Ⅰ 発端②



 クローゼットにずらりと並んだ服は、どれも華美かびなレースや繊細せんさい刺繍ししゅうほどこされた贅沢ぜいたくなものばかりだった。着ていた服は武器ごと没収ぼっしゅうされてしまったので、アルメリアはその中から一番無難ぶなんと思われる白のシンプルなドレスを選んだ。ブリジットに身支度みじたくを手伝ってもらってかみい上げ、ヒールのくつくと、鏡にうつる自分はそれなりに令嬢れいじょうらしく見える。

 見つめていると、昔のことを思い出して、ふとむねが痛んだ。

 首を振って気分を切り替え、アルメリアは部屋を出た。イーディスから直々じきじきに自由行動の許可も出たことだし、何としてもティルザをさがし出すつもりだった。

 イーディスは自信があるのだ。いくらアルメリアを放置しても、一人きりで逃亡とうぼうできるはずがないと。きっとアルメリアが自由にしている分、ティルザの行動は制限されているに違いない。二人が接触せっしょくすることのないよう、監視かんしあみが張りめぐらされているのだろう。

 ――ティルザ……どこにいるの?

 屋敷やしきはコの字型をした横長の建物で、東と西にとうがあり、それぞれ渡り廊下ろうかつながれている。一階は応接室や居間、食堂や遊戯室ゆうぎしつで、二階が執務室しつむしつや客室、寝室だった。二階には瀟洒しょうしゃな石造りのバルコニーがあり、コの字の中央部分に広がる庭を見下ろすことができる。

 庭に下りたアルメリアは、そびえ立つ二つの塔を見つめて目を細めた。やはり屋敷の構造上、ティルザがらえられているとしたら東か西の塔だろう。出入りできる通路が一本しかなく、外側からも内側からも容易ようい侵入しんにゅうできない造りになっている。

 ティルザが何とかして居場所を知らせてくれないかと、わずかな望みをかけて見つめたが、塔からは何の合図もなかった。

「お嬢様、何かお探しですか?」

 不意に背後から声をかけられ、アルメリアは飛び上がった。

 感じのいい若者が近づいてきて、微笑ほほえみかけてくる。

「あなたは……」

「ここで下働きをしております、ネイトと申します」

 帽子ぼうしを取ってお辞儀じぎされ、アルメリアはぎこちなくあごを引いた。

 作業着姿に手袋をはめている様子から、どうやらネイトは庭の手入れをしている最中らしい。

「こんな広いお庭を、一人で手入れしてるの?」

「いえ、とんでもない。僕以外にも庭師の方がいて、剪定せんていや肥料のことなんかを教えてもらってます」

「そう……」

 アルメリアは辺りを見回した。草木はのびのびと、生命力に満ちあふれてかがやいている。きちんと愛され、手をかけられている証拠しょうこだ。それに、これだけの庭を美しい状態で維持いじするには、かなりのお金と人手がる。イーディスの経済力は相当なもののようだ。

「あの男……いえ、イーディス様は、どんなお方なのかしら」

 なかひとごとのようにつぶやくと、ネイトがぱっと明るい笑顔になる。

素晴すばらしいお方ですよ。あの若さでガリア商会の会長をつとめておられるだけでもすごいのに、僕らみたいな使用人にも分けへだてなく接してくださるんですから」

 しみじみと実感のこもった言い方に、アルメリアは複雑な気分だった。

「僕とか、あとベオさんもですけど、ここで働いてる使用人って、ほとんどが小さい頃に親をくした身寄りのない人間なんです。金がないから学校にも行けないし、訓練を受けてないから職にもつけない。イーディス様は、そういう僕らを拾って育ててくださった恩人おんじんです」

