Ⅰ 発端①



 ローランシアは女王が治める島国の名前である。

 国民はみな一つの血族であり、だれもが生まれながらに《まじない》の力――魔力まりょくを有する。能力は一人に一種類で血統けっとうによって継承けいしょうされ、父親の能力が息子むすこに、母親の能力がむすめに引き継がれる。同じ能力でも本人の持つ資質によって、《まじない》の規模きぼ威力いりょくは大きく変わる。

 魔力が発現するのは十歳前後、生まれつきの才能がすべてであり、後天的な努力によって能力を伸ばすことは不可能である。

 かつて、《まじない》を使える一族は単に『魔導師まどうし』と呼ばれ、大陸の奥地でらしていた。だが、その貴重きちょうな力を利用しようとたくらむ者は多く、魔導師たちはつねに他国に付けねらわれていた。魔導師たちは『《まじない》の秘密を知った者は殺す』という血のおきてを定め、侵略しんりゃくから身を守ろうとしたが、《まじない》の力を求める者は止まるところを知らなかった。

 り返される争いに誰もが疲弊ひへいしたころ、族長は一つの決断を下す。

 ――故郷であるラクリモサの森を捨て、誰にもおびやかされない国を創ろう。

 そうして二百年前、創成そうせいの魔導師と呼ばれる四家が中心となり、大陸からはるか遠く離れた場所に島を創り上げ、みずからをローランシアと称した。さらに外敵をはばむため、島の周囲の大気と海を竜巻たつまきへだてる結界けっかいを張った――魔導結界アルス・マグナである。

 王家であるレム家を筆頭に、王家の分家筋のルツ家、『王家のたて』と呼ばれるハミルトン家と、『王家のほこ』と呼ばれるレリスタット家が創成の魔導師の血筋である。その中でも魔導結界アルス・マグナたずさわったとされるレリスタット家は、現在も国政に影響力りきょうりょくを有し、絶大な権力をにぎっていた。

 しかし、魔導結界アルス・マグナそのものは、最初こそあがめられていたが、外敵にさらされることのない月日と共に忘れ去られてゆく。そして『《まじない》の秘密を知った者は殺す』という血の掟さえ形骸化けいがいかし、今では『自分の《まじない》は結婚相手にのみ教える』というしきたりだけが残っていた。



 手当てがすむと、四人はイーディスの執務室しつむしつで机を囲んでこしかけた。部屋のすみにはランプのあかりがあわれている。

「さて、お前たちを見込んでの依頼だ。ある方を王宮からぬすみ出してほしい」

 唐突とうとつな切り出し方に、アルメリアはまゆを寄せた。

 ――王宮?

「ある方、というのは」

 ティルザがうながすと、イーディスはうなずいて言った。

「ビルキス女王陛下へいかの第一王子、アレクト殿下でんかだ」

 アルメリアは怪訝けげんな顔つきで、

「正気で言ってるの?」

「もちろん」

 楽しげなイーディスの横で、ベオは小さく嘆息たんそくした。

 イーディスはアルメリアを指さして言う。

「お前にはクラウン家の縁者えんじゃよそおい、侍女じじょとして後宮に上がってもらう。当然変装へんそうの上、偽名ぎめいでな。あとは機会を待って王子と接触せっしょくし、この屋敷やしきにお連れする」

一介いっかいの新入り侍女に、殿下にお目にかかる機会があるとは思えないけど?」

「それはお前のやり方次第しだいさ」

 辛辣しんらつな指摘に、イーディスはみをふくんだ目で応じた。

 ――王子を誘拐ゆうかい

 そんな馬鹿ばかげた話、うまくいくはずがない。この男は何が目的なのだろう。

「知ってのとおり、ローランシアを治めているのはビルキス女王陛下だ。アレクト殿下も十六、本来なら領地を治めたり、公務に取り組まれてもいいお年頃だが……ご病弱ということで、おおやけの場には一切姿を見せておられない」

「つまり、サボってるってことでしょ?」

 アルメリアが言い刺すと、イーディスは苦笑した。

「さあな。俺にもよく分からん。が、王子不在でも無事に政務が回ってるってのは、陛下の手腕しゅわんによるところが大きいだろうな」

「女王陛下は随分ずいぶんと先進的な方らしいですね」

 ティルザが口をはさんだ。

「そもそも王位は男性が継ぎ、女性が長子の場合は補佐ほさにつくか他家にとつがれるのがほとんどなのに、ビルキス様はあくまで直系長子であるご自分の継承権けいしょうけんを主張されたと聞いています」

「さすが元国務大臣の息子むすこ、よく知ってるな」

おそれ入ります」

 感心したようなイーディスの口ぶりに、しれっとした顔でティルザは応じる。

「食えないねえ」

 とイーディスは笑ってつぶやくと、表情を改めた。

「あの方が即位されてから二十年、良くも悪くもこの国は様変わりした。とはいえ、あまりに急進的すぎて法整備が及んでいなかったり、国民感情が追いついていない政策も多い。そこを本来なら王子が補佐すべきところなんだろうが……」

