9話

 十五分後、横浜バトルアリーナ。

 メインの闘場を見下ろす観覧席は、大会決勝に負けず劣らず賑わっていた。多くの観覧客が手にしているのは、エキシビジョンマッチ単体の格安チケットである。エキスポ自体に興味をもたない人々のために用意されたものだ。


 もちろん、大量集客の理由はそれだけではない。

 これまでI&S:REALと称された巨大人型ロボットによる格闘戦は、その名を冠する永和ロボティクス主催による大会が年に一回開かれるだけだった。それが今年に限っては、たった一カ月というごく短期間のうちに、もう一試合おこなわれるのだ。


 本年度のロボット格闘戦の見納め――ましてや、対戦相手が特別だ。エキスポを主催する新興の海外企業が、一カ月前に仙波工業を沈めたビッグマネーに挑むという。

 永和憎しで徳栄の敗北を望む者、日本代表という名目を与えて勝利を望む者、そして勝敗の行方よりも興行として成り立つかどうかに注目している者――。


 様々な色を乗せた眼差しが、闘場の際に立つビッグマネーと徳栄に注がれていた。

 整備員が忙しなく動き回るすぐ横で、腕組みをした徳栄が、闘場の対岸を睨んでいた。未だヴェルテュ・ルロワは姿を現していない。当然、彼女のゴーレムも。


「まだか、ヴェルテュ・ルロワ……!」


 いまかいまかと、そのときを待つ。

 早く対戦相手を見せろと自らの二の腕に爪を立てる。スティール・フィランソロピーのゴーレムはI&S:REALの参加基準基準を満たせているのだろうか――。


 全高十メートル未満、総重量三十トン未満の、自立自走可能な二足歩行ロボットであること。

 電力を動力源とし、自家発電機構ないしは、バッテリーを内臓していること。

 さらに、ゴーレムの動作はすべて操縦者のボイスオーダーに依拠するものと定めてある。

 特にAIの使用については、参加時にシンギュラリティ抑止協約への同意を求められ、厳密にゴーレムの動作に対するAIの裁量が規定されている。


 徳栄が歯を軋ませて首を振り、肩越しに観客席を仰いだ。

 二階席、至近に緋登美がいた。その隣に、レギュレーションと協約の共同策定者である加奈子と佐伯がいる。徳栄と加奈子の視線が交錯する。双方の目に力が籠もる。

 徳栄は苛立ちを募らせる。


 ――先進的なAIを戦闘目的のロボットに積む。

 真っ先に反対したのは仙波工業だった。戦闘用AIの暴走を危惧していたのだ。

 学習を繰り返したAIは、開発者が予期できないような動きをするかもしれない。

 それが加奈子の主張だった。


 対ゴーレム戦闘用に組んだAIが人に危害を加えるような進化を遂げるはずがない。

 しかし、大型のロボットで格闘戦を行うのは、ただでさえ危険を伴う。AIの暴走を危険視する気持ちも理解できないでもない。それに、I&S:REALの実現には、加奈子という人が必要不可欠だった。


 徳栄は突きつけられた条件を受け入れ、参加企業の――というよりも加奈子の提案を受け入れ、シンギュラリティ抑止協約に賛同したのである。

 なのに、海外企業がエキスポなどというイベントを引っ提げて参加表明する中、協約策定に当たった本人である加奈子自身が撤退を表明するとは――。

 徳栄の胸中では、怒りと、失望と、悲しみと、ありとあらゆる感情が渦巻いていた。

 にらみ合う加奈子と徳栄は、どちらともなく目を逸らした。


「社長。OKです。いつでもいけますよ」


 整備員の報告を受けた徳栄の視線は、VIP席に向いていた。人影がいくつか見える。


「カメラテストするぞ」


 その一言で、ビッグマネーの音声認識用AIがカメラテスト用に切り替わる。

 徳栄はメインカメラの映像を表示するディスプレイを見つめながら、令を飛ばした。


「ビッグマネー。左を向け」


 黄金色に輝く巨人の首だけが、左方を向いた。おおよそ三百六十度全方向をカメラで見ているいるため本来は首を動かす必要などないのだが、何をしているのかを操縦者に伝えるために動作させているのである。