 アルメリアは無意識のうちに心臓しんぞうを手で押さえていた。

 ――同じだ……私たちと。

 忘れることはできない。親を亡くし、家をくし、着る物も食べる物もなく、寒さとえにふるえながら過ごした絶望的な月日を。

 そこから救い上げてくれる手を、どれほど待ち望んだことだろう。

 自分たちには、それが与えられることはついぞなかった。だが、ネイトやベオにはイーディスがいた。彼らにとってイーディスは命の恩人であり、親同然の存在なのだ。

 だが、イーディスは商人だ。商売でもうけて利益りえきを上げるのが仕事であり、金さえ積まれれば王子をも誘拐ゆうかいするような悪党だ。身寄りのない子どもを拾って育てても、何の得にもならない。なぜ、そんなことをするのだろう。

 立ちくすアルメリアの背後で、「では、僕はこれで」とネイトは去ろうとする。

「あ、ちょっと待って」

 アルメリアがそでをつかんで引きとめると、驚いたように目をしばたたかせた。

「何でしょうか?」

「あ、えっと」

 まさか、ティルザはどこかと聞くわけにもいかない。なら、せめてイーディスの動向だけでも知りたい。

「イーディス様は今、お仕事中かしら」

 ぎこちなくたずねると、ネイトはうなずいた。

「そうですね。今日は来客が数件と、それ以外は執務室にいらっしゃると思います」

「ありがとう」

 アルメリアが微笑むと、ネイトは「ごゆっくり」と言って立ち去った。



 園庭は薔薇ばらの香りに満たされていた。

 心地ここちのよい太陽の光をびて、アルメリアはゆっくりとそぞろ歩きをする。薔薇の花弁にこぼれた朝露あさつゆ水晶すいしょうの輝きを放っている。赤、黄、白と、色とりどりの花が咲き乱れ、背の高いしげみやアーチが迷路にも似た遊歩道を形作っている。

 木陰こかげや美しい東屋あずまやもあり、ここでお茶を飲んだり本を読んだりして一日中過ごしていられそうだ。ただし、軟禁なんきん状態でなければの話だが。

 アルメリアは指を伸ばし、うすいピンク色の花弁をでた。そして軽く溜息をつく。

 わざと人気ひとけのないところを歩いてみたが、誰かがついてくる気配はない。監視がつけられているのは間違いないが、よほどうまく気配を消しているのだろう。

 さりげなく背後を確認しようとした途端とたんこしに手を回され、ぎゅっときつかれる。

「え、え!?」

 見ると、小さな子どもが頭をアルメリアの腰あたりに押しつけ、両手を回してしがみついていた。

「こら、リュート! やめなさい!」

 後ろから母親らしき女性が走ってきて、子どもを引き離そうとした。が、子どもはかたくなに頭をうずめたまま、アルメリアから離れようとしない。

 女性は困った顔で言った。

「ごめんなさい、この子ったら、あなたを見た途端、突然け出していってしまって」

「いえ……」

 と応じつつ、アルメリアは女性と子どもを交互こうごに見つめる。

「お姉ちゃん綺麗きれいだね! それにすっごくいいにおいがする!」

 ぱっと顔を上げると、子どもは目をきらめかせて言った。三歳か四歳ぐらいだろうか、茶髪ちゃぱつで目がくりっとした、愛らしい顔立ちをしている。

「僕、こんな綺麗な人、見たことないよ! お姫様みたいだ」

 興奮こうふん状態の子どもに、アルメリアはたじたじとなった。

 確かに綺麗なドレスを着ているが、自分はお姫様ではないし、いい匂いがするのは、薔薇の近くにいて匂いが移ったのだろう。そう言いたかったが、たして子どもに通じるかどうか。

