16話

 それから、さらに二日が経った。

 永和ロボティクスの社長室、徳栄は雑然とした机に足を乗せ、ふんぞり返っていた。せめて態度だけでも大きくしなければ気が滅入りそうだったのだ。肘掛けについていた頬杖を崩し、壁棚に並ぶビッグマネー群を見つめる。


 どうやって壊れたビッグマネーを再生させたものか。

 意外なことに、社の人間の多くは、いつもどおり出社していた。それこそ一昨日に開いた会議の結果など知らないかのように、仕事をこなしている。別れた際に緋登美が気を利かせたのか、昨日の朝からハイヤーを回すか訊ねてくる電話もあった。もっとも、昨日はそれを断り、自宅で惰眠を貪っていたのだが。


 今朝それを利用して出社してみると、受付嬢も挨拶はいつもどおりにこなしていたし、社長室に入るまで、敵意の視線を向けられることもなかった。おそらく、二週間後には退社すると決めているからこその落ち着きなのだろう。


 ただ、ロボット開発部の人間が誰一人として出ていないらしいのには寂しさを覚える。

 徳栄は窓辺に立ち、ゴーレムの試験棟を見つめた。I&S:REALを始めるに当たって増築し、以後三年間、ほぼ毎日のように通ってきた建物である。普段は朝から電灯が灯っており、夜になっても明かりは絶えない。

