11話
先程までの歓声は嘘のように消え、会場は静まり返っていた。
コホン、と小さな咳払いの声がした。
整備員の手を借りて立ち上がったヴェルテュが、インカムを耳に掛けなおす。
「あー……勝者の宣言は、まだなのでしょうか?」
しばしの間、沈黙が続いた。
荒いノイズの音がし、続いて実況の絞り出すような声が会場に反響する。
「エ、エキシビジョンマッチ! ウィナー! シュヴァリエ・ダルジャン!」
会場の空気に気圧されテンションを維持できなくなったか、徐々に声量が失われていく。
「ヴェ、ヴェルテュ・ルロワ…………スティール・フィラン、ソロ、ピー……」
耳障りなハウリング音が鳴り、カメラがヴェルテュの方に向けられた。冷笑するかのように唇の端を引きつらせ、少女は両腕を下手に広げて拍手を求めた。
応じて、どこからか手をたたく音がした。音は水面に広がる波紋のように徐々に大きく、増えていき、やがて万雷の拍手となった。
しかし、消えた歓声までは戻らない。
まるで呆気にとられたかのような、無声の称賛。ヴェルテュは呆れたように小さく肩をすくめて、口を開いた。
「勝負は時の運とも申します。とはいえ、ご覧いただきましたように、今宵の勝者はわれわれ々スティール・フィランソロピーとなりました」
よく通る声に憐れみを乗せて、徳栄に言う。
「この試合にご協力いただいた永和ロボティクスに最大限の感謝を。そしてまた、健闘も虚しく敗北者となった王者に――と、失礼いたしました。まだ日本語が不自由でして、礼を失した物言いでしたら、もうしわけありません」
ヴェルテュは真っ赤な舌をぺろりと出して、言い直した。
「永和ロボティクス代表、永見川徳栄氏の健闘を称え、みなさま、ぜひ、お手を――」
流暢に煽るヴェルテュの言葉は、徳栄の耳を素通りしていく。立ち上がり、吼えねばならないはずなのに、足に力が入らない。視界が惨めに滲んでいく。
瞼を閉じてはいけない。閉じれば、きっと――。
「ざっっっっっけんなぁ!!」
その聞き慣れた怒声に、徳栄はびくりと背筋を伸ばした。振り向き見れば、観客席の一点、スポットライトで照らし出された加奈子が、顔を紅潮させていた。すぐさまに駆け出し、飛び降りるつもりか落下防止柵に手をかける。慌てて佐伯と緋登美が追いすがり食い止めた。
「アンタのゴーレム! レギュレーション違反だろっ!?」
羽交い締めにされながらも、加奈子が吼える。
「さっきの動き! ボイスオーダーじゃない! AIの自律行動なら、シンギュラリティ抑止協約違反のはずだよ!!」
「シンギュラリティ、抑止協約……」
徳栄が呆然と言葉を繰り返す。
加奈子の怒声は、目に涙を溜める徳栄にも向いた。
「バカ徳栄! なにボケっとしてんのさ! 私らで作ったレギュレーションじゃんか!」
なぜか加奈子の目からも涙がこぼれていた。
徳栄は閉じそうになる瞼をこらえ、牙歯を剥き出して笑った。全力でヴェルテュを睨めつけ吼える。
「I&S:REAL、大会レギュレーション! 参加するゴーレムはシンギュラリティ抑止協約に同意したものとみなし! AIの基準を満たさねばならない!!」
I&S:REALの試合はボイスオーダーを介して行われるため、AIの利用は避けられない。なぜなら、人の音声という入力モードは、機械的命令に比して想像を絶するほど曖昧であり、細かな動作を指示するのに適さないからだ。
しかし、だからといって無条件にAIによる自律戦闘を可能とした場合、ゴーレム特有の問題もまた発生してしまう。なにしろゴーレムは全高十メートル、総重量三十トン未満の、電源を内蔵するロボットなのだ。万が一にでも暴走など起こせば、尋常ではない人的被害が生じる。当然、安全に強制停止するための手段を求められる。
徳栄はレギュレーション違反の一点に的を絞って捲し立てた。
「単一命令、単一動作! 指示に対する柔軟性は、当該動作の補正に限定されていなければならない! ヴェルテュ・ルロワ! オーダーログを見せろ! さっきの動きはなんだ!?」
マイクを通じて、歯が軋む音がした。
穏やかだったヴェルテュの笑みが、小賢しいとばかりに歪んでいる。
「くだらないですね」
切って捨てた。
「なにがシンギュラリティ抑止協約か!」
遅ればせながら会場の照明が戻り、再びモニターにヴェルテュの顔が大写しになった。
かと思うと、スティール・フィランソロピーのロゴに切り替わり、次いで、
『鋼に意志を』
と、わざとらしい明朝体のロゴが踊った。
ヴェルテュは伸ばした右手を握り、訴える。
「鋼に意志を与えよ! われわれは、以前から、ひとつだけ疑問があった! ロボットによる格闘に、人の意志など必要ないのではないか!」
画面に流れる旧来のロボットコンテストの映像を交えたPVに合わせて、ヴェルテュの言葉が続く。