 首の動作を確認した徳栄は、間を置かず、「徐々に上へ」と続けた。画面が上方へと滑っていく。VIP席が映った。

 瞬間、


「とまれっ……!?」


 徳栄は息を飲み込んだ。

 人影が、ふたつ。

 永見川成徳と、その妻――つまり、徳栄の母がいた。姿を見たのは何年ぶりだろうか。


「……どういうことだ?」


 そのとき、会場の照明が落とされた。観客席で起きた小さな悲鳴がさざ波となり、大きなうねりとなっていく。

 会場に満ちた不安を払うかのように、トランペットの音が鳴り響いた。いかにも壮大な出来事を予感させるようなクラシックだった。


「嫌いではないが、大げさな演出だな」


 徳栄は唇の片端を吊り、腕時計に目を落とす。暗闇の中で薄ぼんやり発光している針が、予定時刻より十分弱の遅延を示していた。古くさいが、ときに有効な手口だ。

 待たせて、焦らし、一気に盛り上げようというのだろう。


 盛大にティンパニが鳴り始め、青白いスポットライトが伸びた。対岸の搬入扉が、ゆっくりと開きはじめる。荘厳な第一フレーズと満場の喝さいを浴びながら、スティール・フィランソロピー代表のゴーレムと、白いスーツを身に纏うヴェルテュ・ルロワが姿を見せる。

 瞬間、徳栄は凶暴に笑んだ。


「なんだあのゲテモノは……逆関節チキン・ウォーカー……かぁ?」


 ようやく姿を見せた銀色のゴーレムは、異形であった。

 中世の騎士を思わせる鋭角的なデザインをした人型の上体が、床と接触するかどうかというくらいに深く沈み込んでいる。太い脚が腰から背中側に向かって生えており、バッタの後ろ足のように折り畳まれているるのだ。


 その異様な立ち姿に、観客席で小さなざわめきが広がっていく。

 たしかにI&S:REALの参加規定では、形状について『二足歩行型ロボットであること』としか定めていない。人型にこだわるのは、暗黙の了解でしかないのだ。


 しかし――いや、だからこそ。

 ほとんど上体を揺らすことなく前進する異形を睨みながら、徳栄は舌なめずりした。

 潰す。そう決めた。

 会場に鳴り響くトランペットが佳境を迎える――と同時に、ヴェルテュが口を開く。


「みなさま、大変長らくお待たせいたしました。私の横にあるゴーレムが、わがスティール・フィランソロピーの作り上げた、『シュヴァリエ・ダルジャン』です」


 ヴェルテュのよく通る声が会場に語りかけた。耳に掛けたインカムはボイスオーダーシステムとマイクを兼務しているらしい。


「われわれは、この日を、ずっと待ち望んでいました。I&S:REALはとても素晴らしい成果をわれわれに見せてくれました。エキスポに参加された方はもちろん、大会を真摯に見つめるみなさまは、その意義をよくご存じかと思います」


 会場に設置されている巨大ディスプレイに、微笑むヴェルテュが映し出された。


「もっとも、見る目のない人にとっては違ったようですが」


 観客席から失笑が漏れた。一転して空気が弛緩したのを見計らい、ヴェルテュがインカムを一撫でして両手を広げた。


「本日、われわれスティール・フィランソロピーは、第一回、第三回の王者である永和ロボティクスさまのゴーレム、『ビッグマネー』に挑戦します。もちろん、みなさまのご想像通り、これは簡単な挑戦ではありません」


 ヴェルテュは悲痛な表情を浮かべて手を伸ばし、虚空を握る。


「しかし、我々に勇気を与えてくれた人がいました」


 そう告げると、スポットライトの光が会場の一点を抜いた。


「仙波工業です!」


 観客席がどよめいた。演出について知らされていなかったのか、加奈子は光に対して眩しそうに腕をかざしていた。

 再び、ライトがヴェルテュを照らす。


「失礼ながら、仙波工業さまは、資金力という意味で永和ロボティクスさまに遠く及びません。永和ロボティクスさまの母体は永和グループ――つまり永和重工です。ゴーレムの開発競争では、なによりも資金の面で、相当なご苦労がおありだったはずです」