 しかし、今日は別だ。


 横にずらりと並ぶ窓はいずれも暗く、そこが使われていないと分かる。

 いつもなら試験場へと続く道に資材搬入用のトラックが並んでいるはずが……、

 ――あった。三台。


「なに?」


 疑問が口から溢れる間にも、トラックは四台、五台、六台と続いていく。


「なんだとぉ!?」


 徳栄は額を窓に張り付けた。最後尾から巨大なトレーラーが入ってきたのだ。荷台にカバーが掛けられているが、明らかにゴーレムと思しき巨体がくくりつけられている。

 しかも、トラックの側面には見慣れた文字列が並んでいた。


『(有)仙波工業』


 つまり荷台に載っているのは、仙波マンパワーに違いない。

 と、次の瞬間、目の前を加奈子の顔面が過ぎった。


「のわぁ!?」


 叫ぶと同時に徳栄は尻餅をついた。ありえない。社長室は、地上四階にあるのだ。

 しかし、たしかに、一瞬、仙波加奈子の顔が。

 がしょん、と機械的な音を立て、奇妙な形の足が窓際に降りた。エキスポでも見た、仙波工業制作の強化外骨格――その逆関節版である。

 まるで馬の後ろ足のような白い外装の器具を足につけた加奈子は窓に張り付き、呆ける徳栄を指差してカラカラと笑った。


「な、なにをしているのだ仙波加奈子ぉ!!」


 とりあえず怒鳴っておく。

 加奈子は腹を抱えて笑いながら、窓の端をちょいちょい指差す。開けろ、という意味だろう。

 徳栄は次から次へと頭に浮かぶ罵倒語すべてを唾とともに飲み込み、大急ぎで開けられる窓を探した。ビッグマネーの並ぶ棚のすぐ横の窓を指差して、鍵を開ける。

 すると、加奈子は二度頷いて、飛び降りた。


「おぉい!?」


 加奈子の飛び降りた窓に近寄ろうとした徳栄はしかし、すぐ真横からまた顔を出したその人の姿に、再び尻餅をつく羽目になった。

 やはりガチョンと音を鳴らして、加奈子は窓際に立った。窓を押し開き、社長室に侵入する。途端、なはははは、という快活な笑い声が社長室に響いた。


「なに、いまの! のわぁ! って!」


 加奈子は仰け反る徳栄の真似をして爆笑した。


「すっごい驚いてたじゃん! ビビりすぎだよ徳栄!」

「お、驚くに決まってるだろうが! 足を滑らせたらどうする!?」


 なんとなく驚いたことを認めたくなくて、老人めいた説教をしていた。

 加奈子はその言葉を受けて、神妙な顔をつくって頷く。


「たしかに。ちょっと危なかったかもね」

「そ、そうだ! 四階だぞ!? 地上十二メートルだぞ!? なにを考えてる!?」

「私の大事な友だちの、ピンチだけ考えてたよ」


 そう言って加奈子は猫のように口元を緩めた。


「一昨日、緋登美さんがウチに来たんだ。徳栄のこと、助けてやってくれないかって」

「なっ!?」徳栄は頓狂な声をあげて扉を睨んだ。「柳川緋登美!?」

「すごい、いい秘書さんだよね、緋登美さんってさ」


 徳栄はどう答えるか迷った。素直に賛辞として受け取り喜べばいいのか、あるいは休みを取れという命令を無視したから優秀な秘書ではないと屁理屈を唱えるべきか。

 けれど、混乱し、落ち込んでいた徳栄の頭は、誇れるものを欲していた。


「……そうだろう! この俺の! 自慢の秘書だからな!」

「そういうの、本人に言ってあげればいいのに。きっとすごい喜ぶよ?」

「それは……その……ではなくてっ」


 頬を赤らめた徳栄ではあったが、すぐに開き直って訊ねる。


「いったい、なんの用だ!? 俺を笑いに来たのか!?」

「あはは。気づいた。まぁ、半分はそう。驚かして笑ってやろうかと思って。こいつで」


 言いつつ、足につけた強化外骨格で足踏みをした。


「エキスポでは出してなかった試作品。気に入ったから、私物にしちゃった」

「……強化外骨格をか!?」

「そう。結構お金かかってるんだけどねー。商品としては微妙だから。ほら、逆関節だと後ろに空間が必要になるでしょ? それに意外と重心取るのがムズいんだよね」


 加奈子は横を向き、腰で接続されている機械の足を後ろ手に撫でた。背中側に張りだした足は、たしかに一人分の余計な空間を専有している。

 その空間の上方部、つまり背中には、バッテリー及び制御装置と思しきバックパックを背負っているが、それにしても尖って張り出す足は一見して邪魔だ。


「……それで、俺の失敗に気づいたわけか」


 その姿を見て、徳栄はヴェルテュとの試合を思い出した。

 ゴーレムに大きく腕を振りかぶらせて打ち下ろそうとした徳栄に対して、加奈子はそれは罠だと看破していた。声が耳まで届いたときには遅かったが。


「まぁ、そういうことだよね」加奈子は両手を腰にあて、自慢げに胸を張った。

「と、それはともかく、ビッグマネーの修理と改造、手伝うよ」

「……なぜ?」

「なぜって……頼まれたから。緋登美さんに」

「柳川緋登美は、ウチの社内情報を漏洩したということか」

「……そこ!? いや、そこは怒らないであげてよ。緋登美さん、ものすごく悩んだ末にウチに来たみたいだったし。話を聞いてるこっちが心配になるくらいで……」


 加奈子はそのときを再現するかのように、両腕で自らの躰を抱いた。

 徳栄はおせっかいな部下に感謝しつつ、また同時に首を左右に振りながら、来客用のソファーに腰を下ろした。聞かなければいけない疑問があった。


「だが、仙波加奈子。仙波工業はI&S:REALから撤退するのではなかったか?」

「いっっっっつも、いきなり痛いところついてくるよね、徳栄は」


 口では嫌そうに言いつつも、加奈子は気持ちのいい笑顔をしていた。


「徳栄も最後にするっていうなら、今回だけは手伝って、それで終わりにしようかなって」

「……随分と都合のいい話だな」

「うん。わかってる。だけど、あいつのやり方は許せないし、ああいう考え方がみんなにも広まったりしちゃったら、私は自分も許せなくると思うから」

「自分も? どういうことだ?」


 徳栄は加奈子を見据えた。

 加奈子は言いにくそうに唇を湿らせ、強化外骨格を外し始めた。丁寧にそれを床に横たえ対面に座る。膝の間に手を滑り込ませて、遠くを見つめるような目をして口を開いた。


「実は、徳栄に嘘ついてた。ごめん」


 加奈子は真っ直ぐな眼差しを徳栄に向け、深く頭を下げた。徳栄は真摯に下げられる宿敵の頭をを見るのは初めてで、対応に困った。

 まずは自分も膝を揃えるべきか迷い、次にいつもの調子を維持するべきか悩み、しかし問題ではないと示して度量を見せるべきだと考え、足を組む。


「いったいどういう話が始まるのか、いまから期待してもいいか? 仙波加奈子」

「……バカバカしいと言われると思ったから、黙ってた話だから、どうかな」

「……なんの話だ?」

「徳栄には、ちゃんと聞いてほしい。ゴーレムの、人権の話だよ」

「……なんだと?」


 徳栄は組んだ足を崩して、前のめりになった。彼女の言わんとすることが理解できない。

 ゴーレム、つまり格闘用ロボットは……ロボットだ。人型をしているが機械だ。生物学的に生き物と認められるものではない。人の手で作られた工業製品であり、それゆえに法的には資産であり、人に与えられる権利など有するはずもない。


「仙波加奈子。気でも違った……いや、話してみろ。どのみち、いまの俺は一人ではなにもできん。不本意だがな」

「ありがと」


 加奈子は困ったように微笑み、背もたれに躰を預けた。

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