15話

 数時間後、再びの第一会議室――『第二回I&S緊急招集会議』。


「――と、いうわけだ。現時点でのわが社の製品を使って改装をくわえたとしても、ルロワ・ヴェルテュとの勝負には負ける。勝利を前提に置くのであれば、最低限、他社製品を上回るものを作ってもらなわければならない。そのためには、現在の品質向上速度をおよそ四十パーセントは上げてもらわなくてはならんのだ」


 用意しておいた資料の説明を終えた徳栄は、獰猛な笑みを取峰に見せた。さすがにこれなら反論の余地はあるまい、と思ってすらいた。

 しかし取峰は、いまにも欠伸でもしそうな倦怠感を全身から滲ませている。


「話になりませんね、社長。先日の話をまるで理解できていないと見える」

「……なんだとぉ?」


 にわかに徳栄が殺気づく。僅かに腰をあげた緋登美を手で制し、続けた。


「次のスティール・フィランソロピーとの勝負では勝利が絶対に必要だ。そしてそちらの条件を飲んだうえで勝利するためには他のプランは考えにくい。こんな単純なことがわからないわけではあるまい?」

「それはわかってますよ」取峰は資料を机に放りだし、緋登美と徳治を交互に見た。「おふたりで苦労して資料をお作りになったんでしょうね。目の下にくままで作って」

「……なにか不満があるか?」

「不満もなにも」


 取峰は机を思い切り叩いて席を立った。


「勝利が必要だと思ってるのはあんただけだって言うのが、まだわかってないのか!?」

「なんだとぉ!?」

「苦労して資料をお作りになったんでしょうよ! だから!? だからなんです!? 目の下にくまが!? だからなんだってんだ、そんなもん! あんたの無茶に付き合わされてきた私らにとっちゃ、日常茶飯事だったんですよ! てんでダメだ! 話にならねぇよ、このボンクラ!」

「ちょっと!」


 徳栄の制止を振り切り、緋登美が怒鳴るように言った。


「いくらなんでもその言い方はないんじゃないですか!? たしかにこれまでご迷惑をおかけしたかもしれませんが、社長は譲歩しようとしてるんですよ!?」

「秘書さんだって大人なんだ、だからなんだって言ってんのが、わかンでしょうが!」


 取峰は資料を真っ二つに引き裂き、ばら撒いた。舞い散る紙片を背にして徳栄に叫ぶ。


「交渉決裂だよボンクラ! なにが永和だ! なにが永見川だよ!! 結局、人をコキ使って美味しいとこ持ってっててるだけじゃねぇか! 後は一人でやってくれ! 全部一人でやれば全部あんたの手柄だよ! よかったな!」


 そう言って、会議室の面々に呼びかける。


「みなさん! もうこいつはダメだ! この会社は泥船みたいなもんですよ! これからは溜まりに溜まった有給でも消化しながら、このワンマンボンクラ社長の行く末を見届けてやりましょうよ。安心してください。私がちゃんとみなさんの先は用意しますから!」

「し、しかし」


 ロボット開発部長が青ざめた顔を上げ、すかさず取峰が続けた。


「変なこと言わないで、足並み揃えてください。こいつについてって、また、いっっっっしょうけんめい作った! 大事な製品を! ゴミ扱いされたいんですか!?」


 ロボット開発部部長は唇を噛みしめるようにして、顔を伏せた。

 緋登美が食い下がるように言った。


「資料をご覧になっておわかりになりませんでしたか!? 社長は決して我が社の製品をゴミ扱いなんてしていません! むしろ、ずっと期待して待っていたんです! ただ社長の満足には至らなかった! それだけじゃないですか!」

「そりゃ総帥直々に寄越されたあんたはそれでいいでしょうよ! 私らはどうなんですか! 昨日の会議で言いましたよね!? 私らがモノ売ろうとしてんだから邪魔すんなって! 少しは協力してみせろって! できねぇなら俺らが辞めるだけなんだよ!」


 取峰は息を整えながらネクタイを締め直した。乱れた髪を撫でつけ、押し黙る会議室の面々を見渡す。その鋭い眼光から逃れるように皆が目を背けると。満足そうに上着の襟を正した。


 

