第79話 いやだ
「エレナ、走れっ!」
散らばって逃げようとしたのに、エレナはその場に立ち止まった。
天を見上げて、声をかけても動かない。
彼女の中で大きな衝撃だったんだろう。父の名前が出てきたのが。
「くそっ」
俺は逃げる足を引き返した。
ゴブリンソードを持ち、エレナの前に立つ。
ガシャン!
と響く金属音。
リュイスさんの剣とゴブリンソードが交錯する。
重い。全体重、いや、それ以上の何かが加わってる。
そしてリュイスさんと視線が合わさると、怖く感じる。全身に鳥肌が生まれ、リュイスさんの青い瞳が不気味に輝く。
「ルクス、逃げろっ!」
「──っ!」
速い斬撃。
目では追えない。
防御は無理だと思い、俺はエレナを突き飛ばして後ろへ倒れる。
「土の化身よ、大地を揺るがす息吹を轟かせ、全てを破壊せよっ──唸れ咆哮──ストーンエッヂ!」
リタさんは無数の石を生み出し、それをリュイスさんの──少し離れた足下に向けて発射する。
リュイスさんは後退した。だけど、今のは当てれたかもしれない。
「エレナ、しっかりしろよ!」
倒れたエレナの体を揺する。
だけど彼女は、心ここにあらずといった表情で小さな声を漏らす。
「どうして、どうして……お父さんのこと」
「それは後で確かめればいいだろ!? 今は何をしないといけないかわかってるだろ!?」
「私は……私は……」
「お前はここに何しに来たんだよっ!? なんの為に……」
みんな、ここに来たんだよ。
少ししかいないのにわかる。みんながリュイスさんとの戦いを望んでいない。
リタさんの魔術は牽制するだけ。
レオナルドさんは近くで大剣を持ってるだけ。
ヴェイクも、サラも、ティデリアもラフィーネも、モーゼスさんも、誰も戦わずに距離を取ってるだけ、皆が苦しそうな表情で動こうとしない。
そして俺も、リュイスさんに剣を交えた時に震えてしまった。
みんな怖いんだ。
だからエレナだけじゃない。
「頼むから、立ってくれよ……」
「ルクス……」
心が崩壊する。
こんなに苦しいことってあるのかよ。
もう、わけわかんないよ。
「ごめん、なさい……もう大丈夫、大丈夫だから」
エレナはそう言って、ゴブリンソードを握る俺の手に右手を乗せた。
震えてる。
怒鳴ってごめん、エレナ。
「助ける方法はある。あってくれなきゃ駄目なんだ」
「ええ、そうね。そうよね」
エレナを起こして周りを見る。
リュイスさんは近い人を狙う。たぶん戦い方を選ぶことができないんだろう。心が無い。思考が働かないのだと思う。
だから本来のリュイスさんよりも弱い。なのに。
「このままじゃ、駄目だ……」
みんなが後退する。
どんどん壁際に追い込まれていく。
だけど防ぐ事は問題ない。
「死者を蘇らせる力……お父さんから、何か聞いてない?」
「ううん、ないの。そもそもお父さんの記憶は、私が子供の頃で終わってるのよ。あの人がどんな加護だったかなんて……ただ、私の両親はどっちも回復の加護だって言ってたわ」
「回復か……。ルシアナ、出てこれるか?」
加護の事は加護に聞いた方がいい。
「随分と危機的状況のようじゃな」
ルシアナは姿を現すと、腕を組みながらリュイスさんを見る。
「ああ、そうなんだ。聞いてたと思うけど、加護の力で死んだ人を蘇らせることは可能か?」
その問いに、ルシアナは「それは不可能なのじゃ」と即答する。
だけど「ただ」と言葉を続けた。
「他の加護と合わせれば、不可能ではないかもしれん」
「他の加護と?」
「うむ。これはあくまで我の予想ではあるが、要するに回復の加護で他者の体を癒やし、もう一つの加護でその者を自立させ動かす、というのはできるのじゃ」
「じゃあ……エレナのお父さんが傷を癒やして、もう一人の誰かの加護がリュイスさんを動かすようにしてるってこと?」
「たった一つの可能性としては、それしかなかろう」
じゃあ、リュイスさんを──死んだ人を蘇らせようとしたのはエレナのお父さんの他にも誰かいるってことなのか?
