瀉血

12話

 永和ロボティクス本社、第一会議室――『I&S緊急招集会議』と題された場で、永見川徳栄は眉をピクピクと痙攣させていた。

 徳栄の前に置かれた長机には、永和ロボティクス各部門の部長クラスが、ずらりと居並ぶ。左手側の最も近い席では副社長たる取峰が勝ち誇るかのように片笑みを浮かべ、その対面で緋登美が気まずそうにうつむいている。

 取峰は端に座らされているロボット開発部部長をちらと見て、徳栄に向き直った。


「――ですから社長。社長のご提案されたゴーレムの改造プランは満場一致で否決です」

「満場一致だとぉ……?」


 徳栄はこれでもかと眉間にしわを刻んだ。永和ロボティクス社内においては、これまで誰もが威圧されてきた眼光である。

 しかし、取峰は余裕綽々といった様子で髪をかきあげた。


「あぁ……失礼しました。『社長付きの秘書』さんは賛成でしたね」


 社長付きの秘書という肩書をことさらに強調し、取峰の試すような視線が緋登美に飛ぶ。


「えぇと、『秘書さん』は、どのような理解をもって、このバカみたいに金のかかる改造案を受け入れるんです? テストするのは誰が? 会場の用意は? どうやって完膚なきまでに敗北したビッグマネーの再戦を、収益に変えようと言うんですか? 採算は?」

「そ、それは……」


 言い淀む緋登美を制止し、徳栄が継いだ。


「採算など取れんでいいのだ! これまでもそうだった! だが、最終的に利益は――」

「えぇ出ていましたとも!」取峰が言葉を遮る。「ここに集まっているあなた以外の人間が努力して、時間を消費して、なんとか利益を出してきたんですよ!」

「だったら問題ないではないか! なにが問題だ!? 利益に繋がったのなら、事業として成功したということではないか! なにが不満だというんだ!? 言ってみろ!!」


 そう怒鳴りつけ、机に拳を落として鋭い打音を響かせる。会議室に集まる面々の何人かは額の汗を拭い、何人かは視線を資料に落とし、そして――、

 取峰が資料で机を叩いた。緋登美の肩が小さく跳ねる。


「われわれの時間を無駄なことに使わせないでほしいと言ってるんですよ!」

「無駄な時間だとぉ!?」


 これまでやってきたことを全否定された気がして、徳栄は席を蹴倒す勢いで立った。

 応じた取峰も声を荒らげる。


「えぇ! 無駄な時間ですよ! 昨日のエキスポの試合! あれを見て、まだわかってないんですかねぇ! このボンクラ社長はぁ!」

「なんだとぉ!? なにが言いたい! はっきり言わんか取峰浩二ぃ!!」

「じゃあ言わせていただきましょうか! 私らにもね! 家族がいるんですよ! 時間がほしいんですよ! わかりますか!? あんたがやってる無茶を金に換えるために、私らの時間が! 私らの家族の時間が犠牲になってるんですよ!」

「なんだとぉ!? 貴様らの……」


 そのとき、徳栄の脳裏に、父・成徳の背中が過ぎった。喉まででかけた言葉を飲む。

 取峰は声高に主張する。


「スティール・フィランソロピーのやり方を見たでしょうが! これまでの仙波工業の人気を知らないはずがないでしょうが! あんたが自重してれば、私らはこんな苦労しないで済んでんですよ! もっと言えば!」


 取峰は顔はそのままに腕だけを振るって、ロボット開発部長を指差した。


「ウチで開発した製品を使ってくれれば宣伝にもなってたんですよ! あんたは昨日しか行ってないから知らないでしょうけどね! この三日間、ずっと閑古鳥が鳴いてたそうですよ! 他の、これまでのI&Sで負けた企業にゃ人が入ってんのに、ウチにゃ他社製品まみれのゴーレムにしか興味がないんだそうだ! それだけじゃ金にならねぇってのに!」


 取峰は、肩で息をしていた。

 重苦しい沈黙が降りた会議室には、その荒い吐息だけが聞こえている。誰もが、なにも言えずにいた。それは緋登美ですら同じようだった。

 緋登美は社長秘書として、奔放に動き回る徳栄に付き合わされ続けている。日々、頭を下げ続ける生活だ。朝から晩まで、就業規則を軽々と無視して、社会常識を知らない徳栄の、いわば子守をしている。


 いかに高い給金を得ていても、いかに永見川成徳の頼みを受けていたとしても、そう安々と時間に換えられるものではない。

 徳栄は返す言葉を見失ってしまっていた。かつて望んでも得られなかったものを、自身が奪っているのだ、と突きつけられたように思えた。

 息を整えた取峰は、ネクタイを緩める。


「私たちにも、生活があるんですよ。別に楽をしたいってわけじゃないんです。でも、誰だって、しないでいい苦労はしたくないんでしょう。もし、いまのプランのままで社長が押し通そうというなら、私にも考えがありますよ」

