Preparation:準備

賑やかな雑踏の中、瞬く間に街は夕闇に包まれる。でもその喧騒は薄れることはなく、綺麗に飾り付けられたショーウィンドウが煌々と人々を照らす。見上げた空が紺に染まるこの時間帯、ショーウィンドウの飾りはより一層その雰囲気を醸し出す。黒にオレンジ、あるいは少しばかりの紫色。ハロウィンの飾り付けだ。悪霊達の跋扈する飾りもポップにそして楽しげに街を彩る。愉快な飾り付けの向こうには可愛い魔法使いの衣装や割とリアルなゴリラの被りものに、恐ろしい死神のマスク、おどけたピエロなどのパーティ用の仮装などが並んだりしている。また隣の建物のショーウィンドウにはいつもと違うパッケージに包まれたお菓子の山が聳える。

そんな街の様子をとある少女が楽しそうに遠巻きに眺めながら道を行く。人混みの中をスイスイと潜り抜けていくその容姿は10歳かそこらといった感じであろうか、幼さがみてとれる。少女はハロウィンの仮装をどうしようか決めあぐねて街の様子を見にきたのだが、お菓子や玩具、あとは店頭の客寄せに使われているハロウィンをモチーフにしたアニメーションなんかに目を奪われてしまっていた。だが彼女は別段そんなことは気にしない。気まぐれというか自由奔放というかそんな性質なのだ。それに寧ろもっとハロウィンの雰囲気を知りたかった。もっとハロウィンを理解してから、その衣装を選びたかった。だってハロウィンというものを少女は知らなかったから。

"あの家"ではハロウィンという行事はなかった。あったとしてもちょっとしたデザートが増えたくらいだったろう。少なくとも彼女がハロウィンという日を認識出来たことはない。"彼"はそういう人だったから。なんというかイベントにはとんと無頓着で街の雰囲気が変わろうとも彼はいつも変わらなかったなと、少女は懐かしい日々の記憶に頬を緩める。

始まりはあの日だ。少女は真っ黒なくせっ毛をピンと摘んで見上げた。忌み子、不吉と疎まれ捨てられた黒を彼は気にしなかった。受け入れてくれた。保護してくれた。彼が少女を救ってくれた。その日から彼との共同生活は始まる。共同生活が始まった頃、彼は朝起きて出かけていき、昼過ぎぐらいに帰ってきた。遅くても日が暮れる頃には帰って来てくれた。そして家にいる間はよく少女の遊び相手となってくれた。そうして何日か朝に出かける日々が続くとお昼に出かける日がやってくる。この日はいつも帰ってくるのが夜遅い。だけど次の日は一日中家で少女の遊び相手になってくれたものだ。そして一日中遊んでくれる日が終わるとまた彼が朝出かける日々がやってくる。そんな日々の中、彼は時々玩具なんかを買ってきたりだなんてして少女がそれで遊ぶ様子を楽しそうに眺めていた。そんな時の彼は凄くいい笑顔を向けてくれるのだ。夢中で遊んでいた玩具から、ふと顔をあげた時に彼のその笑顔が目に入ると少女もつられて幸せな気分になった。そんな彼の生活も季節が巡ると少しずつ変わっていった。出かける時間は徐々に遅くなって出かけない日も多くなっていった。その代わり出かけていない日でも、机に向かったりする時間は増えたが、それでも少女に構う時間はしっかりと確保してくれた。それがある日突然、彼は朝に出かけるようになって帰りも日が暮れる頃帰るようになった。出かける時も今までと違ってスンとした服になったし、多分ご飯も以前よりもいいものになったと思う。でも彼と遊ぶ時間は前よりも減ってしまっていた。少女にはそれが残念だった。それでも彼は少なくなった時間で変わらずに少女を可愛がってくれた。少女はいつまでもその時間が大好きだった。彼と遊ぶのが大好きだった。

