A trick of the night
赤田 沙奈
Prologue:序章
赤や黄色、或いはショーウィンドウに飾り付けられたオレンジのように街路樹が色付き、今夜の祭りの色に染め上げていく。一人の青年が雑踏の中、幾度と踏まれたそれを更に道路へと染み込ませるようにいつもの帰途につく。街が心無しか浮ついている。まあ彼には関係のないことだ。あるとしてもあの陽気な同僚にその祭りに誘われたくらいだろうか。その同僚にとっては善意なのかもしれないが、このようなイベントを純粋に楽しめない人種も世の中には居て、周りの空気を濁してしまうならと、ありもしない予定を入れて断っているということにも少しは気を向けて欲しいものだ。無論断ることに幾許かの後ろめたさはあるが、それは楽しい雰囲気をぶち壊してしまう後ろめたさとのダブルバインドの中に出す苦渋の選択に近い。そう、そうなるのならば、もう彼らとは生きる世界が違う。そう割り切ってしまった方が楽で、こちらもそちら側に手を出さないから、そっちもこちら側に手を出さないで欲しい。彼は自分の生きる世界とはそういう下らないものなのだと決めつけていた。
家に着いた彼はなんだか自然と安堵のため息を吐く。玄関の灯を付けると家が彼を向かい入れる。かと言って温かいわけでもない。無人の冷たさが未だ彼の身体を包む。なにをするでもなく呆然と過ごせば時間と共にこの冷たさは増していくだけだろう。彼は氷のような静寂を破るようにヤカンを火にかける。お湯が湧くまでの間に冷蔵庫から野菜を取り出し手早く刻み、下ごしらえを終える頃にはお湯が湧くのでお茶を入れる。そして切った野菜をコンロにかけ、炒めている間に朝の食器や夜のうちに使ったコップを洗う。手慣れたものだ。一人暮らしが長く続けばこれくらいどうということはない。いつも通りの家事をこなす。
鍋がいい香りを放ち始めた頃、家の戸がトントンと優しくリズミカルに叩かれる。誰だろうか?ここの所、ネット通販なんて利用した覚えはないし、宅配便とかならその旨を告げる声がするだろうからきっと違うだろう。かといって訪ねてくる客人に心当たりなどありはしない。なら宗教勧誘とかそんなだろうか?戸の向こうの人物を推測していると再びトントンと軽く弾むように叩かれる。彼はハッとして戸を開けに行く。こんなことで逡巡したってしょうがないことだ。誰だか知らないがただ客人がやってきた、それ以上の意味はないのだから。彼はドアノブに手をかけ戸を少しだけ開く。するとそこには少女が小首を傾げて立っていた。そして戸が開き青年の顔を見つめると、その表情をパッと明るくさせる。まるでその身を包んでいる黒とオレンジを基調としたカラフルな衣装のように。彼の困惑を気にも止めず、見知らぬ少女は満面の笑みで告げる。
「トリック・オア・トリ~トぉ!!」
それは今夜の、ハロウィンの夜だけのおまじないだった。
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