第99話 君が望む最強ではないけれど 2


 落ちていく彼女は何か言葉を発した。

 だけど俺の耳には届かない。俺には理解できなかった。


 ただ、ゆっくりと。

 エレナが見えなくなっていくのを見て、俺の全身が固まった。



「エレナッ!」



 地面の裂け目から外れて助かったティデリアが手を伸ばす。

 けれど彼女の体は思い通りに動かず、体が倒れ、その手がエレナに届くことはなかった。


 少しの間が生まれた。


 エレナは何も言葉を発さず、無言のまま闇の中を落ちていった。

 怖いのに、不安なのに、誰にも心配かけないようにという気持ちがあったんだと思う。



「エレ、ナ……?」



 弱々しく呼んだ声に、返事がくることはない。

 ゆっくりと歩き出し、走り出し、俺は深い闇の中へと向かった。



「待て、ルクス!」



 走り出した俺の手を、ヴェイクが力強く掴んだ。



「ルクス、無茶だッ! ちゃんと着地できるかわからねぇ、それに落ちた先に何があるかわからないんだぞ!?」



 ヴェイクは俺が何をしようとしているのか理解しているのだろう。



「だけど!」

「エレナの無事を信じて、ここは状況を整えてから下の階層へ降りるのが先決だ」

「それでも──」

「エレナが心配なのは俺たちも同じだ! だが……だがここで冷静になれないで、このままあいつを追って、それで俺たちの誰かがもし……」



 ヴェイクは吐き出しそうになった言葉を飲み込む。



「ここで焦ったところで、下で何が待っているのかわからない。お前はリーダーだろ!?」



 ヴェイクの考えは全うだ。

 それに俺はリーダー。アウレガの群れの中に仲間を置いていくことも、深い闇と化した穴の中で全員に飛び込むことを強要することもしてはいけない。

 エレナを救えたとして、別の誰かが命を落としたら意味がない。


 わかっている。

 わかっているんだ。


 だけど、



「落ちた先に何かいるなら、エレナ一人でどう対処するんだよッ!?」



 エレナは弱くない。

 自分の傷を癒す術だって、一人でも戦える術もある。

 俺なんかよりもずっと、ずっと、一人で戦えるだけの優秀な加護を持っている。

 だけど一人で下の階層へ落ちて、寂しくない、心細くない、そんなわけはないんだ。


 それに、



「嫌、なんだよ……」



 嫌な予感しかしない。

 これじゃあ、まるで再現だ。


 モーゼスさんとリュイスさん、それに父さんや母さんの時と同じだ。

 ここで助けないと、もしかしたらエレナが……。そう思ったら、先がどうなろうと走り出したくなってしまう。



『──グアアアアアアアッ!』

「……今の」



 裂け目から鳴き声が聞こえた。

 モンスターの声。この下に、モンスターがいる。


 全員が穴の先に視線を落とし、唾を飲む。

 みんなにも、モンスターの鳴き声が聞こえたはずだ。



「体制を、整えるべきだ……」

「急いで引き返しましょう。ここで全員で降りても、ここにいるアウレガを連れて行くことになってしまいます」



 ヴェイクとモーゼスさんが、優しい声でそう言った。


 確かにアウレガの注意を引き付けているのは俺たちだ。であれば、全員でこの穴に落ちても、そのままアウレガが追ってくる可能性はある。

 それこそ、エレナの状況をより悪化させてしまうだけかもしれない。


 今の状況や、仲間の心境や、周りがよく見えている大人な判断だ。



「だけど……」



 俺は仲間を、誰一人も見捨てたくない。

 もしも向かうのが遅れて、手遅れになんかしたくない。

 仲間だから……それ以上に、エレナを守るため、エレナに見合う男になろうとした俺が、彼女を守れずになんて──。



「──行け、ルクス」



 はっきりとした声が響いた。

 息を荒くしながら倒れていたティデリアが、俺に力強い視線を向けた。



「後先を考えるな! どんなにあいつが強がろうとも、我々に危険を巻き込みたくないと思っていても、心のどこかではきっと、守ってほしいと、助けに来てほしいと思っているはずだ。それは誰でもない……お前にだ」

「おい、ティデリア!」



 ヴェイクがティデリアを止めようとした。だけど、彼女は言葉を続けた。



「エレナは私と同じだ。いくら強がろうとも、好きな男に助けに来てほしいと心のどこかで願っている」



 きっと、前のギルドでのことを──ヴェイクのことを、言っているのだろう。



「エレナが好きなのだろ!? だったら助けに行け! 強がりな女が、お前を心配する仲間たちが、行くなと、よく考えろと言おうとも、自分の気持ちに正直に行け!」

「……」

「何のために強くなりたいと願った!? 何のためにここまで来た!? お前は、あの女に振り向いてほしいと、ずっと側にいたいと、そう願って頑張ってきたのではないのか!? だったら──リーダーなら、仲間を見捨てるようなことをするなッ!」