そんな彼に久しぶりに会えるのだ。衣装にも気合いが入って当然だろう。

さて、どんな衣装にしようか。折角なんだから可愛いものがいい。ハロウィンらしさだって大事だ。でもかぼちゃだとかシーツを被った幽霊みたいな顔が隠れちゃうのは嫌だし、怖いマスクなんて以ての外。そうしてお店に並ぶ仮装を眺めてみるとやっぱり"これ"なのかなと、ある衣装を見つける。これはお店の飾り付けやイラストにもよく描かれてるし、きっとハロウィンにもってこいの仮装なんだろう。それに私の名前にもピッタリなんじゃないのかな?だってこれと一緒によく描かれてるし。少女はそう考えながら首からぶら下がる銀に輝くそれを手に乗せる。少女の由来を象った綺麗な弧を描くアクセサリー。うんうん、衣装はこれで決まり!…とは言えないな。少女は改めて仮装の並ぶ棚を眺める。同じモチーフであっても人気のそれは色々な種類が並んでいる。少女はどうせなんだからやっぱり最後も適当には選びたくなかった。その衣装はシンプルでスマートなものからレースやリボンの飾りが付いた可愛らしいものまで沢山あって、少女にはどれが自分に似合うかなんてわからなかった。なにせ彼女はそんな風に着飾ったことなんて生まれてこのかた1度もなかった。少女は悩んで悩んで頭を痛めていると、ふと、とある仮装が目に止まる。これだ、これ!少女は反射的にそう思った。とっても可愛らしくて、何より他の衣装には付いていない"これ"がすごく私らしい!少女はその衣装を間近で眺めては、何度もうんうんと満足そうに頷く。そうと決まると少女はクルリと向きを変え、鼻唄交じりにスキップをしながら夜の街の喧騒の中へと消えていく。


それから数日経った待ちに待ったハロウィンの夜、少女は弾む足取りで街を行く。同じような仮装をした人の中をスルスルと抜けていくと人々の顔が目に入る。街が楽しそうだ。何かを祝っているような。ハロウィンの由縁を詳しくは知らない少女は、家族に会える日。そんな風に考えていた。ただ街の人も由縁云々など気にせず縁日や祝祭のように楽しんでいるのだろうけれど。浮かれる街の中、少女はスっとメインストリートを外れ、街灯がぽつぽつと立つ人通りの少なくなった脇道に消えていく。少女が今日ここにいるのも可愛らしい仮装に身を包むのも、見ず知らずの人達と街を練り歩くためなんかじゃなく、彼に会うためだけにだ。でも彼も街の人達と同じようにお祝い事を祝って楽しく過ごせばいいのに、と思わなかったわけでもない。あるいはそういう日は少女をいつもより少しだけ可愛がってくれたりしたのかもしれないのかな、と遠い日々を懐かしんでいると少女はいつの間にか彼の現在に思いを馳せていた。いつものように家事をこなして、テレビでも付けて…、私がいなくなってから彼はどんな風に過ごしているのだろう?少女は「うーん、」と唸り声をあげる。考えてもわかる筈がない。だって自分のいない彼を少女は知らなかったから。頭をブルブルと振って頭から考えを振り払うと懐かしい建物が目に入る。

少女は小さなアパートの階段をトトっと駆け登ると一つの部屋の前に立つ。3年と半年ぶりぐらいだろうか?すっごく久しぶりだ。もう会えるのだ、ウキウキして堪らない。戸を叩くノックの音もどこか楽しそうに弾む。でもその音に応える声は無く、少女は小首を傾げる。どうしたのだろう。昔通りの彼ならきっと家にいる筈だ。僅かばかり首をもたげ始めた不安が、徐々に少女の心を覆っていく。少女はたまらずもう一度コンコンとノックする。返事はない。今にも泣きだしてしまいそうになっていると、微かにパタパタと音がしたかと思うと戸がガチャリと音をたてて開かれる。少女はハッと見上げるとそこには懐かしい彼の顔があった。少しばかり不思議そうな顔でこちらを見つめる彼。少女はパッと顔を綻ばせて、すうっと息を吸う。覚えてきた今夜だけの特別な呪文を満面の笑みで…


「トリック・オア・トリ~トぉ!」

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