「みなさん。もう一度言います。安心してください。私が責任をもって、みなさんの――」

「ちょっと待て」


 徳栄は小さく挙手した。

 口を噤んだ取峰が二、三度瞬き、無感情な目を向ける。


「なにか?」

「昨日、取峰浩二は、家族との時間が大事だと、生活が大事だと言ったな?」

「……言いましたが? それがなにか?」

「本当に、できるんだな?」

「……はい?」


 徳栄は会議室に集まる面々を、その下にいるであろう社員を頭に思い浮かべて深く息をつく。もはや引き止めるのは不可能だ。交渉はすでに決裂した。ならばせめて、ひとつだけ確認しておかなければいけない。

 訝しげな顔をする取峰に、努めて声を落ちかせて言った。


「みなを連れて行くというのはわかった。だが、永和グループの冠がなくても、引き抜いていく全員の面倒を見きれるというのは本当か? 本当にできるんだな?」

「……それは……」

「違うのか? それとも、できるのか。どっちなのかを答えるだけでいい」


 徳栄の目が取峰を射抜く。しかし彼は、息を飲みながらも、「ええ」と頷いてみせた。

 真実はわからない。誰を引き抜くつもりなのかは知らない。仮に全員を引き抜いたとして、彼らが培ってきたものでなにをするのか、なにが出来るのか。

 けれどそう信じているのなら、最後くらいは信じてやらねばならない。


「そうか」徳栄は椅子にへたれ込んだ。「なら、いい。好きにするといい。後のことはすべてこの俺、永見川徳栄がなんとかしよう」

「社長!? 本気ですか!?」緋登美が席を立った。「ここまで準備したのに!? 取峰さんのプランがどの程度信用できるのかわからないのに!?」

「いい。どのみち、今回が最後と思っていた」

「はい!?」


 緋登美の声に、会議室に集う全員の目が徳栄に向かう。

 徳栄は鼻を鳴らし、背を仰け反った。


「そんなに驚くことでもあるまい? やめてほしかったのだろう?」

「でも、社長……」


 緋登美だけでなく、みなが信じられないものを見るような目をしていた。

 しかし、徳栄はすでに決めていた。


「正直にいえば、I&S:REALの活動が、ここまで社員に嫌われているとは思っていなかった。だが、それももう終わる」


 その双眸を手のひらで覆い隠して、抱えてきた疲労感を吐露する。


「一昨日、終生の宿敵だと思っていた仙波加奈子も撤退を宣言した。新しい仲間だと思ったヴェルテュ・ルロワはあのザマだ。参加している企業にしても、誰もゴーレムでの格闘なんぞ興味をもっていない。辞めるにはいい頃合いだったのかもしれない。ただ――」


 徳栄は、確固たる意志を込めて言った。


「ヴェルテュ・ルロワのあのゴーレムにだけは、負けたままでは終われない。AIによる自律戦闘が云々と言っていたが、あんなものは詭弁だ。これはなんの根拠もない、俺の想像だがな。あいつらは傍観者たちを騙して、自分たちのつくった『戦闘用AI』の優位性をこの国にも広めたいだけだ。なぜこの国のロボット産業で『戦闘用』が巧妙に排除されているのか、考えたことはあるか? なぜ俺が加奈子の提案した『シンギュラリティ抑止協約』などという、自分たちの首を締めるものに同意したのか、わかるか?」


 言葉を切った徳栄は目元を強く押しつ、机に肘をついた。

 再び瞼が開いたとき、そこに獣の眼光は残っていなかった。


「知っての通り、I&S:REALというイベントは、元は玩具だ。ゴーレムという共通の道具を通じて人同士で戦うところに意味があるのだと思っていた。そしてそれを見せてきたつもりだ。だが実際は、つもりでしかなかったらしい」


 徳栄は、まだ自分が幼かった頃、友達もいなく、一人で過ごした時間を思い返した。


「取峰浩二よ」

「……なんですか?」

「お前の言うとおりだ。金にならん。――いや、違うな。結局、俺の考えには、誰も金を払ってくれなかったというわけだ。だから、次を最後にしようと思う。勝とうが、負けようが、俺が一度も倒せなかったものに挑んで、それで終わりにするつもりだ」

「――だから、手伝えとおっしゃるんですか?」

「そんなことを言うと思うか? 俺がいま話しているのは、みながしてきた仕事の、本当の意味についてだ。いままでなにに加担してきたのかわからなくては、たとえ次の仕事が決まったとしても納得がいかんだろう? だから、話しただけだ」


