第48話 デレ?
「えっと……エレナの、赤ちゃん?」
エレナの手の中には丸顔の赤ちゃんが、ニコニコ笑っていた。
その赤ちゃんは、エレナのことを「ママ」と呼んだ。じゃあ、エレナが母親で、
「んなわけないでしょ」
だが小突かれ、少し頬を赤くさせたエレナは、
「もし私がこの子の母親なら、父親はあんたになるわよ?」
「パーパッ! パーパッ!」
その赤ちゃんは、まるで抱っこをせがむように俺に小さな両手を前に出して「パパ」と呼んでくる。
状況が掴めず、俺は他の皆を見る。
ニヤニヤしながらサラが「……二人は陰でそういうことしてたんだねー」と言い、「えっと、おめでとう? なのです」とラフィーネが本気で祝福してるようにパチパチと手を叩き、「ルクス様に子供……執事として長年お仕えしておりましたが、わたくしはとても嬉しいです」と涙もろいモーゼスさんは大粒の涙を流す。
駄目だ。誰も疑うことを忘れてる。
そして残った二人は、少し難しそうな表情をしていた。
「……この件については後だ」
「ああ、後でゆっくり話そう」
とヴェイクとティデリアは元の道へと向き直り、
「今は七階層を目指すぞ、ボスモンスターがそろそろ来てもおかしくねぇ」
二人は前を走り、俺たちもは後を追う。
その途中、俺は二人に抗議した。
「えっと、勘違いしてないよね? 俺とエレナの子供じゃないからね!?」
そう伝えると、ヴェイクは顔だけを後ろに向け、ニヤ顔で、
「良かったじゃねぇか。愛の結晶ってやつだな」
「「違う!」」
エレナと声が被った。
そしてエレナの手の中で笑う赤ちゃん。
なぜ、なぜこうなったのか……。
腑に落ちない気持ちのまま、俺たちは無事に七階層へと到着した。
七階層のセーフエリアへと続く門を抜け、目の前にはこの七階層で暮らす人々の村──セーフエリアに到着した。
平らなに並んだ家屋。だが一カ所だけ大きな建物があり、サラはその場所を見ながら驚いていた。
「うわっ、デッカいお城がある!」
「五階層よりは狭いけど、あのお城みたいなの、かなり目立つね」
「ええ、他の家に比べると大きいから、なんだか場違いみたいよね」
エレナの言う通り、他の一般的な家とは比較にならないほど大きな石材で造られた真っ白なお城。
神殿とか、宮殿とか、神を称える場所にも似た雰囲気の建物は、この土壁で囲われたセーフエリアには不釣り合いだ。
「あれは、ギルドの連中が建てた《ギルド会館》ってやつなんだよ」
「ギルド会館?」
「ルクスはそんなのも知らんのか」
少し呆れてるのか、ティデリアは腕を組んで俺を見つめる。
「ギルドには拠点にしてる階層があって、そこから近い階層に移動して食料や武器や防具を調達したり、その階層のモンスターエリアでモンスターの討伐をして生計を立てている。私たちみたいに毎回宿屋を借りていたら金がかかるから、ああやって、拠点を設けているんだよ」
「へえ、なんだか自分たちの家みたいだね」
その例えが正しかったのか、ヴェイクは前を歩きながら、
「ギルドなら誰でも拠点となる場所を持ってるもんだ。まあ、あそこまで大きいと維持費が馬鹿にならんけどな。ほら、俺たちは宿屋に戻ろうぜ?」
皆は歩きだした。
たしかに、どこかの階層に家を建てるのはいいかもしれない。
だけどずっと上の階層を目指すのなら必要もない気がする。
良い点と悪い点があるように思える。まあ、これに関してはギルドを設立してからになるから、後々になってみないとわからないのかもしれないな。
俺はエレナ──そしてエレナが抱えてる赤ちゃんを見て、
「とりあえず、宿屋まで到着するまでは、その角みたいなのは隠したほうがいいかもね」
「ええ、さすがにこの角はマズいわよね」
エレナは角を隠すようにして抱えると、歩きだした。
中央へと湾曲した二本の角。
人間には絶対に無い角。
じゃあモンスターなのか? と思っても、
「マーマ、いえ、いーえっ」
と家を指差して言葉を喋ってる。
モンスターは喋らない、っていうのは俺でも知ってること。
だからモンスターでもない。
じゃあ、彼女はなんなんだ?