 ティデリアの言葉に、ヴェイクとモーゼスさんは口を紡ぐ。



「ルクス、これ持って行って!」



 サラに魔銃を手渡された。



「これを地面に撃てば、爆風で少しは地面に落ちた衝撃は緩和できるかもしれない」

「ルーにぃ、これも持って行ってなのです!」



 ラフィーネから無属性の魔術書を手渡された。

 そして二人は、俺に笑顔を向けた。



「あのツンデレお姫様も口にはしなかったけどルクスを待っているはずだから、助けに行くのは、バカでアホな王子様の役目だよ!」

「エレナさんは待っているはずなのです、だから助けに行ってなのです!」

「二人とも……」



 俺が受け取ると、ヴェイクとモーゼスを見る。



「ったく、現実じゃなく理想を見る連中ばっかだな」



 ヴェイクは斧を手に、



「行けよ、ルクス。その代わり死ぬな。俺たちは仲間だ……すぐに助けに行くからよ」

「ヴェイク……」

「もしも、あの時」



 モーゼスさんは刀を振るい、



「わたくしも妻の側にいたのなら、今のルクス様と同じ立場であれば、きっと同じことをしたでしょう。……先程の、仲間を想う一個人のわたくしの気持ちを突っ返して、きっと。ルクス様が決めたのであれば、わたくしも止めません。ですが必ず、お二人揃って無事でいてください。我々も必ずすぐ向かいますから」



 二人はきっと、エレナの心配をしているのと同時に、俺の心配や、仲間たちの心配もしてくれているのだろう。だからこそ、時には非情な選択を推奨しなければならない。

 だけど俺がそうしたいならと、気持ちを汲んでくれた。



「必ず、エレナを守るから……」



 俺は勢いよく走り出し、裂け目へと飛び込んだ。

 深い闇。どこまでも続く闇の中を落ちながら、頭上からは仲間たちの声がした。

 俺たちのもとへ向かわせないようにアウレガたちと戦い、急いで駆け付けるために必死になって戦ってくれている。


 その努力や想いを胸に、俺は深い闇に落ちていく。


 そして数秒。

 足下が輝き、視界が開けた。

 そこは白銀世界──リュイスさんの、お墓がある場所だった。



「エレナッ!」



 雪原が広がる場所に、倒れていたエレナを見つけて叫んだ。

 俺の声を聞いて、エレナは顔を上げた。遠くて表情まではっきりとは見えない。



「ルクス? なんで──痛っ!」



 落ちた衝撃で意識を失っていたのか、エレナは微かに目を開けると、痛みに顔を歪めて足を抑えた。

 その表情が見えてから、俺は必死に彼女から離れるように空中を仰いで、地面に向け魔銃や魔術書を使った。

 何度も、何度も、何度も。

 地面に穴が空くのではないかというほどに放ち、雪と爆風が舞う。

 俺の体は爆風で少しは緩和されたが、地面に勢いよく叩き付けられた。



「ぐはッ!」



 血を吐き、背中から地面に落下する。

 クラッと意識が遠のく。それでも、俺は全身を痛みで震わせながら立ち上がった。



「エレナ、大丈夫か……?」



 ふらつく足でエレナのもとへ向かうと、彼女は俺を睨みつけた。



「馬鹿、じゃないの……!? なんで、来るのよ……来ないでよ、あんたまで来たら……!」



 落ちていく景色の中、俺はエレナのことしか目に入らなかった。

 だけど目の前には、熱を発した大型モンスターがいた。そいつはゆったりとした足取りで、俺たちへと近づいてくる。



「俺は馬鹿だよ……後で、いくらでも怒っていいから」



 ふらつく体を鼓舞して、エレナに背中を向けながら伝えた。

 着地に失敗して雪の地面に座り込みながら、エレナはまだ立つことはできない。その表情は不安よりも、俺が無茶して来たことに怒っていた。


 自分の心配をすればいいのに……。



『グアアアアアアアッ!』



 目の前にはアウレガの親玉──ボスモンスターがいる。

 その体の大きさも、背中の炎の火力も、迫力すらも、他のアウレガとは桁違いだ。

 そんなボスモンスターと一対一の状況だったのに、自分の心配よりも俺を怒るのは、エレナらしくて少し笑えてくる。



「だけどさ」



 白銀世界にいるというのに、全身に寒気はなく、暑さだけだ。



「俺がなりたかったのは、エレナにとっての最強だから」



 俺は剣を握る。

 その手も、全身も震える。

 怖い、嫌だ、勝てない。負の感情が全身に張り付いてくる。だけどここへ来たことに後悔はしていない。俺は自分の意思で、自分がそうしたいと思ってエレナのもとへ飛び込んだんだ。


 俺個人をちゃんと見てくれた彼女を

 ずっと側にいて支えてくれた彼女を。

 一緒にいて、楽しいと思えた。心の底から好きだといえる彼女を──。


 ──失いたくないんだ。

 一人ぼっちになんかさせたくないんだ。


 最強ではないことも、どれだけ努力しても、いくら背伸びしても最強になれないことも知っている。

 それでも俺は、自分の命を賭しても彼女を守りたい。



「──俺は、エレナが好きだから。好きな女を守れない男なんて、お前が望む最強の男じゃないだろ?」



 振り返った俺は、全身の痛みに苦しみながら笑顔を浮かべて彼女に伝えた。

 ずっと黙っていた、俺の気持ちを──。

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