10話

 強い光に照らし出され、二機の巨人の足元が月下の水鏡のように白く輝いていた。打ち鳴らされたゴングの音が、波紋をつくった。


「行けぇぇぇぇぇ、ビッグマネーーーッ!」


 ほとんど同時に徳栄が吼え、ファイティングポーズを取ったビッグマネーが走りだす。

 対してヴェルテュは、


Runいけ


 と呟き、薄く笑った。

 折り畳まれていた異形の騎士の脚が伸び上がり、上半身が前傾する。

 盛大に大地を揺らすビッグマネーと対照的に、シュヴァリエ・ダルジャンは上体の上下動もなしに加速していく。 


「早いッ!?」


 その接近速度は、徳栄の予想を遥かに上回っていた。


右拳うけんカウンター!」


 速度最優先の命令にビッグマネーの足が止まる。同時に右腕が引き絞られていき、メインカメラで標的を探す。

 そのとき、「Dodgeよけろ」と、命令が飛んだ。

 ビッグマネーの拳が伸びる。寸前、異形の騎士の脚が折り畳まれて上半身が沈んだ。ビッグマネーの拳が泳ぐ。探し当てたはずの標的がズレたのだ。

 その間にも、左方へ滑るようにシュヴァリエ・ダルジャンが回り込み始めていた。


 機動性に差がありすぎる!

 悪夢のような光景に徳栄は奥歯を軋ませる。拳を空転させたビッグマネーは、バランスを失いつつあった。

 それもそのはず、ビッグマネーはのだ。


 人型脚部で歩行するには意図的に重心を傾けるか、重心を垂直に保ってすり足で移動するしかない。もちろん、重心を傾けない打突はいわゆる『手打ち』となり、打撃力に劣る。そこで転ばない程度に重心を傾けて打突を行うように動作を設計する――のだが。


 こと、カウンターに限っては、それでは足りない。

 カウンターとは、正面方向からのベクトルを受け止め、なおかつ装甲の破壊ないしは打倒を狙う攻撃だ。当然、命中時にはより大きな反力が発生するため、通常の打撃よりも大きく前進する必要がある。言い換えれば、回避不能を前提とした自爆戦術なのである。そして、それゆえにカウンターは一撃必殺の武器となりうる。

 それが躱されたとなれば、予想される未来はビッグマネーの自滅だ。

 

 徳栄は焦る頭をフル回転させ、状況を改善する命令文を探した。

 前傾したビッグマネーのAIは、さらに一歩踏み込むことで対処しようとするだろう。しかし異形の騎士がサイドに回り込んでいる。パンチを打つため前後に足を開いた人型脚部は、いわば立てた薄板だ。横から押せば簡単に倒れる。


「ローラーダウン!」


 徳栄は起死回生を成し得る唯一の命令を発した。別系統に割り当てられているボイスオーダーがすべての命令に割り込み、ビッグマネーの脹脛部に取り付けられたローラーダッシュ機構を展開させる。

 解決すべきは不安定な重心、歩行では制御しきれない前進運動。それらを一挙に解決する妙手はひとつ。ビッグマネーだからこそできる動作だ。


 徳栄はビッグマネーの足裏、つまり底面積を増やして重心を安定させつつ、ローラーダッシュにより慣性を殺しにかかったのである。

 接地したローラーが回りだす。そのタイミングを待っていたかのように、銀の騎士が横から拳を振るった。拳はまっすぐビッグマネーへ伸びる。

 徳栄が吼えた。


「割り込み裏拳!」


 シュヴァリエ・ダルジャンの拳がぶつかり、打音が大気を揺さぶった。

 しかし、その一撃はビッグマネーを倒すには至らなかった。

 割り込みで裏拳を放つよう指示されたビッグマネーの足元で、白煙が上がっている。急速前進を試みたローラーが横滑りしているのだ。さながら超信地旋回する戦車のように巨体がその場で反転していく。


 合わせて、腰を回したビッグマネーが裏拳を放った。横薙ぎに振られた拳がシュヴァリエ・ダルジャンの肩を掠める。火花が舞い散り、金属質な擦過音が耳奥を引っ掻いた。

 ビッグマネーの躰が反転しきろうかというとき、徳栄は追加で命令を加えた。


「パイルパージ!」


 右の拳が開かれ、手の内に仕込まれていたパイルが宙を舞う。とはいえ、投擲は攻撃を目的としたものではなく、荷重バランスを調整するためであった。

 すっ飛んだ寸鉄がポリカーボネイトの壁に刺さった。その間にも、ビッグマネーは構えを取り直して旋回半径を縮小、高速回転していく。


 人型の脚が床を踏みしめ、空転し続けていたローラーが止まった。

 銀色の騎士と黄金の巨人は、場所を入れ替え、再び対峙する格好となった。


 ポリカーボネイトの壁にぶら下がる寸鉄、風に流れる白煙、立ち込める鉄と鋼の匂い。

 一瞬、静寂が会場を支配し、次の瞬間、一気に大歓声が起こった。従来の大会では見られなかった激しい攻防を目にして、誰もが熱に浮かされている。握り拳が次々に掲げられ、歓声に混じって口笛が鳴り響き、熱気が会場を包み込む。


