13話

 徳栄は声にもならない唸りを喉から絞り、机上のライトスタンドを叩き落とした。床を転がり壊れる派手な音に、息を呑むような悲鳴があがる。

 腕を払って振り向いた徳栄は、タブレットを胸に抱きしめる緋登美を睨んだ。


「柳川緋登美!」


 緋登美は跳ねるように身を強張らせた。


「柳川緋登美はっ!」


 もう一度名を読んだ徳栄ではあったが、

 知っていたのか、とは問えなかった。

 ずっと一緒にいた。知っていたはずがない。


 成徳の指示によるとはいえ、緋登美は常に徳栄の側についてきた。仮に知っていたのなら、真っ先に教えてくれたはずだ。事態に気付くチャンスはあったのかもしれないが、気づけなかった。それだけだ。


 分かっていてあえて問えば、それは八つ当たりでしかない。

 徳栄は両手を机に叩きつけた。二度、三度と叩きつけた手の痛みで思い出す。

 敗れた狼は飢えて犬に食われる。

 ヴェルテュ・ルロワの別れ際の罵倒だ。


「敗れた狼、か……。つまり、俺は群れから追われて……飼い犬に手を噛まれたわけだ」


 自らが口にした言葉で、失笑する。


「……まだ追い出されたわけではありませんよ、社長」緋登美は壊れたライトスタンドを拾い上げた。「取峰さんたちの提案を受け入れるという手だってあるじゃないですか」

「……それではヴェルテュ・ルロワに勝てんのだ!」

「どうしてそう言い切れるんですか! わからないじゃないですか!」


 緋登美が負けじと言い返す。言い分だけを聞くなら、まったく正しく思える。

 しかし、彼女は事情を知らなかった。

 机のノートPCを手繰り寄せた徳栄は、乱暴にパスワードをタイプしロックを解いた。手早く『ビッグマネー』に使われているパーツや技術の資料を表示する。くるりと画面を回して緋登美に向けた。


「わかるか? 柳川緋登美」

「えっ? あの……もうしわけありません。私はその……」

「いい。わかっている。柳川緋登美の仕事はこの俺、永見川徳栄の秘書だ。社長業の補佐であってゴーレムの開発ではない」

「……もうしわけありません」


 緋登美の自らを恥じるような謝罪の言葉に、徳栄は苛立った。


「いいと言ってるだろう!」


 PCを操作して今度はグラフを表示して見せる。


「これならわかるか!?」

「えと……これは……ウチの製品との比較レポートですか?」

「そうだ。それぞれの数字の意味はわからんだろうから説明してやる。簡単にいえば、ウチの製品を使えばビッグマネーは弱体化するのだ!」

「それは前もおっしゃっていたので、わかります。でも、先程の会議で――」

「わかっている! わかっているが……使えばヴェルテュ・ルロワのゴーレムには百パーセント敗北する」

「だから、なんで言い切れるんですか!」

「現時点で勝てないからだ!」


 そう叫んだ徳栄は、すかさず右手を伸ばして緋登美の反論を止めた。ゴーレムについてなにも知らない緋登美に、どう説明するべきなのか。


「ヴェルテュ・ルロワのゴーレムが積んでいるAIは、ビッグマネーに積まれているものとは、根本的に違うのだ」


 徳栄は言葉を選びながら話し始めた。


「こう考えろ。ビッグマネーは殴れと言われなければ殴らない。そして殴った後は次の命令を待つだけだ。だが、あのゲテモノは、戦えと言われれば相手が動かなくなるまで戦う」

「……えっと? それは同じでは……?」


 緋登美は苦笑いを浮かべつつ、小首を傾げた。

 徳栄は、内心で、自分自身も確認するためだと言い聞かせる。ゆっくりと、深く呼吸して、湧き上がる感情を腹の底に押し込める。


「まるで違う。ビッグマネーは自分では戦況を判断しないのだ」

「それは……当たり前では?」

「当たり前ではなぁい!」


 押し込めきれなかった感情が口から溢れる。


「簡単にいえば、あの試合で負けたのはビッグマネーだけではないのだ! ビッグマネー自身も負けたかもしれないが! だが! 戦況をみてビッグマネーに指示を出していたのはこの俺だ! つまり!」