もちろんこれは、ルシアナの憶測に過ぎないけど、今のリュイスさんは蘇生されてない。もし蘇生されてたなら、今もみんなに攻撃はしてない。
まるで人形。心の無い人形だ。
だから可能性としてはルシアナのが正しいのかもしれない。
「じゃあ」
俺はルシアナに問いかける。
「リュイスさんを蘇らせる方法は、他にないんだな……?」
あの悲しい姿を、再び幸せな姿に戻すことがあるなら……。
「……死人は蘇らないのじゃ。人の魂は一つだけ。主もわかっておるであろう?」
ルシアナの表情は真剣だ。
そうか。やっぱり、ないんだな。
もう、リュイスさんを楽にさせるには、方法は一つしかないんだ……。
「終わらせよう。俺の手で」
リタさんも、レオナルドさんも、やっぱりリュイスさんを──殺すことはできない。
赤の他人であっても、他のみんなにも無理だ。
モーゼスさんも苦しそうだ。だったら俺がやるしかない。苦しむのも、罪悪感に襲われるのも、一人で充分だ。
そう思って歩いた。
だけどエレナが、隣に寄り添ってくれた。
「私も……手伝ってあげる」
「……いいのか? 苦しいよ、きっと」
「ええ、だけどああなったのがお父さんのやったことなら、それは私も終わらせないと。私を棄てたとしても、お父さん、だものね」
「……ごめん」
「なんで、ルクスが謝んのよ……バカ」
苦しみを共有していいわけがない。
だけど俺は、ここだって時に一人じゃ堪えられないかもしれない。
エレナが側にいてくれたら、少しは救われるかもしれない。
だから一緒に、行こう。
そしてリュイスさんへと近付くと、ヴェイクが俺を見る。
「ルクス、どうするんだ?」
「……うん、終わらせよう。もう……」
「終わらせるって、この人はまだ生きてるじゃねぇか!? それを終わらせるって、まだ──」
「もう死んでるんだ! もう、楽にしないと駄目なんだ……」
そんなこと言いたくなかった。
モーゼスさんと目が合って。悲しそうな瞳で見つめられて。
苦しく、なった。
「ルクス様……手を、貸してくださいますか?」
「モーゼスさん、俺が」
「いいえ、わたくしがやります。これがリュイスを世界樹へ一人で向かわせた、臆病なわたくしへの罰ですから」
その言葉を絞り出すのにどれほど悩んだか。顔を見ればわかる。
何年振りに再会した奥さんがこんな状況になってて、自らの手でもう一度、死を味あわせるなんて、誰だって堪えられない。
それをわかってるからこそ、みんなもモーゼスさんを止める。
「モーゼス、さんっ……ダメ、だよっ、そんなの……ダメだよぉ!」
サラが涙を流し。
「わたしは……無理だ。苦しい、こんなの、苦しいんだ」
ティデリアが氷の剣を地面に落とし。
「ごめん、なのです……ごめんなさい、なのですっ」
ラフィーネが俯く。
だけどヴェイクは、苦しそうに俯きながら口を開く。
「俺も、手伝ってやるよ……胸糞悪ぃけど、仲間、だからよ……モーゼスさんが決めたんなら、やってやるよ」
ヴェイクが斧を持つ手に力を込める。
「あたしも、やらないといけない。もう、逃げれない」
「そう、だな……苦しませたくないもんな」
リタさんとレオナルドさんも覚悟を決めた。
殺すんじゃない──苦しませたくないんだ。
そう思ってないと、自分たちが苦しくて立っていられない。
リュイスさんはずっと声を発しない。ただ冷たい眼差しを俺たちに向けてくるだけ。
そこに魂があるなら。
どう思ってるのかな?
やっぱり嫌なのかな?
殺されたくないのかな?
そんなことばかり考えちゃって駄目だ。
「やろう、みんな。ここで終わらせよう」
立ち上がれたのは六人だけだ。
それでもやるしかない。苦しくても。
「エレナ、行くよ」
「ええ、わかったわ」
俺とエレナは走り出した。
リュイスさんを──楽にさせる為に。
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