 徳栄は頬を伝う汗を拭うのも忘れて、シュヴァリエ・ダルジャンを睨んだ。

 逆関節のゲテモノとしか思えなかった銀色の騎士のスペックは、すべてのゴーレムにとって、悪夢以外の何者でもない。


 歩行による移動では捉えきれないくらいに早く、人型脚部では考えられないほどの安定性を持っている。またそれ以上に、自由に上下動する上半身が厄介だった。メインカメラの性能とAIの判断能力、ゴーレムの動作速度では、標的として捉え続けるのも難しい。


 思えば、最初の一撃もヴェルテュの張った罠だったのかもしれない。上体を立てて直線的な打撃を誘い込み、動作を目視して躰を下げる。ただそれだけでビッグマネーを追い詰めた。体勢を整えるためだけに武器も失い、摩耗したローラーもすでに百パーセントの性能は発揮できない。


 この状況を打開する攻撃方法は、なんだ。

 徳栄は粘る唾を飲み込み、ビッグマネーの背後で微笑むヴェルテュを見た。気づいたヴェルテュの微笑みが、嘲笑うかのように醜く歪んだ。


「バカ徳栄! ボっとすんな!!」


 噴き上がる歓声に紛れて、加奈子の怒声が飛んだ。しかし、徳栄にまでは届かない。

 ヴェルテュの口元が動いた。


Jumpとべ, andそして Stompふめ


 その音声入力を受けて、異形の騎士の躰が沈み、跳ねた。

 反力で床がひび割れ、巨体が宙に消える。跳ねること自体が前代未聞だ。狙いは何か。決まっている。ビッグマネーを踏みつけようというのだ。

 総重量三十トン近い踏みつけを受け止められるゴーレムなど、いない。

 とっさに徳栄は叫んだ。


「ローラーバック!」


 白煙を上げてビッグマネーが下がった。やはり遅い。間に合わない。

 そこにシュヴァリエ・ダルジャンが落下し、金切り声のような擦過音を響かせた。

 つま先がビッグマネーの胸部装甲を引き裂いたのだ。着地。衝撃は地響きとなり、徳栄のみならずヴェルテュをもよろめかせる。

 揺れる視界の中に深く沈みこんでいるバケモノを捉えた徳栄は、そこに勝機を見出した。牙を剥き出し、凶暴に笑む。


「ハンマーパンチだビッグマネーーーーーーッ!」


 前回大会では使う機会がなかったボイスオーダー。黄金の両拳が振り上げられる。握り拳の小指側、側面を使った打撃――両手によるハンマーパンチである。

 拳が打ち下ろされる直前、観客席で加奈子が叫んだ。


「徳栄! 罠だよ!!」


 声は、やはり徳栄に届かなかった。

 黄金の拳が、振り下ろされていった。

 銀色の騎士は頭上で両腕を交差し、ビッグマネーの拳を待ち受けた。衝突の寸前、伸び上がるようにして銀の腕を払った。


 ビッグマネーのハンマーパンチが、跳ね上げられる。通常ではめったにかかることのない下から上への荷重に、ビッグマネーの巨体が傾でいく。ローラーを固定していたボルトが悲鳴をあげてへし折れた。仰向けに、倒れていく。


 耳をつんざく轟音が響き、徳栄たちの足元が揺れた。

 インカムを掴んだ徳栄は頭が真っ白になっていて、次の命令を出せずにいた。呆然と対岸を見やると、ヴェルテュが尻餅をついていた。首を振り、なにかを探しているようだ。


「インカムが、外れたのか?」


 徳栄の口から疑問が零れた。遅れて頭が音声を認識し理解する。ゴーレムは音声による入力を受けて初めて動作を始める設計になっている。インカムを失ったヴェルテュは、シュバリエ・ダルジャンにボイスオーダーを出せない。


 つまり、勝機だ。

 徳栄は、立て、と命令を出すつもりだった。

 操縦者を失ったシュヴァリエ・ダルジャンは動けないはずだった。

 しかし、銀色の騎士が前進している。


「バカな!?」

「徳栄! 早く立たせろ!」


 観客席から飛んだ加奈子の声に、徳栄は我に返った。


「立て! ビッグマネー!」


 ビッグマネーが両腕を床につき、躰を起こし始める。

 そのメインカメラの前に、異形の騎士が立った。ヴェルテュの命令は出されていないはずなのに、五指マニピュレーターを伸ばし、揃え、手刀を作っている。腕が、引き絞られていく。


 そして、銀の槍と化した右腕が、ビッグマネーの頭を貫いた。

 観客席がどよめき、微かに悲鳴にも似た声があがった。

――勝敗は決した。


 だが、シュヴァリエ・ダルジャンは動作をやめようとしない。ビッグマネーの頭部を貫いた五指を握りしめ、頭の上半分を引きちぎりはじめた。頭部が、断末魔のような金切り音とともに、裂断されていく。


 頭部を失った黄金の巨体は力なく倒れ、破断部から真っ赤なオイルと冷却材が溢れた。

 異形の騎士は、引き裂いたビッグマネーの頭半分を、ゴミのように投げ捨てた。千切れた頭が床を転がり、溜まった液体を撒き散らした。


 呆然とその光景を見つめていた徳栄は、やがて膝から崩れた。

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