 徳栄は両腕で頬杖をつき、外に出るよう目配せした。


「話は終わった。もう行っていい」

「……ええ。そうさせてもらいますよ」


 取峰はそう言い残して、動揺する各部門長を追い出しにかかった。

 徳栄は最後に部屋を出ていこうとする取峰の背に言った。


「達者でやれ、くらいしか言えないが、どうせなら俺とビッグマネーがどうなるのか見届けていけ。安心しろ。これは、説得の言葉ではない。」

「……それが説得になりうるとお思いなら、私の判断は正しかったということですね」


 吐き捨てるようにそう言って、取峰は会議室から出ていった。

 扉が閉ざされた後には、徳栄と緋登美だけが残された。

 重苦しい沈黙が、たったふたりしかいない会議室に満ちる。しばらくの間、徳栄も、緋登美も、なにを言うべきなのかわからずにいた。


 ほんの数時間前まで必死に手を伸ばしていた未来の話と、いま思い浮かぶ言葉は、まるで違うものになっている。しかもそれは、どちらが先にそれを口にするかという話でしかなくなっていた。


 どちらが先に別れの言葉を言うべきなのか。

 瞑目した徳栄は、立場が優先されるのだと考えた。

 柳川緋登美という忠実な人は報われなければならない。彼女が群れからはぐれてしまったのだとしたら、先導する徳栄が間違えていからだ。ならば自らの手で楽にしてやるのが、せめてもの贖罪となる。

 徳栄は考え抜いた末に、ようやく口を開いた。


「柳川緋登美。しばらく休みを取るといい。これまでずっと、俺のために時間を割いてきたのだ。それだけの権利はある。安心していい。給料については問題なく――」

「そんなことは心配していません」


 肩を落とした緋登美は、会議室に残されていた資料をゆっくりと集め始めた。


「……この後は、どうなさるおつもりですか?」

「やはり、休みを取れという。せっかく手に入れた権利だ。有意義に消化するといい」


 頬杖を崩した徳栄は、そこが社長室であるかのようにふんぞり返る。


「時間を自分のものとして消費するのは大事なことだ。よくわかった。誰のために使った時間だったのか。そこがなによりも重要だ。俺が口にしていい言葉なのかどうかは分からんが、言おう。柳川緋登美の今後については、この永見川徳栄が責任をもって保証する」


 徳栄は背もたれに躰を預け、両手で顔を覆ったまま、誰に言うでもなく口にした。


「だから、休め。これまでロクに休みを与えたこともなかった。俺は認める。柳川緋登美は秘書としてだけでなく、よくやってくれた。だから、しばらく休んでくれ。いいな?」

「……社長の方こそ、お休みになられた方がよろしいかと思いますよ」

「――なに?」


 徳栄は躰を起こす。

 緋登美が、これまでのような愛想笑いや呆れによる笑みではなく、まるでずっと昔に記憶の奥底に沈み込ませてしまった母のような、優しげな微笑みを浮かべていた。


「今回は、アレやれ、コレやれ、ではなくて、ご自身でもたくさんの事務作業をなさったじゃないですか。お疲れになったでしょう?」

「……そうだな。少し、疲れた」

「では、お休みになられてください。私もご指示通り、少しの間だけ休ませていただきます。ですから、かならず、社長もご自愛ください」


 予想の外にあった緋登美の進言に、徳栄は気を使われるとはと、口の端を吊った。


「わかった。約束しよう。俺は……そうだな。家に帰る」

「では、お車をお呼びしますね」

「車だと?」

「お忘れですか? 今朝社に戻ったとき、お車がなかったじゃないですか。そういうことです」

「そこまでやるか、取峰浩二」


 徳栄は失笑し、声を張った。


「だが車は呼ばなくてもいい。せっかくだ! 電車とやらに乗ってやろうではないか!」

「……切符の買い方、ご存知ですか?」

「そんなもの! 聞けばいいのだ!」


 徳栄は息が詰まりそうな空気を打ち払うため、声を張った。ついてきてくれた人に、これ以上の心配をかけたくなくて、背筋を力いっぱい伸ばし、真っ直ぐに見つめる。

 緋登美は、いつもの呆れたような笑み浮かべ、首を左右に振った。


「駅までおともさせてください」資料を集める手を止め、徳栄の目を見つめ返す。「少しお元気が戻られたようで、私も嬉しいです」


 そうして、ふたりは社を後にした。

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