 あの異形の騎士に負けたのは、永見川徳栄、自身なのだ。

 徳栄は目元の熱に気づいて顔を背けた。力を込めて、瞼を落とさないようにこらえる。


「格闘ゲームをやったことはあるか? 柳川緋登美」

「か、格闘ゲームですか? えと、子供の頃に何度か……弟がいたので」

「弟の話はいまはいい! それを思い出せ! CPUとの対戦だ!」

「なっ――」


 一瞬、顔を強張らせた緋登美だが、すぐにその先の言葉を飲み込み、天井を睨んだ。よほど遠い記憶だったのか、しばらくそうして唸り、やがておそるおそる口を開いた。


「あの社長、なにがおっしゃりたいのか、よく……」

「始めたばかりのころ、CPUに負けたことはないのか!?」

「そ、それは負けたことくらい、いくらでもありますけど……あっ」


 緋登美はそうかとばかりに何度か瞬く。


「つまり、キャラクターを操作している私が」

「そうだ!」徳栄は緋登美が言い切るより早く答えた。その先を聞きたくなかった。

「それが問題なのだ! 格闘ゲームならCPUの強さにも限界がある! あくまで一人で遊ぶためのもので、人が絶対に勝てないようなAIである必要はないからな! だが、やろうと思えば、人の能力では絶対に勝てないAIが作れるのだ!」


「でもそれは格闘ゲームで、将棋みたいなゲームとは違いますから――」

「逆だ! 囲碁や将棋のようなゲームでもそうかもしれないが、それ以上に格闘というのは一瞬の判断速度こそが重要なのだ! 人の目で見てから次の命令を出すまでの時間、その判断の遅さが敗因となる! ヴェルテュ・ルロワのゴーレムに勝つためには、対戦時点で機械として上回っていなくては話にならんのだっ!!」


 立て続けに叫んだ徳栄は、息を整えながら机を回り込んだ。椅子に腰掛け、現実を受け入れるために後ろ頭をヘッドレストにぶつける。

 強く瞑った目を手のひらで隠して、徳栄は細く長い息をついた。


「まだ一日、されど一日。知っているか? 柳川緋登美。AIの開発はな、人に任せるよりもAIに任せてしまったほうが、早く、より良い物を作るという」

「聞いたことはあります。というか、加奈子さんが話されていたのも、その話ですよね?」

「そうだ、柳川緋登美。シンギュラリティというやつだ。対戦までの一ヶ月、ヴェルテュ・ルロワはゴーレム自体の開発はしなくてもいい。AIを自己進化させれば、それだけで強くなれるのだ」


 躰を起こした徳栄は、棚に並ぶ小さなビッグマネー群を眺めた。


「しかも、俺にはあのゲテモノとの対戦経験が昨日の一度しかない。だが、ヴェルテュ・ルロワは過去のI&Sの試合全てが研究材料だ。万事休すもいいところだな」


 言って、投げやりに背もたれを軋ませた。

 自分の手足のはずの会社は、ヴェルテュとの勝負などどうでもいいと思っている。もちろん、金だけならどうでとでもなるが、人手の方はそう簡単にはいかない。

 壊れたビッグマネーの修理、改造、試験、そして運用するには、多数の手が必要だ。それもズブの素人ではなく、ずっとビッグマネーに手を入れてきた人間の手が、必要不可欠である。