「はるか昔、世界で多くの人工知能によるコンテストが行われていました。それらは、すべてAIの未知なる可能性を切り拓くためです。それはありとあらゆる分野で行われてきました。しかし、たったひとつ、難しいものがありました」
ヴェルテュが悲しげにモニターを指差す。過去のI&Sの試合映像が写っていた。
「戦いです! AIによる戦闘は、いつだって制限されてしまう! なぜか!」
ピンと伸ばした指先を、加奈子と、徳栄に、順に向ける。
「シンギュラリティに対する誤解です!」
画面が切り替わり、あらゆる角度から撮影した先の試合の映像を写す。
「技術的特異点というのは、決して恐れるものではありません」残りの指を開いて、立ち尽くすゴレーム、シュヴァリエ・ダルジャンを示した。
「むしろ率先して迎え入れ、彼らと共存できる道を探すべきなのです! 御覧ください! 敵を倒した『彼』は、われわれに敵意を向けていますか? 『彼』は、私たちを敵だと認識しているように見えますか? Non ! 違います! 『彼』は、いわば闘士です! ショーとして戦いをみなさまにお見せしただけです!」
小さく顎をあげたヴェルテュは、切々と、訴えるように観客席を見回す。
「みなさま! 本日の試合はお楽しみいただけましたか? 過去の大会で、今日の試合より楽しめたことはありましたか? 進化したAIは敵ではありません。むしろ人にはなし得なかった発想で、人にはできなかった戦い方で、みなさまを楽しませるのです!」
演説が続く内に、観客製の空気が変わり始めていた。受け入れられずにいたビッグマネーの敗北を認め、シュヴァリエ・ダルジャンの勝利を理解するように。
そしてヴェルテュは、声高に宣言した。
「私、ヴェルテュ・ルロワは今日ここに宣言します! 鋼に意志を! ゴーレムたちを人の奴隷から開放し、共に歩み、共に生きるために、I&S:REALは次の段階へと進むのです! シンギュラリティ抑止協約は、いまこの瞬間からゴーレムたちの能力を制限する足かせとなりました! ご来場のみなさま! 共に進みましょう! 新たな次元へ、I&S:Willへ!」
言い切ると同時に盛大なファンファーレが鳴り始め、誰かの拍手が響いた。拍手はすぐに数を増し、静まり返っていた観客席が再び熱気に飲み込まれていく。
しかし、嫌悪感を示す者もいた。
その一人が制止を振り切って飛び降りた加奈子であり、彼女の駆け寄った徳栄だ。
「またプロレス」加奈子は徳栄にだけ聞こえる声で言った。「誘いに乗っちゃダメ――」
「仙波加奈子! この俺を、永見川徳栄を見くびるな!」
徳栄はインカムを指で押さえて叫んだ。
「詭弁を語るなヴェルテュ・ルロワ!!」
その猛烈な怒声はマイクを通じて、会場に満ちる拍手をも止めた。そしてまた、加奈子の眉を歪ませた。嫌な予感を悟るような、対応を間違ったと気づいたような顔だった。
加奈子に様子にはまるで構わず、徳栄は吼えた。
「なぁにが鋼に意志をだヴェルテュ・ルロワ! 語るに落ちるとはこのことよ! レギュレーション違反の言い訳ではないか! なにがAIの自律戦闘だ! 言うに事欠き客を楽しませる戦いだとぉ!? 愚衆は騙せても、この永見川徳栄は騙せんぞぉぉぉ!」
ヴェルテュの眉が歪み、口が開く。
だが、その口から虚言が発せられるよりも早く、徳栄が畳み掛ける。
「本意気での戦いに、人々は、俺たちは魂を滾(たぎ)らせるのだ! 貴様が演出好きなのはよくわかった! この俺が! 永見川徳栄が! 乗ってやろうではないか!!」
徳栄はヴェルテュとの間に立ちふさがるポリカーボネイトの壁を蹴りつけた。
「
傍らの加奈子が慌てて小声を出した。
「ちょ、それじゃこっちが悪者みたいじゃんか!」
「どのみち俺は悪役だ! 知ったことか!」徳栄はそう小声で返し、ヴェルテュを睨んだ。「受ける勇気はあるか!? ヴェルテュ・ルロワ! それともご自慢のAIの意志とやらに聞くのか!? まずは貴様の鋼の意志とやらを見せてみろ! ヴェルテュ・ルロワ!!」
その咆哮はマイクを通じて会場中を跳ね回る。観客席の人々が動揺し、うねりをつくって視線をヴェルテュに集めた。彼女は、顔貌に怒りを滲ませていた。
「くだらない。くだらない……」
ぶつぶつと呟くような声。ヴェルテュの瞳が濁ったような気がした。
「くだらないくだらないくだらないくだらないくだらないくだらない!! 吠えるな敗者の分際で! お前の玩具で、私の騎士に挑んでみるといい! 勝負は一ヶ月後この場所だ! AIを人が倒すだと!? やれるものならやってみろ! だが覚えておけ! 敗れた狼は! 飢えて! 痩せさらばえて! 犬に食われてクソになる!」
ヴェルテュは駆け寄ってきた社員たちに押さえ込まれながらも叫びつづけた。
「Kick your Ass, ××××××××××××!」
ぶっ潰してやる、クソったれ。
そう、吼えたてていた。
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