 アルメリアの戸惑とまどった様子を見て、女性は胸に手を当てて言った。

「ごめんなさい。うちの子が失礼なことを言って。私はサラ。この子は私の息子でリュートです。今日は、イーディス様にお話があってうかがったのですけれど……」

 約束もせずに来てしまったのだと、サラはばつの悪そうな顔で言った。

「あのね、僕ね! ここで働くんだ!」

 リュートが元気よく言った。

「お姉ちゃんは誰? イーディス様のお嫁さん?」

 とんでもない発言に、アルメリアは引っくり返りそうになった。子どもって恐ろしい。

 違うと答える間もなく、リュートはさけんだ。

「ねえねえ、イーディス様に会わせてよ!」

 ドレスの裾を引っ張られて、アルメリアはよろめいた。

「やめなさいって言ってるでしょう!」

 サラが声を張り上げ、リュートをぐいと引き離した。リュートの目に、みるみるうちに涙がまってゆく。

 アルメリアはあわてて口をはさんだ。

「あの、今日はどういったご用件で……?」

 その場しのぎの問いかけだったが、サラは安堵あんどしたように口を開いた。

「実は私、先月主人に先立たれまして」

 アルメリアは息をんだ。

「まあ。それは……」

 うまく言葉が続かない。

 サラはまだ若く見えるし、リュートも小さい子どもだ。母一人子一人で、これからどうやって生きていくのだろう。

漁師りょうしでしたから、海が時化しければ命を取られることもある。それは分かっていたことでしたけれど、やっぱり生活はどんどん苦しくなってしまって」

 サラはうつむいた。

「厚かましいお願いですが、イーディス様にご相談に乗っていただけないかと思って、こちらまで出向いた次第しだいです。突然の訪問で、無礼ぶれいは百も承知しょうちなのですが……」

「どちらからいらしたのですか」

 ガウシアです、とサラは答えた。首都アスケラから北へ五千メルほど離れた港町みなとまちである。そんなところから子ども連れでやってくるだけでも、相当大変だったはずだ。

 アルメリアがいたわりの言葉をかけようとすると、背後からよく通る声がした。

「こんにちは」

「イーディス様!」

 イーディスの姿を見て、サラは恐縮きょうしゅくした様子で頭を下げる。

「まあまあ、そうかしこまらずに。どうぞお入りください」

 イーディスは穏和おんわな物腰でサラをみちびいた。

「君はどうする?」

「僕はお姉ちゃんと遊んでる!」

 リュートに指さされ、「えっ!?」とアルメリアは二度目の悲鳴を上げる。

 イーディスはくっくっとのぞの奥で笑った。

随分ずいぶん気に入られたみたいだな?」

「リュート。お姉さんを困らせちゃ駄目だめよ」

 サラはたしなめたが、イーディスは「いえいえ」と愛想あいそよく応じた。

「構いませんよ。な? シルヴィア」

 もはや拒否権きょひけんがあろうはずもない。アルメリアは引きつった笑顔で手を振った。



 二人が話し合っている間、アルメリアは庭でリュートと追いかけっこをしたり、応接間の横にある娯楽室でパズルをしたり、絵本を読んだりと、目まぐるしい時を過ごした。そうしている間は、目の前のことだけに集中しているせいか、緊張感や重圧が少しだけ軽くなる。

「ありがとうございました」

 玄関口げんかんぐちで何度も頭を下げるサラの目には涙が光っていた。彼女は息子の手を引き、しっかりとした足取りで歩いていく。

 腕組みしたイーディスはにやにや笑いながら言った。

「よう。モテモテだったな、お嬢さん」

 アルメリアは肩をすくめる。

「おいそがしそうね、ガリア商会の会長様は」

「いや、今日はましな方さ。ギルドの会合がないからな。この後は来客が一件と、晩餐会ばんさんかいにちょっと顔を出せば用事はすむ」

 皮肉ったつもりがまともに返され、アルメリアはたじろいだ。

 イーディスは二人が見えなくなった後も、そのすえを案じるように見つめている。

「……サラさんのこと、どうするの?」

 立ち入った質問だったが、意外にもイーディスは返答をこばまなかった。

「住み込みでやとってくれる手芸店があるから、そこを斡旋あっせんした。手先が器用きようで針仕事が得意らしいから問題ないだろう。向こうも人手不足だと言ってたしな」

「そう……」

 アルメリアは睫毛まつげを伏せた。

 今日一日で分かったことだが、イーディスのもとにはひっきりなしに人が訪れ、経営や金銭きんせんについての相談が持ちかけられる。その一つ一つに対応し、助言するのが彼の仕事らしい。