「……考えだと? 聞こうじゃないか。言ってみるがいい」


 取峰は瞼を落とし、ゆっくりと深呼吸をして、言った。


「あなたの解任請求をする。つまり、社長をやめてもらうつもりです」

「――できると思ってるのか? この俺は、永見川徳栄は、筆頭株主でもある」


 戯言を。

 そう、思っていた。


「できなかったとしても、他に方法がある。あなたの無茶に付き合わされたおかげで、私たちもできることが増えた。ノウハウも、個人的に付き合いのある企業だって増えた」


 取峰は会議室に集まる面々を示した。


「もし、あなたが強行しようというなら、私は彼らを連れて独立することにしますよ。あとはどうぞご勝手に、だ」

「独立だとっ!?」


 にわかには信じられない発想だった。

 会社の代表取締役――つまり社長解任には、原則、株主総会での決議を要する。社の発行している株の五十パーセント以上を有する株主が参加し、かつ取締役解任請求への過半数を上回る賛成票が必要だ。


 永和ロボティクスの場合は永和グループ内でも特殊で、筆頭株主の徳栄が三十パーセントほど、残る七十五パーセントの内二十パーセント強が成徳の名義となり、残りが一部社員を含めた個人株主に分割されている。したがって、解任請求をするには、永見川徳栄・成徳両者の参加が必須となるのだ。


 言いかえれば、徳栄さえ参加しなければ、徳栄の解任は請求すらできない。

 しかし、社員を引き抜いての独立となると話は変わる。法律上は、退職二週間前にその旨を報告するということ以外に、制限がないのである。

 やろうと思えば、そして実行すだけの準備があれば、全社員の一斉退職すら可能となる。


「……取峰浩二。本気か? できると思っているのか?」

「……できるもなにも、やる気ですよ、私らは」

「だが――」


 永和の冠を捨てて、やっていけると思っているのか。

 徳栄は、そう言うつもりだった。

 取峰はわかっているとでも言うかのように、首を左右に振った。


「永和グループ総帥のご意向ですか? お父上に泣きつきますか? 好きにすればいい! 私らはそんなに弱かない! できることはいくらでもある。私らは、あなたと違って、生活がかかってるんです。自分だけじゃなく、家族の生活もだ。どう転ぼうが、いまよりはマシなんですよ!」


 なにもわかっていないと、徳栄は感情に任せて怒鳴りつけた。


「この俺が! 成徳に泣きつくとでも思ってるのか! 取峰浩二!!」

「思ってなきゃ言わねぇんだよボンクラ!」


 取峰は間髪いれずにそう答え、さらに言葉を重ねた。


「一人じゃなにもできない奴が偉そうに口聞いてんじゃねぇ! お前の生活は親父の金で成り立ってんだろうが!」


 すべて事実で、言い返せなかった。

 徳栄は昨日の一瞬と同じように膝から力を抜けていくのを感じ、椅子に躰を預けた。そんな言葉では落ちないと見せかけるため、片肘をつく。

 しかし、手の震えだけは止められなかった。


 なぜ震えるのかは、よく知っている。

 昨夜のヴェルテュの遠吠えだ。

 敗れた狼は群れからはぐれ、飢えて、いずれ痩せさらばえて、食い殺される。

 額に汗を浮かせる徳栄に語りかけるように、取峰が説得をしかけた。


「しかし、私らだって無理を言いたいわけじゃないんですよ。悔しいが、あなたくらい先進的な発想ができる人は、そういない。お父上に頼まれているのもありますし、できれば支えてあげたいんです。だからこそ、もう一度、進言したい。スティール・フィランソロピーのやり方を見習って、次の勝負をビジネスにつなげてもらいたいんです。ウチの製品を使って、ウチのやり方で広告打って、売れる商品にしましょう。そのやり方なら、私らだって、いくらでも協力します。どうですか。考えてもらえませんか?」


 言われた徳栄は黙したまま考えた。

 正直なところ、狡猾だが上手い交渉術だと思う。取峰の訴えも痛いほど分かる。久方ぶりに対面した成徳に、無駄金と断じられたばかりだ。それに、共に戦い続けてきた戦友である加奈子の、あられもない姿に耐えての広報を目にしている。


 だが、しかし。

 取峰の考えに納得できない部分も多い。自社製品を売りたいのは分かるが、スティール・フィランソロピーと同じやり方というのは承服できない。

 最高のものをつくりあげて売るのならまだしも、現時点で他社に劣ると知っていて売るのは、詐欺に等しいのではないかと思う。どうせ売るのなら、せめて、自分自身が納得できるものを売りたい。

 徳栄は身の内に湧いてきた新たな感情に困惑した。そして――、


「……おって、また会議を開く。今日はこれで終わる」


 なにを追うべきかを見定めるため自ら退いた。会議室に、おお、と小さなどよめきが走った。それがあまりに腹立たしくて、徳栄は集う面子を睥睨した。


「先に伝えておこう。この永見川徳栄が、そう簡単に折れると思うな」


 そう言い残して席を立つ。慌てて緋登美も腰を上げる。

 会議室を出ようとするふたりの背に、取峰が言った。


「よく考えるべきですよ、社長。群れから追い出された狼がどうなるかはご存知でしょう」


 彼にとってはただの軽い警告のつもりだったのかもしれない。

 しかし徳栄には、ほとんど脅迫にも等しく思えた。

 廊下を進む足取りが自然と早まる。社長室に戻ったときはすでに限界も近かった。これまで足を乗せてきた紫檀の机に、震える手をつく。


 脚が動かなくなってから沼に迷い込んでいたと気づいたような、耐えがたい焦燥感を感じていた。すえた臭いのする泥に膝下まで完全に埋まっている。沈下は止まらない。

 背後で扉が開き、閉まった。


 それと気づいた瞬間、徳栄は感情を爆発させた。

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