか?」

「あ、ん、月曜、日だから」

私の答えを、オッサンが鼻で笑う。

「わかってるなら、面倒なことすんじゃねーよ」

恥ずかしいくらいに濡れた指を見せつけるように、オッサンが舐める。

「お前がイッても抜かないからな」

言われた瞬間、ゆっくりと押し寄せる感覚に、私はまた声を上げた。

「ん、や、気持ちぃ」

「最初から素直にそう言えよ」

蔑むように笑いながら、オッサンの手が私の胸を包む。

与えられる刺激に、全てがどうでもよくなる。

「てか、再来週もダメって、次いつだよ」

私を揺らしながら喋るオッサンの声なんて、半分も聞こえない。

「あ、あ、も、ダメ」

限界が近づくのを感じて、無意識にその顔に手を伸ばす。

それに気づいたオッサンが、私に唇を寄せる。

「イきたい?」

何度も頷く私をオッサンが満足そうに見る。

直後、さらに深められた熱に、私は声も出せずに身体を震わせた。

「悪いけど、オジサンまだ元気だから」

遠のきそうな意識が、その低い声に呼び戻される。

動かない身体を強引に掴まれ、体勢が替わると同時に、背後から感じる重みと圧迫に、また感覚が甦 った。

「あ、ン」

「相手しろよ、ヒノ」

朝陽が射し込み始めた部屋に、シーツが波を寄せた。


月曜日、オッサンはいつも余裕がないくらいに私を抱く。

許される時間のギリギリまで、私はその欲望と繋がり続ける。

「やばいよ! もうこんな時間!!」

ダルい身体を慌てて動かしながら服を着る。

そんな私を、煙草を咥えながらオッサンは笑う。

「笑うな! 変態!」

その顔に枕を投げつけて玄関に向かう。

「たぶん、まだ帰ってねーよ」

「本当?」

「たぶん、な」

「……」

ムカつく笑みを見せる男が、私の後ろを追うように玄関まで来る。

「勉強飽きたら来てもいーからな」

睨む私の顔を、オッサンの指先が撫でる。

「絶対来ないから!」

「ふーん」

「もう行くから!」

それを合図に、オッサンの腕が私の腰に回る。

つま先を立てて背伸びをした私の身体を支えるオッサンの舌は、来たとき同様に苦い。

「またね」

身体を離そうとした私の耳元に、オッサンが近づいた。

「ヒノ以外の女、抱いてもいい?」

「……え?」

予想していなかった問いに首を傾げる私の頬を、その舌が辿る。

「2週間以上って、さすがに長くない?」

なんだ、そういうことか。

質問の意味を理解した私を、オッサンが覗き込む。

「駄目?」

意味がわからない。

「別に、いいんじゃない?」

なんでそんなこと、聞くのだろう。

「変なの」

そう言った私を、オッサンが馬鹿にしたように笑った。

「お前、どうかしてるよな」

「……」

「俺のせいか」

その顔が、悪魔のような笑みを作る。

「忘れた」

始まりなんて、もう忘れた。

ゆっくりと、身体を離して背を向ける。

「じゃーな、ヒノ」

その声に、返事をしないまま部屋を出た。

二つの扉の音が、月曜日のマンションに静かに響く。


家に帰ると、オッサンの言った通りあの人はまだ帰っていなかった。

急いで部屋から制服を持ち出し、浴室に向かう。

少し熱めのシャワーを浴びると、一瞬だけ煙草の匂いが広がる。

それを洗い流しながら、身体中についた小さな跡に顔を顰める。

つけないでって言ったのに。

浴室を出て、制服に着替えていると玄関の鍵が開く音がした。

帰ってきた。

慌てて部屋に戻ろうと廊下に出たとき、その人と目が合った。

「あ、」

“おかえり”と、声に出す前に通り過ぎていった。

背中で、扉の閉まる音がした。

ゆっくりと、深呼吸をする。


早く、行かなきゃ。


部屋に戻り鞄を掴むと、まだ乾いていない髪のままマンションを飛び出した。


金曜の夜に家を出た母親は、月曜の朝に帰ってくる。

どこに行っているのかも、誰と何をしているのかも知らない。

そしてあの人も、娘である私がどこで何をしているのかを知らない。

ううん。

あの人は、私が家に居ると思っている。

きっと受験勉強でもしながら、一人で過ごしていると。

だけど本当は、週末が来る度に、隣の男の部屋に抱かれに行っているなんて知ったら、あの人は、どんな顔をするのだろう。


理由なんて、そんなものだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る