俺もエレナもわからないといった状態のまま、宿屋に到着した。
「ああ、疲れたな。少し休憩して、なんかご飯でも食べながら今後の──つか、その赤ちゃんのことを話すか」
ヴェイクは部屋に到着するなり疲れ果てたおっさんみたいな感じで床に倒れた。
「そうね。じゃあ私は、この子と部屋に戻ってるから」
「俺はその子の角を隠せる服を探してくるかな、さすがにその姿で宿屋の中を歩くのもマズいだろうし」
「うん、お願いね」
エレナはそう言って、女性陣の部屋へと向かった。
そしてなぜか、赤ちゃんの服を買いに行こうとするとサラとモーゼスさんが付いて来た。
「別に、一人でも大丈夫だよ?」
「んー、だって待ってても暇じゃん? それにルクスがどんな服を選ぶのか気になるし」
「わたくしはルクス様が初めて赤ん坊の服を買うところを、この目に焼き付けたいなと思ったのです」
なんだろう、二人とも理由がおかしい。
とはいえ、どんなものを買えばいいのかわからなかったから、良かったと言えば良かった。
「ねえ、二人はどう思う? あの赤ちゃんのこと」
「どうって言われてもねー、まあ、二人の赤ちゃんなら良かったと思えるよ?」
「違う。それに俺たちの赤ちゃんなら、あんなとこに捨てないから」
「だよねー。じゃあなんで、二人のことを『パパ』と『ママ』って呼ぶんだろ?」
「さあ、よくわかんないよ」
「その事よりも、わたくしはあの角が気になりますね。まるでモンスターみたいですから」
「そうだよね。まあ、帰ってから話を訊いてみようかな。それに、エレナが赤ちゃんから話を訊いてくれてるかもしれないし」
そう言うと、サラは「ええー」と顔をひきつらせていた。
「エレナはそんなことしてないと思うなー」
「なんで?」
「んー、勘かな? もしかしたら、赤ちゃんにはすっごくデレてるんじゃない?」
「エレナが? あのツンツンしてる? まさか」
俺は鼻で笑った。
ないだろ、たぶん。
それなら、俺らにもっとデレてもいいはず……いや、俺らにデレなくてもいいけど。
そんな他愛もない会話をしながら、買い物を進める。
だけど赤ちゃん用の服ってのはあまりない。
なので、少し大きいかもしれないけど子供服っぽい、全身と頭を覆う薄緑色のローブみたいなのを買って帰ることにした。
そして宿屋に戻ってきた。
すぐさま、エレナの待つ部屋へ向かった──のだが、そこで、中から少し変な声を聞いてしまった。
「マーマ、ベッドふっかふか、すんごいふっかふかだよぉ」
「うんうん、ここのベッドはふっかふか、まるで雲の上みたいね」
「くも? くもさんも、こんなにふっかふかなのぉ?」
「そうよ、お空に浮かんでる雲さんも、このベッドみたいにふっかふかなの」
「でも、マーマもふっかふか」
「うんうん、ママの肌はふっかふかなのよ」
エレナ?
違う。違う違う違う。
エレナはあんなに可愛い声を出さない。
そう思っても、宿屋の一室から聞こえてくるのは、さっきの赤ちゃんの声と、めちゃくちゃ優しそうな女性の声。
俺はそれを、扉の前で隠れて聞いていた。
「マーマ、パーパは?」
「アイ……えっと、パパはちょっとだけ、お出かけしてるのよ」
「えー、フェリアもいきたい! パパとおでかけしたいっ!」
フェリア? もしかして赤ちゃんの名前か?
そして、続けて聞こえた声は、まるで良くできた母親のような優しい声。
「んー、じゃあ後でママとお出かけしよっか?」
「うんっ! マーマとお出かけするっ!」
「フェリアはいい子ねぇ、あー、お肌もお餅みたいに柔らかい!」
「マーマもやらかい!」
そんな幸せそうな家族の会話を盗み聞きしてる時、
「ルクス? どったの?」
とサラに声をかけられた。
そして部屋の中の会話がピタリと止まり、中から何かが扉まで近付いてくる足音を感じ、俺は慌ててサラと一緒に逃げた。
「なになに、どったのさ?」
「いや、エレナのためにも、今は中に入っちゃ駄目な気がするんだ。ほら、早く皆のとこに戻ろう」
ん? と不思議そうな表情をしているサラ。
二階部分にある部屋からは「誰!? 誰かいるの!?」といういつものハキハキしたエレナの声がするが、なんとか逃げられたようだ。
「ふう」
俺は、一階にある男性陣の部屋へと戻るなり、息を吐いた。
「おお、ルクス。エレナはどうした?」
「エレナは、なんだか忙しいみたいなんだ」
「忙しい? よくわかんねぇけど、ちょっと二人とも座ってくれ」
ヴェイクにそう言われ、俺とサラは毛の付いたカーペットの床に座る。
「……少しだけ、聞きたいことがあるんだ」
そう切り出したヴェイク、それに他の皆も深刻な表情をしていた。
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