タマしい
宇苅つい
第1話
■■1
要は電話に出なければ良かったのだ。受話器を取ってしまってから毎度のように後悔する。化粧品の売り込みだったり、無言だったり、変質者だったり、間違いだったり。ロクな電話の試しがない。大体、親しい人からは携帯の方に掛かるのだから、いっそ家電話は解約してもいいくらいだが、そうはし辛い思い出がある。引っ越しで今の番号になった時、母が、
「ねぇ、瞳子。8989だって。ワクワク番よ、覚えやすいしいい番号ねぇ。いいことあるといいわねぇ」 と言ったのだが、その頃は私にとっても母にとっても人生最悪の時期だった。父が突然居なくなった。借金取りに追われたり、父の実家とゴタゴタしていた。なにせそんな風だったから、私はのほほんと電話番号ごときのゴロアワセに屈託なく微笑む母に「何をのんきな」と呆れもしたし、「強い人だな」と感じ入りもした。そういう思い入れがあるものだから、母がガンで逝ってしまっても、解約も市外への引っ越しもずっと出来ずに今までいる。
ワクワクの電話機が鳴ったのは昨日である。
「藤田さんですか。こちら茨城県警ですが」
『警察』と聞いてドキンとした。特に思い当たるでもないのに、疚しい気持が湧いてくるのは不思議なことだ。
「ヒトミコさん……いや、えーっと」
警察の人は書類を持ちかえたようだった。電話越しに紙の擦れる音がする。職場でも課長がよくやる。顔から離して目を細めつつ書類の文字を読むのだ。もう老眼かなぁ、なーんて。そんな時、シゲさんが言うのだ。「課長、拡大鏡買いなさいよ。カズキルーペ。高いけど便利だよ」
「えー、トウコさんでよろしいんですかね……は、ご在宅でしょうか」
「はい、私ですけど」
無意識に背筋を伸ばして、私は答えた。警察からの電話。それだけでもごく平凡に暮らしている私には驚きなのに、なんと警察は、ずっと行方知れずだった「父が死んだ」と言うのである。その上、「つきましては、遺骨の引き取りをお願いします」と言うのだった
■
遅い時間だったが会社に休む旨の連絡を入れた。女性職員以外はいつも遅くまで仕事をしている町工場だ。課長ではなく重田さんが出た。
「大丈夫、病気?」とシゲさん。
「父が……。いえ、なんでもありません。一身上の都合です」
「お父さん?」
ひそめた声でシゲさんが言った。
「見つかったの? 大丈夫かい? 困ったことがあるなら……」
作治さん、と私は思う。父のことは寝物語に話した記憶があった。
「あの、父が見つかったんです。死んで。警察から連絡があって遺骨を引き取って欲しいって。茨城で。明日行こうと思って……」
電話口で、すっと息を飲む音が聞こえた。「そうか」と呟く様に言う。
「分かった。藤田君おやすみね。……大丈夫なの?」
「はい」
「忌引きだね。三日間休めるから。課長には伝えておくよ。お悔やみ申し上げます」
「はい。シゲさん、あの……」
「ん?」
「明日、会えますか?」
「分かった」
電話が切れた。
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