「後宮に引きこもって出てこない、と」

 アルメリアは鼻にしわを寄せる。

「そういうことだな。殿下が国民の前にお出ましになったのは、十歳におなりになった生誕祭せいたんさいが最後。現在も後宮でお暮らしになっていることは確かだが、身辺にはわずかな者しか立ち入りを許されていない。可愛かわいい可愛い箱入り息子ってところだな」

「で、僕たちにその大事な箱入り息子を奪えと言うんですね?」

 ティルザがするどい目でたずねると、イーディスはにやりと笑った。

「ああ、そのとおりだ」

 アルメリアはうでを組んで言い放つ。

「王子を誘拐する理由は?」

ビジネスだよ。ある人物から依頼があってな」

「見下げてた奴ね」

「こそどろに言われる筋合いはないな」

 しゃあしゃあとイーディスは言い返すと、人差し指の先に黒い小箱をせて回した。

「転移魔法陣まほうじんだ。見たことあるか?」

 小箱の側面には金で微細びさいな魔導文字がられている。手をかざすと反応し、空気が音を立てて振動しんどうした。

 アルメリアは目を細める。魔法陣は秘術とも呼ばれる極秘ごくひ中の極秘技術で、現在ではごく一部の者しか生成に携わっていない。当然、個人が使用するとなれば目玉が飛び出るぐらい高価な額になる。アルメリア自身、間近で見たことがあるのは数回きりだった。

「この屋敷の地下に、同じ魔法陣がいてある。王子を見つけ、本人にれながら発動させれば、自動的にここまで飛んでくるって寸法だ」

 な、簡単だろ? とイーディスはあっさりと言ってのける。

「王族を誘拐すれば、国家反逆罪で死刑しけいです。金のためにそこまでのリスクをおかすのは、いかがなものかと思いますが」

 婉曲えんきょくな言い回しでティルザが退路を作ろうとする。

 イーディスは底意地そこいじの悪い笑みで腕を広げた。

「だから、お前らに働いてもらうんだよ。万一失敗したところで、足がつく心配はないからな。何せおじょうさんも弟君も、書類上は死んだ人間なわけだから」

 その優美な声を聞きながら、アルメリアは冷静に判じた。

 この男、相当頭が切れる。こちらの事情を把握はあくした上で、はなから便利べんりな捨てごまとして利用している。怜悧れいり冷酷れいこく、目的のためなら手段は選ばないタイプだ。さすが国内最大の民間軍事組織をべるだけのことはある。

 ――五年前の事件も同じ?

 金を積まれ、依頼されてアストリッド家を襲撃しゅうげきしたのだろうか。

 だとすると、たとえ任務が成功したところで、自分もティルザも口封くちふうじに始末される可能性が高い。

 ――何とかしてこの男の手からのがれなければ。



 翌朝、屋敷の客室で目を覚ましたアルメリアは、ドアの外の気配に気づいて耳をすませた。

 ひかえめなノックが二回聞こえた後、

「お嬢様。入室してもよろしいでしょうか」

「どうぞ」

 許可すると、美しい白髪はくはつの女性が銀のカートに朝食を載せてやってきた。

 アルメリアの外見が本来のものに戻ってしまったため、相手は気づいていないようだが、こちらは相手の顔に見覚えがあった。ハンナとして屋敷に潜入せんにゅうした際、親切に仕事を教えてくれたメイド長だ。

 思わずお礼を言いかけて、あわてて口をつぐむ。ここで妙なことを口走っては大変だ。

「今日はいいお天気ですよ。窓をお開けしますね」

 メイド長はにこやかに言うと、手際てぎわよく部屋の窓を開けていく。朝の瑞々みずみずしい空気と、透明とうめいな光が差し込んできた。

 いい部屋だ。アルメリアは周囲を見回して思う。広々として清潔せいけつな室内に、天蓋てんがいつきの大きなベッド。家具や調度品が上質なのはもちろん、クリーム地に小花柄おばながらの壁紙や深紅しんくのカーテンといった細部に至るまで、趣味しゅみのよさが行き届いている。今まで寝起きしていた使用人部屋も悪くはなかったが、この客室は別格だった。

 ――ふかふかのベッドで寝るなんて、何年ぶりかな……。

 しみじみと感慨かんがいふけっていると、メイド長が口を開いた。

「申しおくれました。わたくしはこの屋敷のメイド長をつとめております、ブリジットと申します」

 礼儀正しく頭を下げられ、アルメリアは戸惑とまどった。本名を名乗るのは論外だし、かといって元ハンナですと言うわけにもいかない。

 だが、ブリジットはアルメリアに何もたずねてこなかった。おそらくイーディスから詮索せんさくするなと指示を受けているのだろう。アルメリアはほっとしつつも、少しさびしかった。

