第2話
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そうして私は不承不承、父の遺骨を引き取りに行った。モロモロのお役所らしさを漂わせる面倒な手続きが山とあって、印鑑押しと書類書き、その合間合間に「お身内の突然のご不幸で」や、「お悔やみ申し上げます」の決まり文句を連発されたが、白布に包まれた箱を手に「コレは果たして私が引き取るべき筋なのか?」とか、確かに戸籍上の父ではあるが、心情としては「他人よりも遙かに遠い」とさえ思ったりした。妻子を捨てた男の骨だ。十五年前、多額の借金だけを残してふつりと消えた男の骨。さぞかし軽薄に軽かろうと思っていたのに、一抱えあるこの箱は私の膝を占領して重かった。
ずっと行方知れずだった父は、茨城のなんとかという児童公園で死んでいたんだそうである。滑り台の端っこで、ずだ袋を膝に抱え込むようにして座っていた。遊具で遊びたい子どもが「あのおじいちゃんがどいてくれない」と、母親に言いつけて、その後、救急と警察が呼ばれた。小さな町の小さな騒ぎ。
いつもは人影もまばらな児童公園に集まる沢山の人だかり。子ども、お母さん、そして老人。ポケモンよりお天気の話より健康問題より随分面白い話題だと語り合ったに違いない。それとも、眉をわずかにひそめつつチラリと見て、みな足早に去ってしまったんだろうか。父とは所詮が死体になってもその程度の人間だったか。
事件性はなかったそうだ。よくある浮浪者の行き倒れ。唯一の所持品のずだ袋には身元を示すものはなかったらしいが、一つだけ、女性名義の古い銀行通帳が入っていた。私の祖母――つまり、父の母親――のものだ。お婆ちゃんの生前は何度も金の無心をしたらしい。そこから辿って、警察は先ず父の弟に連絡を取った。祖母は既に亡くなって、家は叔父が継いでいるのだ。遺体の引き取りを促された叔父は「冗談じゃない」と言ったらしい。
「冗談じゃない。兄には成人した一人娘がいます。そっちに引き取らせてください」
冗談じゃないのはこっちも同じだ。父が失踪したのは私が十五の時だった。今更生きている父も要らないし、死んだ父も必要ない。
それでも、誰かが引き取ってくれなくては困ります、と警察。それは確かにそうなのだろう。縁とゆかりがあってさえ不要なものを縁もゆかりもない警察が要るわけがない。
■
ゴトンゴトンと電車が揺れる。向かいの窓に映るビルとビルの間から切れ切れに秋の夕陽が差してきて、白地の布をこれ見よがしに目立たせる。無意識に黒の上下の服を選んだことも白い包みを強調していた。周囲の目がこちらをちらっと盗み見ては離れていく。私は紙袋だの風呂敷だの旅行鞄だの、とにかくこの膝の上のお荷物を人目から遮る何某かを用意してくる知恵の湧かなかった自分に心の中で舌打ちをする。父が死んだ。あの父が死んだ。
どうしようか。
私は思う。引き取らされてしまったが、コレ、イラナイ。
警察とのやり取り中は強く実感が湧かなかったが、今こうして抱いているものの重みを知ると嫌悪が募る。払い落としてしまいたくなる。周囲の目さえなければ……。電車はもうじき私の住む町に着く。
電車の中の忘れ物を特集したテレビ番組を観たことがある。定番の傘、帽子、季節を感じるマフラーや手袋。そして珍しい忘れ物というので、なんと骨壺があったのだ。あの時は、そんなものを忘れるなんて随分と間抜けで薄情な人がいるんだなぁと思っていたが、なんの。そうじゃなかったんだな、と今になって腑に落ちた。要らない厄介なお荷物を忘れたふりで捨てたのだ。きっとそうだ。違いない。私は上を見上げる。網棚のなんと魅惑的なスペースよ。
前に立つ人と目があった。私を見、白布の箱をちらっと見てから目を逸らす。その後もちらちらとこちらを伺っている。野球帽を被った男の人。革ジャンを着ている。競馬の帰りかもしれない。新聞紙を小脇に抱えている。私はとにかくこの膝の上のお荷物を人目から遮るものが欲しい、と切に思う。骨壺がもっともっと小さければ良いのに。そうしたら犬の糞の様に新聞紙にくるんでやるのに。網棚に置いて去ってやるのに。父は私を捨てたんだから、今度は私の番である。因果応報でいいじゃない。
駅に着いた。私は箱を抱えて降りる。ドアを抜ける時、夕暮れの強い日差しが私を射た。眩しいのは、疚しく、口惜しく、腹立たしいことだと思った。
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