第66話 ツンデレな彼女


「なんだよ……なんなんだよ、これっ!」



 ──恐怖心。


 何がそう感じるのか、それはきっと、この剣が与えてる空気だと思う。


 この暗黒龍の宝剣をを手放せば解放される。だけどそれができない。


 ──もっと、もっともっと、この剣でモンスターを狩りたい。



『なにをしておるのじゃ、主よ!』



 ルシアナの声が聞こえるのに、それに抗おうと、俺の右手はどんどん力が込もっていく。


 放せない──放したくない。


 俺はもっと。



「それを」



 上半身を倒しながら、全身を襲う異常なほどの冷たさに苦しんでいると、エレナが俺目掛けて走ってきた。


 そしてそのまま、勢いよく振り下ろされた槍は俺の右手に当てられた。



「早く手放しなさいよっ!」


「──っ!?」



 勢いよく叩かれた右手から、ポロリと暗黒龍の宝剣が落ちる。

 そして、全身を襲った恐怖心や冷たさはまだ微かに残っていた。


 そんな俺の右手を、エレナは優しく握ると、祈りを捧げるように目を閉じた。



「聖樹の導きよ──《治癒の息吹エアリアブレス》」



 優しい声と共に、俺を苦しめていた感覚が消えていく。

 そして目を開けたエレナは、ただ一言だけ、



「……バカ」



 そう言って、頭を優しく叩かれた。



「やっぱり、その武器には何かあるんじゃない。嘘なんて、付くんじゃないわよ……」


「ごめん」



 何か言い訳をしようかと思った。だけど何も浮かばない。彼女の表情が、本気で俺のことを心配してるのがわかったから。



「ルクス、大丈夫か!?」


「ルクス様、ご無事ですか!?」


「う、うん」



 ヴェイクとモーゼスさんにそう聞かれ、俺は答えた。



「マズい、マズいマズいマズいって! ゴーレムちんの群れが後ろから接近してるよ!」



 サラの声を聞いて、まだモンスターエリアの通路部分にいる俺たちは来た道を見る。

 姿は見えない。だけど足音が、ズンッ、ズンッ、ズンッ、っていう重たい響く音がずっと奥の暗い通路から聞こえる。


 一体、二体、いや何体もいる。


 エレナの《聖天治癒師エレメントヒーラー》の加護の力で体の違和感は薄れたけど、落ちた暗黒龍の宝剣を拾うのが怖くなっていた。

 この場には、まだアイントゴーレムが二体もいる。拾って戦わないと──そう思っても、体が言うことを聞かない。



「──氷帝よ、氷の神騎たる我の呼び声に応えよ、炎神すらも凍らし、雷帝すらも貫く力を与えよ──轟け──昇華零細氷セルシエリ・ダスト!」



 地面に氷の剣を突き刺した、ティデリア。

 戻る道や、この場にいるアイントゴーレム目掛けて、氷の槍、氷の柱、氷の壁を出現させた。


 そして次の瞬間、ティデリアは怠そうに氷の剣に全体重を乗せながら叫ぶ。



「引き返すよりも九階層に向かうのが安全だ! 走れっ!」



 その声を聞いて、ヴェイクはティデリアを抱えて先頭を走った。

 続くのはハム助に乗ったラフィーネと、二丁の魔銃を手に持つサラ。



「おい、ヴェイク! 離せ、下ろせっ、このっ!」


「うるせえっ! 強力な加護の術を使って、もう歩くのすら辛いんだろ、だったら黙ってろ!」


「わ、わたしが先導するのですっ、モルルン逃げるのですよっ!」


「モルモルルルッ!」


「ピンチ、ピンチピンチっ! お願いだからボスモンスター来ないでよー」



 そしてエレナが俺に問いかける。



「大丈夫? 走れる?」


「あ、ああ」


「ルクス様とエレナ様は先へ──わたくしが皆様の後ろをお守りします!」



 モーゼスさんの声を聞いて、俺とエレナも走る。

 ぴったりと隣を走るエレナ、そして皆の優しさを感じて、俺は小さな声を漏らした。



「本当に……ごめん」



 ルシアナに『力に溺れるなよ』と言われたのに、俺は簡単に溺れた。

 やっと手に入れた力に、俺は心酔していた。そしてその弱い心を、黒龍である暗黒龍の宝剣に狙われた。



「ほんとよ」



 隣を走るエレナが、悲しそうな表情で言葉を続けた。



「ずっと一緒にいた仲間に、嘘なんて付くんじゃないわよ。……あんたには、たった一人でなんとかできる強大な力よりも、ずっと心強い仲間がいるじゃない」



 その言葉に返事ができなかった。


 皆にこの武器のことを隠したことによって、皆を危険な目に合わせてしまった。

 皆にこの武器の悪い部分を言っていれば、皆は俺の状態を確認しながら、ゆっくり戦ったはずだ。


 皆に気を使わせたくないと思って隠したばっかりに、危険にさらしてしまった。


 ただ俺は、今の自分より、もっと強い力を求めただけなのに……。








 ♦







 あれからボスモンスターに遭遇することはなかった。

 サラが出し惜しみせず、数に限りがある魔弾を使ってモンスターをなぎ倒し、ラフィーネとハム助がモンスターを威嚇しながら走る。


 ──そして俺たちは、全員が無事に九階層へ到着できた。



「……ルクス様」



 宿屋の屋上にいると、ゆったりと落ち着いた声色のモーゼスさんに声をかけられた。


 皆はそれぞれ別々の行動をした。

 エレナはフェリアと共に部屋へ。

 ヴェイクは眠っているティデリアの元へ。

