第78話 二つの運命


 モンスターエリアの中は予想通り寒い。

 今までの土が剥き出しになった通路と似てるけど、俺たちが歩いてるこの通路の壁沿いには、少し霜ががかってて、なんだか幻想的な光の道を歩いてるようだった。


 そして一歩。大きな広場に出たら本当に外の世界にある雪原地帯みたいで、一面に広がるのは真っ白な雪景色だ。



「本当に雪しかないんですね」


「この階層から少し上までは雪しかないよ。他にあるとすれば、綺麗な花々だね」



 リタさんは俺の隣を歩きながら言葉を続ける。その表情は、具合が悪いのではないかと思えるぐらい暗い。それはレオナルドさんも同じだ。



「ほんとに、いいの?」


「……なにがですか?」


「リュイスに会うの。今なら辞められる。後悔……するかもしれない」



 来てほしくないんだろう。

 というより、リタさんもレオナルドさんも、自分自身が行きたくないのかもしれない。



「行きますよ。俺たちは」



 そう、皆が決めたことだ。



「そう。……聞かないの? リュイスの状況」


「話してくれるんですか?」



 ダメ元で聞いてみる。

 すると、リタさんは苦笑いを浮かべた。



「口には、したくないかな……。あたしも、レオナルドも、口にすると……嫌な記憶が蘇っちゃうのさ」


「そう、ですか」



 だから二人は何も言わないのだろう。

 モーゼスさんは辛いはずだ。だけど二人も、仲間だったリュイスさんに何かあって、辛い思いをしたんだろう。

 それが嫌なことなのはわかる。そしてここからずっと先に行ったら、俺たちも嫌な気持ちになるかもしれない。


 戻るなら今。だけど戻れない。怖い。嫌だ。だけど行かないと。


 俺はリタさんに、出来る限りの優しそうな笑みを向ける。



「無理して言わなくて大丈夫です。行けば、わかりますから……」



 そこから、俺もリタさんも何も喋らなかった。

 それは他の皆も同じ。歩けば地面の氷がパリパリと割れる音がして、頬も耳も少し痛く感じる。

 毛の付いたフードを被ってもそれは変わらない。だけど寒いも、痛いも、誰も何も言わない。


 皆の表情が少しずつ暗くなっていく。


 怖いんだ。この先へ向かうのも。

 モンスターとも遭遇しないから、ただ歩くことしかできない。

 話せばいい、リーダーなんだから、皆の気持ちを少しでも楽にしないと。

 そう思っても、喉元まで上がってくる言葉を俺はすぐに戻してしまう。


 きっと俺は、皆と会話するのが怖いんだ。

 何を話せばいいのか、何を話したら気持ちが楽になるのか、それがわからないんだ。


 冷たい空気を全身で感じながら進む。

 悲しい再会のその場所へ──。



「リュイスは、この奥にずっといる」



 リタさんはそう言った。

 長い洞窟を越え、広い空間を越え、また長い洞窟を越えた先。

 おそらく十三階層へと続く道とは違う道を歩いた先にあった脇道。



「……この先に」



 もう分かってた。

 リュイスさんが生きてるのなら、この先の場所にずっといるのは不可能だ。

 ここは寒いんだ。震えるほど、手足の先が痛くなるほど、ここは人が住める場所じゃないんだ。


 だからこの先にいるなら、それはもう、リュイスさんが生きてるはずがないんだ。


 だけどその言葉を言えない。

 いつも明るいヴェイクとサラも、今日は抜け殻のように静かだ。

 普段から涼しい表情のエレナとティデリアは、今日は悲しい表情をしてる。


 モーゼスさんとラフィーネは、表情を見ることができない。


 そんな時だった。



「大丈夫か、リタ……」



 リタさんが膝に手を付いた。

 それを心配そうに、隣に寄り添うレオナルドさんの綺麗な金色のオールバックの髪は、少しだけ輝きが薄く感じた。



「うん、大丈夫……少しだけ、具合がね……でも会わないと。あの日、リュイスから逃げちゃったから……ちゃんと……ちゃんとお別れしないといけないから」



 リタさんは苦しそうにそう言った。


 ──お別れ。


 もう、いやだ。

 帰りたい。もう帰りたいんだ。


 ここから先に行ったら本当に、ヴェイクが言ったように何かを失うかもしれない。


 怖いんだ!

 もう……怖いんだよ。



「行きましょう。リュイスさんのとこへ」



 なのにそう言ってしまった。

 なんで俺はそんなことを言ってしまったのか。



「ルクス様……」



 歩き出すと、モーゼスさんに声をかけられた。



「ありがとう、ございます……わたくしの我が儘に付き合ってくださって」


「我が儘なんかじゃ、ないよ……俺は……俺はただ」



 どうしたらいいか、わからないだけなんだ。


 だから進む選択しかできない。もう、このままじゃいられないんだよ。


 そして初めて、モーゼスさんの悲しそうな声を聞いた。



「皆さんに支えられなかったら、わたくしはここへ来れませんでした。皆さんが何も言わなくても、わたくしのことを心配してくれてるのがわかります。リュイスがどんな姿でいるかわかりません、リュイスと会うのはこれで最後かも、しれませんから……わたくしは」



