17話

「第三回大会の後でさ、私、怒ったでしょ?」

「……そうだな。俺は顎に一発もらったせいで、夕飯が食べられなかった」

「うん。悪かったと思う。私もわからなかったんだ。なんであんなに腹立ったのか」

「……ほう?」


 徳栄は、加奈子の膝の間でもじもじと動く指を見つめた。本気でやり合うからこそ、腹が立つことはいくらでもある。ただそれだけだと思っていた。少なくとも、殴り返したという意味で同じ罪を負う徳栄は、その程度にしか捉えていなかった。

 加奈子は手指を遊ばせてるの止め、絡ませた。


「なんだか凄くムカついて、思わず殴りかかって……答えがわかったのは、ネットで試合を見返したときだったよ。いろんなコメントがついててさ。その中のひとつを見て、気づいちゃったんだよね」

「なににだ?」

「だから、ゴーレムの人権について。もっと言うと、ゴーレムの感じる痛みについて」


 加奈子は、ポツリポツリと話し始めた。試合後に視聴した動画で、あるコメントが気になったのだという。敗北した仙波陣営に対するコメントだ。


『ゴーレムが可哀そう』


 たったそれだけの、どうやら子供がつけたらしい感想だ。あるいは子どもを装ってロボット格闘を揶揄するコメントかもしれない。

 しかし、それを見た加奈子は、ふと思ったという。

 与えられた命令をただ黙々と実行するゴーレムたちは、果たして本当にそうしたいと思っていたのだろうか。


 もちろん、機械に対して向ける疑問ではないと、頭ではわかっている。けれど、感情の方はそれほど物分りがよくない。それから悶々と考え続けた加奈子は、もしかしたら、とひとまずの結論を出す。


 勝てる勝負だったからでは? 

 負けたのは、加奈子が判断をミスしたからでは?

 言い換えれば、ゴーレム自身には勝てる実力があったのに、指示に従う以外の選択肢が与えられていなかったから、負けてしまったのではないか。


「そう思ったら、いろいろ考え始めちゃってさ」

「……敗因をどう分析しようが、それは仙波加奈子の自由だ。だが、それがどうしてゴーレムの人権だの、痛みだのに繋がる? もしや、ヴェルテュ・ルロワとの試合の話か?」

「さすがに鋭いね。そうだよ」


 席を立った加奈子は棚に並ぶビッグマネーに歩み寄り、そのひとつを手に取った。


「ゴーレムはボイスオーダーで動く。それは制御プログラムにしたがった結果でしかない」

「そうだ。それがどうした?」

「でも人の声には揺らぎがある。毎回、まったく同じ発音をしているわけじゃない。だからゴーレムは、音声を認識したら、まずAIが補正をかけるでしょ?」


 加奈子はビッグマネーを棚に戻して向き直る。

 言わんとすることがわからず、徳栄は先を促した。


「命令を認識したゴーレムはこう思うんだよ。『この人はなんて言ったんだろう?』、『もしかしたら、こうかな?』、そうやって、どの命令に該当するか判断する。わからない?」


 そういうことか、と徳栄は背もたれに体重を移した。


「ゴーレムはAIによって適切な『判断』をする。言いかえれば『意思決定』をする。それはボイスオーダーの補正に留まらない。カメラで映像を認識し、状況を逐次判断し、もっとも妥当な動きを考え、自分で決めるわけだ」

「そう。そうやって私たちがゴーレムにやらせているのは……」

「戦いだ。それも、人で言えば、命にかかわるような戦いだ」

「うん。そんな戦いをさせてるのは、誰だろう」

「無論、俺たちだ。仙波加奈子の言い分を認めるなら、そしてヴェルテュ・ルロワの考えを受け入れるなら、俺たちはゴーレムの意志を無視して戦わせている」


 徳栄は壁に並ぶビッグマネーを眺めた。


「悪く言えば子供じみたSF的な考え方だ。だが、ヴェルテュ・ルロワのような輩が現れてしまった。実際にAIの判断だけで戦うところまできた。では、次は?」

「そうだよね。私もそう思った。あの子がI&Sに与えようとしている変化は、私の予想通りなら、一番行って欲しくない方向に向かうと思う」


 加奈子は右手で銃の形を作った。

 徳栄はため息まじりに頷く。


「軍需産業か? たしかに、それは十分ありえる話だ。だが、それとこれがどう関係するというのだ? ヴェルテュ・ルロワへの勝利で、仙波加奈子はなにを手に入れる?」

「夢を見すぎって言われるかもしれないけど、倒してみせて、あの子にもわかってもらう」

「なにをだ?」

「I&Sは、お金のかかる玩具だってことを」


 徳栄は眉間にしわを刻みつつ、どういう冗談なのかと加奈子の顔を見直した。

 加奈子は、悪戯っぽく笑んでいた。


「玩具だから、対戦したりしてともだちと遊ぶための道具だって、わかってもらうんだ。子どもの頃といまじゃ、大きさが全然違くなっちゃったけどね。それにほら、誰かさんみたいに、他に友だちがいない人にとっては、友だちにもなってくれるんだって、ね?」