 焼きたてのパンにオムレツ、サラダにコーンクリームスープ、クランベリージュース。食後のホットチョコレートまで、何もかもおいしかった。毒が入っていないかと警戒けいかいしたが、殺す気なら昨日の夜に殺されていただろうと思い直す。

 ――ティルザは無事かしら。

 あの後、ティルザは別の部屋に連れていかれてしまった。人質ひとじちなのだから、少なくとも任務が完了するまでは殺されないはずだが……。

 じわじわと足元から不安がしのび寄ってくる。

 アルメリアが両手をにぎり合わせていると、何の前触れもなくドアが開いた。

「よう、元気か」

 室内に入ってきたイーディスが、そのまま当然のようにアルメリアの正面に腰かける。

「イーディス様」

 ブリジットが目を丸くして言った。

「お越しになるのでしたら、二人分のご用意をさせていただきましたのに」

「いいっていいって。ありがとな、下がっていいぞ」

 イーディスがひらひらと手を振り、「かしこまりました」とうやうやしくお辞儀じぎをしてブリジットは退室する。

 二人きりの空間に、沈黙ちんもくが満ちた。

「ティルザはどこにいるの」

 イーディスはアルメリアの問いかけを無視して言った。

「今からお前の名前はシルヴィアだ。シルヴィア・モンテミリオン。資本家階級で、小麦商を生業なりわいとするモンテミリオン家の三女。年は十四」

 ひたいに人差し指を突き立ててきたので、アルメリアは邪険じゃけんに振り払い、テーブルに両手をついて身を乗り出した。

「ティルザはどこにいるのかって聞いてるの」

「お前はそればっかだなー」

 イーディスはあきれぎみに笑う。

「心配しなくても取って食いやしねえよ。大事な預かり物だからな」

 アルメリアは疑念のこもった眼差まなざしをそそぐが、イーディスは意にかいさなかった。

手筈てはずが整うまで、しばらくここで過ごしてもらうぞ。その間にシルヴィアの設定を頭にたたき込んで、侍女らしい振る舞いができるよう礼儀作法も完璧かんぺきに覚えろ。あとは後宮の基礎きそ知識と、連絡役との接触せっしょく方法も確認しとけよ」

 言いながらイーディスの手が首に伸び、アルメリアはびくりとした。

 冷たい手が首筋に触れ、包帯の上をなぞる。その手が今度はかたから指先まで動き、慎重しんちょうな手つきで包帯をほどき始めた。

「ちょっ、何すんのよ!」

 硬直こうちょくしていたアルメリアだったが、ようやく椅子いす蹴倒けたおして立ち上がった。

 イーディスはあっさりした口調くちょうで言う。

「包帯ちゃんと巻いとけ。ほどけかけてるぞ」

「余計なお世話よ! 放っといて」

「あっそ」

 イーディスは立ち上がった。

「屋敷内は自由にうろついていいぞ。お前が外に出ようとするなら、弟君の身の安全は保証しないけどな」

「ティルザに会わせて」

駄目だめ

 満面の笑みで却下きゃっかされ、アルメリアはくちびるみしめた。

悪魔あくま……」

「何とでも」

 とげふくんだ視線を受け流され、代わりに頭の上に手を置かれる。

「任務が成功すれば弟君は無傷で返す、それが約束だ。商人はビジネス上の約束をたがえたりしない。俺のことは信じられなくても、その約束だけは信じてもらっていい」

 イーディスはアルメリアの目を見つめ、確信のこもった口調で言った。

 背を向けて歩き去ろうとする彼に、思わず問いかける。

「ちょっと待って」

「何だ?」

 振り返った彼の、緋色の瞳と目が合う。

「五年前の」

 と言いかけ、アルメリアは口をつぐんだ。

「……何でもない」

 イーディスはふっと笑った。

「まずはその痛々しい傷を治せ。話はそれからだ」

 そして軽く片手を上げると、扉の向こうへ消えていった。

 アルメリアはベッドの上に腰を下ろし、盛大せいだいに溜息をつくと、まぶたを閉じた。

 ――怖い。

 イーディスが何を考えているのか分からない。立派な客室、親切なメイド長、怪我けがの具合を気遣きづかうそぶり。それらは全て、アルメリアを駒として利用するためのものなのだろうか。

 このまま利用するだけ利用されて、殺される? そんなのはいやだ。

 五年前の真実が知りたい。両親のためにも、自分のためにも。

 でも、それより何より、早くティルザを取り返したい。ティルザのそばにいたい。

 ――ティルザがいなきゃ、私は一歩も前に進めない……。

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