 悲劇のヒロインでも演じるつもりか、両手を胸に当て顔を伏せ、たっぷりと間を取った。

 そして、苦悩を振り切るかのように顔を上げる。


「しかし! 仙波工業さまの『仙波マンパワー』は成し遂げました! あらゆる部品の精度を引き上げ、また既存の技術を応用し、ビッグマネーを破ってみせた!」


 会場に静かな熱気が漂い始めた。

 ヴェルテュは熱に浮かされているかのように、声を高めていく。


「われわれは感銘を受けました! ひとつの答えを見せていただいたのです! その答えとは、熱意は全てに勝るということです! 答えを得てから、われわれは、スティール・フィランソロピーは、熱意を注いできました! 鉄と鋼の世界に、意志を込めました!」


 熱弁を振るうヴェルテュは、会場に集まる人々にすがるように手を伸ばす。


「今日、海の向こうから来たわれわれは、前大会で敗れた仙波工業さまの鋼の意志を引き継ぎます! スティール・フィランソロピーが、技術と、鋼鉄の意志で、永和ロボティクスに挑戦します! みなさま、スティール・フィランソロピーの挑戦にご声援いただければと思います! われわれは、われわれの挑戦を、ぜひともみなさまと分かち合いたいのです!!」


 徳栄は振り払われたヴェルテュの手を見据え、鼻を鳴らした。

 永和ロボティクス――ひいては徳栄への、賛否入り乱れていた空気は吹き飛んだ。いま会場を満たすのは、スティール・フィランソロピーに対する期待だ。今日まで仙波工業に向けられていた期待の眼差しを一身に引き受けて、ヴェルテュ・ルロワが妖しく微笑む。


「レッツ、スタート! ザ・ゲーム!」


 宣戦布告。

 会場に明かりが戻ったその瞬間から、観客席の色が塗り替えられていく。どちらを応援すべきか迷っていた層がヴェルテュに傾いていく。

 それはアンチ永和の声と混ざり合い、元は徳栄の勝利を望んでいた客たちも宗旨変えする。演説の、ほんの数分の間に、人々はヴェルテュの勝利と徳栄の敗北を望むようになっていた。


 全方位から突き刺さる敵意に対し、徳栄は獰猛に笑む。

 上手くやったものだと思うと同時に、何度も味わってきた失望をも敏感に感じ取る。

 おそらく、ヴェルテュは、I&S:REALをスティール・フィランソロピー飛躍の踏み台としか思っていないのだろう。対ビッグマネー戦での勝敗は彼女にとってどうでもいいのだ。

 見せたいのは勝利ではなく、新たに開発したなんらかの技術に違いない。


「やれるものなら、やってみろ」


 一人呟き、徳栄はマイクを口元に寄せた。


「レディ」


 ごく短い命令文だ。言い換えれば、所定位置につけ、である。

 ビッグマネーが、地を揺らしながら前進する。

 対して、ヴェルテュも口を開いた。


Forwardまえへ


 ボイスオーダーに従い、銀色の騎士が歩み始めた。闘場を仕切る床の溝を踏み越え、逆関節の足が止まる。

 ビッグマネーと、シュヴァリエ・ダルジャンが対峙した。徳栄とヴェルテュの目の前で、床に開いた溝からポリカーボネイト製の壁が伸びあがる。


 I&S:REALのレギュレーションの中でも特に厳密に定められている『人に対する被害の抑止』のための装置。前回も、吹き飛んだ仙波マンパワーの腕から、操縦者と整備員、それに観客を守った盾である。


 強い照明が焚かれて、闘場だけが暗闇の中に浮かび上がる。巨大ディスプレイに二体のゴーレムが映され、各機の解説をする司会と実況の声が会場に流れ始めた。

 その声を、徳栄はどこか遠くでなる音のように聞いていた。

 試合開始直前の針のように鋭い空気を肺に押し込んでいく。組んだ腕が震え、肌が粟立つ。両眼に力を込め、その瞬間を待つ。

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