「この俺の会社の製品を使えば弱くなり、負ける。社の製品を使わなければ、人の手が足りなくなる。……柳川緋登美、どう思う? 俺はどうするべきだ?」


 追い込まれていた。

 これまで、緋登美に意見を求めたことはない。それは彼女が成徳の命を受けてつけられた秘書だからというわけではなく、またゴーレムに詳しくないからでもなかった。

 弱い自分をさらけ出す気がしていたのだ。


 終生の宿敵だと認めた加奈子を除いて、すべての人に見放されていると思っていた。けれど緋登美だけは、初めて会ったときからずっと、傍にいてくれたのである。

 だから徳栄は、その日、初めて柳川緋登美に訊ねた。

 緋登美はタブレットを机に置くと、じっと一点を見つめて、それから答えた。


「私はロボット開発についてはほとんど分かりません」


 迷いを振り切るように首を左右に振って、まっすぐな眼差しを徳栄に向けた。


「ですが、傍若無人な社長についてきましたから、人の心の機微については、多少は心得があるんですよ?」

「……なにが言いたい。柳川緋登美」

「説得、しませんか?」

「……取峰浩二をか? どうやって? うちで作った製品を使えば負けるのだぞ?」

「一ヶ月で、他社製品を超えるものを作ればいいじゃないですか」


 至極単純なその意見に徳栄は失笑した。まったくその通りだが、製品の性能向上は一朝一夕にできるものではない。大量の資金を投入し、人を使い、時間をかけて、ようやく達成しうるものだ。ほとんど夢物語のような話で、無知な緋登美に聞いたのが間違っていたかと思いかけた。

 しかし、今回ばかりは緋登美の方が、まるで諦める気はなさそうだった。ノートPCを徳栄の方に向け直し、グラフを指差す。


「この比較、私は初めて見た気がするのですが」

「……それはそうだろうな。実際、他人ひとに見せたのは初めてだ」

「……どうしてそうなんですか社長は!!」


 なんの予兆もなく始まった緋登美の説教に、徳栄は思わず仰け反った。

 緋登美はそれに構わず続ける。


「このデータを含めて会議室で見せればいいじゃないですか!」

「性能不足なら以前から指摘している!」

「それはただの言葉でしょう!? 相手は技術者なんですよ!? 比較したデータを見せれば分かるはずじゃないですか!」

「ウチの開発屋がそんなことも分析していないと言うのか柳川緋登美! 俺は! そんな情けない部下はいらんぞ! そんな連中に大事な――」

「分かっているかどうか聞いたことがあるんですか!? 私に訊いたみたいに、開発部の方々に訊ねたことはありますか!? 説得をしようと思ったことは!?」


 徳栄は言葉を詰まらせ、浮かせかけた腰を下ろした。

 緋登美の指摘どおりだった。自社製品の性能についてどこまで把握しているのか誰かに訊ねたことはない。永和ロボティクスは末端とはいえ永和グループに属するため、親に相当する永和重工に匹敵する人材が揃っているはずで、だからこそ仙波工業と戦ってこられたのだと思い込んでいた。もちろん、徳栄自身が分析したデータを渡したことはない。


 しかし、渡したからといってどうなるというのか。

 各パーツに使われている製品のデータをまとめなおして、必要に応じて開発プランを立てなくてはならない。しかも出すべきプランは取峰浩二の説得材料になるものだ。

 取峰は会社の受益について考えろと、徳栄の横暴に付き合うのはうんざりだとも言っていた。しかも永和グループ総帥の意向を無視してでも去ろうという決断だ。おそらく、生半可な説得を試みたとしても聞きはしない。だが――。


 徳栄は緋登美の目を見た。メガネ越しに徳栄を見つめる目は真剣そのものだ。本気で説得できると思っているのだろう。初めて意見を求められたからだろうか。それとも、投げようとしている徳栄を鼓舞するつもりなのか。

 ただ少なくとも、取峰らに抜けられて会社が崩壊するのを恐れているわけではない。そうでなければ、なお徳栄の意志に貢献しようとはしないはずだ。


 徳栄は机に頬杖をつき、顔を覆った。どうするべきか、見えてきていた。

 今日まで尽くしてきてくれた人に、仕える相手を間違えたと失望されたくはない。徳栄の持つあらゆるものを犠牲にしてでも、彼女が振り返って誇れるリーダーでなくては、不甲斐なさに殺されてしまう。

 顔を上げた徳栄は、決然として言った。


「比較だけでは足らんな。他にも、作らないといけない資料がある」

「……やる気になりましたか」

「元になるデータはおおよそ取ってある。だが分析はしていないし、予算の話は――」

「一日一日が、全部、勝負になるとおっしゃりましたよね?」

「これまでの製品開発の、性能向上の率を出して、希望的観測も踏まえて……加えて、ヴェルテュ・ルロワのゴーレムについても、出さなくてはいけない。かもれしれん」

「少しでも早く終わらせて、会議を招集しましょう。社長」

「……うむ」


 その返答は、得体の知れない緊張で上擦っていた。

 徳栄はすぐにデータを緋登美のために用意したPCにも移し、ふたりで資料を作り始めた。

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