 ──笑顔で別れの挨拶をします。


 その言葉が重く感じられた。

 それから何も話せなかった。

 ただ隣を歩くエレナが、わざと近くに寄って肩を触れ合わせてくれるのは、わかった。



「……ありがとう」


「……私は何もしてないわよ」


「ああ、それでも隣に居てくれたら、少し落ち着くよ」



 きっとお互いにそう思ったのかもしれない。

 誰かが側にいれば落ち着く。エレナが隣に居てくれたら、落ち着くんだ。



「……再会の、時間だね」



 リタさんの言葉が心の鐘を鳴らした。


 円形のこの場所には真っ白な空間が広がっている。そして奥には三日月形に広がる湖が見える。

 そして何の因果か、雪の結晶とも呼ばれてるリヴィーサの花々が、足下を埋め尽くすように咲き広がっていた。


 そしてモーゼスさんが声を漏らす。



「……リュイス」



 モーゼスさんの視線を辿ると、そこには誰かいた。

 雪のような白色のドレスを着た女性。だけど走り難くないようにスリムな印象を感じる。

 朱色の長髪の女性を、俺も見覚えがあった。


 そして彼女が振り返ると、目元が熱くなった。


 そこにいたのは紛れもなくリュイスさん本人だ。

 それも俺が最後に会った時と何ら変わらない姿で、彼女はそこに立っていた。


 だけど、



「あれはリュイスであっても、リュイスじゃない。そこにいても、いないのよ」



 リタさんはそう言うけど、振り返ったリュイスさんはそこにいる。


 ──だけど、その意味をなんとなく理解した。



「リュイスはあの日、あたしたちの目の前で死んだ。だけど蘇ったの。死んで、再びあたしたちの目の前に……」


「死んで、蘇った?」



 ゆっくりとこちらへ歩いてくるリュイスさん。



「あたしたちには絶対的な回復の力を持っていた仲間がいたのよ。そいつは、誰にも言わずに自分の加護の使い道を考えてた。そして、そいつはリュイスを蘇らせたの」



 歩いてくるリュイスさんは、俺の知っているリュイスさんだ。

 大人っぽくて、剣の扱いが上手で、よく面倒を見てくれた、あのリュイスさんだ。


 何も変わらない。


 だけど、違う。

 彼女には感情がないようだ。モーゼスさんを見ても、表情を変えない。



「魂はもう、あのリュイスにはないのよ。ただ動く人形。蘇生術で蘇らせた、話すことも感情を表に出すこともできない、魂の抜けたリュイス。もうあたしも、レオナルドも、モーゼスのことも、わからないのよ」



 リュイスさんが左腰に付けた鞘から剣を抜いた。

 周囲のリヴィーサの花よりも輝く、いつも身に付けてた剣を手にした。


 そこで皆も口を開いた。



「蘇生術って、そんな加護があんのかよっ!? 死んだ奴を蘇らせる力なんてあんのかよっ!?」

 ヴェイクが怒鳴る。

「あんなの……生きてないよ。モーゼスさんを見ても、仲間を見ても、笑わない、喜ばない、悲しまない、泣かない、そんなの生きてなんか、ないよ」

 サラが目を伏せ。

「加護の別の使い方……そんなの」

 ティデリアが下唇を噛む。

「あんまり、なのですよ」

 ラフィーネが、涙を流す。


 それぞれが違う思いを口にする。

 もう、これから何が起こるのかわかってる。


 リタさんは魔術を使用する魔術書を手にして、悲しそうな声を漏らした。



「もう、終わりにしよう。ずっと怖くて来れなくてごめん。ずっと逃げててごめん。みんな、もうバラバラになっちゃった……だからあたしら二人しか来れなくて、ごめん……もう、終わらせるから」


「あいつのしたことは、俺たちが責任を持って終わらせる。もう、お前を苦しみながらここで彷徨わせやしないからな」


「お、終わらせるって、リュイスさんは、リュイスさんはまだそこにいるんですよっ!?」



 俺の声は二人には届かない。

 それに俺も、これ以上は何も言えなかった。


 死んだ人を蘇らせるなんてしちゃいけない。

 出会いがあるから、別れがある。

 別れがあるから、出会ってから大切に思える。

 死んだら終わり、死んだらそれぞれの記憶にしか残らない。


 終わらせるというのは……そういうことだ。



「手を、貸してくれ。ずっと逃げてきたあたしたちの忘れ物を本来あったとこへ帰す為に、そして」



 リタさんは、悲しそうに人の名前を口にした。



「オウル=ティンベルの馬鹿がやったことは、あいつの仲間で、リュイスの仲間であるあたしたちが終わらせるから」



 その名前の、親から受け継がれる親名を聞いて、俺はどこかで聞いたことがあった。


 ずっとずっと、側にいてくれた。

 ずっとずっと、俺を見てくれた。


 ずっと隣で一緒に歩みたいと思った、彼女と同じ。







「オウル・ティンベル……どうして、家族を捨てたお父さんの名前を知ってるの?」







 エレナの表情は雪のように真っ白で、誰にも聞こえないほど小さな声は、震えてるエレナの隣にいた俺には聞こえてしまった。



「おい、来るぞっ!」



 ヴェイクの声で俺たちは走った。

 散らばるように──リュイスさんの瞬足の攻撃を逃げる為に。

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