 ガリア商会はあくまでゴッドアイのかくみのであり、単なる資金源にすぎないと思っていたアルメリアだったが、どうやら考えを改めなければならないようだった。

「で? お探しのものは見つかったのかな、お嬢さん」

 腕組みしたイーディスがこちらを見下ろしてくる。そのひとみにはからかうような色があった。

 どうせティルザをさがし回っていたこともばれているのだろう。アルメリアは溜息をついた。

「何もかもお見通しってわけね」

「探り回るのは自由だが、聞きたいことがあるなら素直すなおに尋ねるのも一つの方法だぞ」

「聞いたら答えてくれるの?」

「それはお前の聞き方次第だな」

 硝子窓ガラスまどかし、繊細せんさい欠片かけらが差し込んでくる。

 その瞳が朝より少しだけやわらいでいるように見えて、アルメリアは思いきって問いかけた。

「あなた、昨日きのう言ってたでしょう。アストリッドの生き残りである私たちを捜してたって」

 イーディスは黙ってアルメリアの目を見つめた。

「殺すためじゃなく、任務とやらに利用するために、五年も私たちを追ってたの?」

「言っとくが、お前らを追ってたのは俺たちだけじゃない。他の連中も血眼ちまなこになって捜してた。ジャスティス・アストリッドの名が持つ威力いりょくは、良くも悪くも絶大ってことだ。そして、お 前たち二人はまぎれもなくその血を引いている」

 決然とした面持おももちでイーディスは言った。

「知ってのとおり、ガリア商会ってのはこの国唯一ゆいいつの商業組合だ。全商家をたばねている限り、商売がたきはいないも同然。だが、そのガリア商会の最大の敵だったのが、国務大臣ジャスティス・アストリッドだった」

「どうして? お父様は国の発展のために尽くしていらしたはず。商業を弾圧だんあつするようなことなんて……」

 言いかけたアルメリアだったが、イーディスの表情に思わず口をつぐんだ。その瞳は、まるでやいばのような暗い光をはらんでいる。

 だが、イーディスはすぐにいつもの不敵な笑みを取り戻した。

「ま、あとは自分で考えな。お嬢さん」

 その言い方と表情が父ジャスティスにそっくりで、アルメリアは息を呑んだ。自分の見たものが信じられず、まばたきを繰り返す。

 ――こんな男、お父様とは似ても似つかないはず。

 なのに、どうして話す声や仕草に、父の面影おもかげが重なるのだろう。

 ――私の馬鹿……ただの勘違かんいがいよ。

 アルメリアはかぶりを振ると、懸命けんめいに考えを打ち消そうとした。

 ふと甘い香りがして顔を上げると、イーディスが一輪の薔薇をアルメリアの髪に差している。

「よくお似合いですよ」

 胸に手を当てて優雅ううがにお辞儀され、アルメリアは白々しらじらしい顔で言った。

「イーディス様に花を差していただけるなんて、光栄のきわみですわ」

 ははっ、とイーディスは笑い声を上げる。

面白おもしろい奴」

「ねえ、あなた何者?」

 どうせはぐらかすだろうと思いつつ、アルメリアは率直そっちょくに尋ねてみた。

 イーディスは緋色ひいろの目を細める。

「それはこっちの台詞セリフなんだがな」

「ほら、素直に聞いたところで答えないじゃない」

 むくれたアルメリアの頭の上に手を置き、イーディスは優しく言った。

「……後で部屋に薔薇を届けさせよう。香り袋が作れるし、花弁を紅茶に入れて飲めば美容にもいい」

結構けっこうよ」

 なく断ると、イーディスは苦笑した。

「薔薇はお気にさないかな?」

「いいえ、好きよ。どんな花も草木も」

 アルメリアは髪に差した薔薇の柔らかい花弁を指でなぞる。

 そして真っすぐに顔を上げ、イーディスに向き直って言った。

「だって、植物はうそをつかないでしょう?」

 絶句するイーディスを置き去りに、アルメリアは歩き出す。

 ――そう、植物は嘘をつかない。

 何も奪おうとせず、ただ生命力を与え、心と体をいやしてくれるだけだ。けがれた大気を静かに浄化じょうかし続けながら。

 ――嘘をつき、心を汚すのは、いつだって人間だけ。

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