 サラとラフィーネはセーフエリアを探索に。


 そして俺とモーゼスさんは、この平坦な家屋が建ち並ぶセーフエリアを一望できる宿屋の屋上にいた。



「モーゼスさんにも、迷惑をかけちゃったね」


「迷惑なんて、わたくしは思ってませんよ」


「でも、皆を危険にさせちゃった」


「それは……仲間なのですから、仕方ないことだと思いますよ」


「やっぱり、簡単に力を得ようなんて間違ってた。コツコツ努力してきたのに、今回はその努力で培ったことが何もできなかった」



 モーゼスさんはいつも皆に優しい。

 だけど今だけは、少しだけ言葉に気持ちが乗っていた。



「そう、でございますね。構えも適当、周囲を的確に把握できる長所も生かせず力に溺れた……。今回のルクス様に良かった部分は何一つありませんでした」


「……うん」


「ですが」



 モーゼスは目蓋をギュッとつむり、優しく微笑んでくれた。



「今回は良い経験をできました。それで、良いではないですか」


「……経験?」


「ええ、経験でございます。ルクス様は今回、一人で突っ走って駄目だった経験と、仲間と協力することの大切さをわかったはずです。その経験は、きっとルクス様をもっと強くさせてくれるはずですよ」


「経験か。そうかもしれないね」


「はい、ルクス様には心強い仲間がおられます。やっと手に入れた強大な力を前に気持ちが浮かれてしまっても、その過ちを助けられる仲間がおられるのです。それはとても、幸せなことなのですよ」


「たしかに、そうかもね。うん、やっぱり、まだ早かったのかもしれない。ゆっくり、この力を使いこなしてみせるよ」


「ええ、その意気ですよ、ルクス様。……それに」



 モーゼスさんは立ち上がると、表情は優しい微笑みなのに、どこか悲しみの空気を纏いながら、遠くを見ていた。



「一人で生きるのは、とても辛いことなのです。誰かが隣にいないと、とても……」


「モーゼスさん……」


「さて、皆さんのとこへ戻りましょう。きっとティデリア様も目を覚ましてる頃ですからね」


「そうだね」



 歩き出すモーゼスさんの背中を眺めながら、さっき言ったのが誰なのか、それに気付いてしまった。


 ──モーゼスさんの奥さん、リュイスさんのことだ。


 単身で世界樹へ挑んだ女性。

 そして帰らぬ人となった女性。


 昔のモーゼスさんは、俺と同じくらい弱かったって聞いたことがある。弱くて、リュイスさんに世界樹へ向かおうと誘われても頷けなかったらしい。


 強かったリュイスさんの足を引っ張ってしまうから、だと思う。


 そして、リュイスさんが帰ってこない──世界樹で亡くなったことを知って、モーゼスさんは何年も後悔していたらしい。

 今でこそ、こうやって明るく話せてるけど、その当時は話しかけられないほど自暴自棄になって酷かった。


 モーゼスさんがここに来た理由だって、きっとリュイスさんが眠る場所の手掛かりを探しにきたんだと思う。

 苦しいのは俺だけじゃない、力が欲しいのは俺だけじゃない、みんな、そうなんだ……。



「あっ、ちょうどいいとこで会った!」



 宿屋の廊下を歩いてると、買い物から帰ったサラに声をかけられた。


 そして、ついさっき買ったであろう物を俺に渡すと、にっこりとした明るい笑みを浮かべていた。



「はい、安物の剣」


「これは……?」


「んー、またおかしくなられたら困るからって、エレナに買ってきてって。あとあと、自分が買ってきたって言わないで渡してほしいって頼まれたのさ」


「エレナに?」


「バッ! バカ……それを言ったら駄目でしょ」



 部屋の中からこちらを覗いているエレナは、俺が視線を向けると、シュッと音が聞こえるほど早く部屋の中へと戻って、またゆっくりと顔だけを出して俺を見てる。


 そして少し顔を赤くさせながら、いつものツンデレっぷりを披露した。



「……あんたには、その安物の剣がお似合いよ。またゴブリンとかクスクスとかと調合して、泥臭くモンスターと戦ってる姿がお似合いよ」



 そして、サラは小さな声で俺に教えてくれた。



「……たぶんね、また暗黒龍の宝剣を使えばどうなるかわからないから、ルクスのことが心配なんだと思うよ。だからこれは、エレナなりの優しさじゃないかな」


「そっか」



 そう言ってくれればいいのに、と思い俺は笑いながら礼を言う。



「ありがとう、エレナ」


「……ふんっ! その安物の剣のお代はちゃんと貰うわよ。高級料理のフルコースで手をうってあげるわ」


「安物の剣と高級料理のフルコースは比例しないと思うんだけど?」


「私の優しさが、高級料理のフルコースと比例してるのよ!」


「なんだそれ」



 少し呆れながら言うと、サラは全身で呆れてるってポーズをしながら部屋の中へと入っていく。



「ほんと、ツンデレエレナ様は素直じゃないねー」


「なっ、誰がツンデレよ、この痴女!」


「なんだとー、誰が痴女だ、このぺちゃんこが!」


「ぺ、ぺちゃんこ……じゃ、ないわよっ!」



 そんな他愛もない話を聞きながら、少しだけ温かい気持ちが全身を包んだ。

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