「……くだらんな!」


 徳栄は凶暴な笑顔をつくって、吼えた。サッと顔を歪めた加奈子を手で制する。


「くだらんが、思えば最初からくだらないものだったのだ。子どもの玩具。永見川成徳にもそう言われた。事実だ。それのなにが悪い? 永見川成徳も、ヴェルテュ・ルロワも、 それに取峰浩二も、なにも分かっていない! 遊びに遊び以外の意味などいらんのだ!」


 捲し立てた徳栄は、加奈子に向き直り、深呼吸をひとついれた。

 吼えた勢いにのせて、言葉を切らずに言ってしまうべきだったと思う。

 群れからはぐれた狼に手を差し伸べてくれたのだ。言わなければいけない。ずっと支えてきてくれた緋登美にも言えなかった言葉である。

 徳栄は両手を膝の上で握りしめ、頭を垂れた。


「あっ――ありがとう。仙波加奈子。は、話して、くれて」


 声に出した瞬間、汗が吹き出すほどの熱を躰の内側に感じた。みるみる内に徳栄は赤くなり、やはり勢いで誤魔化そうと頭を振り上げる。

 加奈子は目を丸くして、呆けたように口を半開きにしていた。

 徳栄は湧き出る唾をぐっと飲み込んだ、気を抜けば絡まりそうな舌を根性で滑らかに回した。


「そうと決まれば! いますぐ試験棟に行くぞ! すでに三日も無駄に使ってしまっているのだからな! ヴェルテュ・ルロワに勝てるものを作らねばならん!」

 一方的に宣言して踵を回し、扉に向かう。その背に加奈子が言葉を投げた。

「もっかい言ってくれたりしない?」


 つんのめった徳栄は扉にぶつかり、ほとんど転ぶようにして外にでた。と、同時に可愛げのある悲鳴があがる。

 緋登美が、ぱちぱちと瞬いていた。いつものように、胸にタブレットを抱いている。


「え、えぇと……社長。お話は終わりました?」

「柳川緋登美!? なにをしている!? あ、いや、仙波加奈子を呼んでくれたはわかっているのだが――ぬ?」


 徳栄が眉をひそめる。

 緋登美の隣に永和ロボティクスの開発部長が立っていた。気まずそうに小さく頭を下げはしたが、徳栄を見ようともしない。

 部長からの目配せを受け、緋登美が誇らしげに胸を張る。


「社長がお休みの間に、私が、お声がけしておきました。いくら仙波工業のみなさんにお力添えいただいても、ビッグマネーの整備については、やはりウチの人間がいないと難しいだろうと思いまして」

「それは……それは、そうだろうが……いいのか? 取峰浩二の指示に従わないと……」


 次が最後となる。つまり、終われば永和ロボティクスの解散すらありうるのだ。

 沈む泥舟から逃れるためには音頭をとった取峰についていかねばならない。まして部長職まで登っていたのなら、年齢も含めて、そう簡単にヨソに移れるものでもないだろう。

 動揺する徳栄を前に、部長は背筋を伸ばした。


「あんな負け方が最後じゃあ、ウチの名折れですからね。しかも今回は仙波工業さんとの共同開発という形ですし、お祭りみたいでいいじゃないですか」


 言って、気恥ずかしそうに頭を掻いた。

 徳栄は湧いて出てくる言葉を腹の底に押し込め、頷いた。


「それじゃ徳栄!」

 加奈子の声に振り向くと、強化外骨格を身に纏い、窓から身を乗り出していた。

「先、行ってるからね!」


 ひらひらと手を振り、窓から飛び降りた。やめろというのに、聞く気はないらしい。もう驚いてやるものかと鼻を鳴らした徳栄は、緋登美と部長に背を向けたまま、言った。


「ビッグマネーを頼む。俺は、やらなければいけないことができたらしい」

「はい!? 社長、せっかく――」


 緋登美の驚く声に、徳栄は力強く答えた。


「だからこそ! やらねばならんことができたのだ! ついてこい柳川緋登美!」

「は、はい!? どちらに行かれるんですか!?」

「それは後で教える!」


 言いつつ徳栄は歩き出した。横を通り過ぎる間際に部長と目が合う。瞬間、徳栄は小さく頷いていた。

 なんてことのない目礼だ。特段の意図もこめられていないだろう。

 が、少なくとも緋登美の知る限りにおいて、初めて、部下に対して頭を下げた瞬間だった。


 永見川徳栄は仮にも社長である。

 その『仮』が、いま外れた。

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