8話

 遅ればせながら駆けつけた警備員の助力も得て混乱を収めた後、徳栄と加奈子は人目をやり過ごすため仙波ブースの裏に逃げ込み、差し向かいで座っていた。

 徳栄は袖の千切れた上着を脱ぎ捨て、ネクタイを緩めた。人前に立つということで選ばれた三つ揃えのスーツは、すでにその機能の大半を満たさなくなっていた。加奈子の方は、救出されたばかりの遭難者の如く銀色のウィンドブレイカーを上から羽織っていた。抱えたペットボトルのキャップを切って、口に運ぶ。


「えと……後で緋登美さんに謝っといてくれる?」


 実に加奈子らしい普段なら笑い飛ばしてやるような生真面目な声音だった。場を荒らしたのは徳栄たちだというのに、乱れた髪と化粧を直すと言って手洗いに行った緋登美を気づかう余裕すらある。

 一方、徳栄は心中穏やかではない。ちらりと加奈子のウィンドブレイカーの下に視線を送る。


「……あらためて聞くが、あの強化外骨格とやらは、半裸じゃないと着れんのか?」

「……あのさ。半裸って言い方、やめてくれる?」


 加奈子は仄かに頬を染めた。いそいそと羽織ったウィンドブレイカーの前を閉じ、徳栄の視線から肌を守る。どうやら肌をみられることに対する羞恥心はあったらしい。

 だが、なればこそ。


「仙波加奈子」

「……なに?」

「半裸で展示をする意味は、どこにある」

「……だから半裸って言わないでよ。私だって恥ずかしいの我慢してやってんだから」


 わかっていて、なぜ。

 徳栄の内で疑問が再浮上した。ここ一カ月は会えなかったがために、問い質すことの叶わなかった違和感である。


 ひと月前、これまでなら不遜な態度で再戦を要求してきたであろうに、どこか乗り気ではない様子だった。時がくれば理由を教えてもらえると思っていたがそれもない。工場を訪ねてみても、姿を隠すかのようにいつも外出している。


 約束もなしに訪問していたから会えなかったこと自体は仕方がない。おそらく、先ほどの展示で身に着けていた、強化外骨格にまつわる動きなのだろうとも思える。


 再戦についての話がなかったのも、進行中だった強化外骨格プロジェクトに注力していたからだと解釈すればいいのだ。

 だが、しかし。


「これまで技術技術と言っていたのに、 なぜ、色気で釣ろうとする」

「色気って。私はそんなつもりじゃ――」


 加奈子は苦笑しながら手を左右に振った。それで収まるはずだった。

 が、ペットボトルの蓋を締め直した徳栄は、直後、それを放り出して加奈子の襟ぐりを掴んだ。引き起こしたかと思うと、ウィンドブレイカーを強引に開き、ヘソを指さす。


「何がそんなつもりはないだ! なんだその煽情的な格好は!?」

「せ、煽情的!? 何言ってんの!?」


 瞬時に加奈子の顔が赤くなった。徳栄の手を払いのける、悶えるように身をよじる。

 はねるように立ち上がった徳栄が目一杯に声を張った。 


「それはこちらの台詞だ仙波加奈子! 俺は! 仙波加奈子が、そんな売り方をする女だとは思っていなかったぞ!」


 言って徳栄はピンと伸ばした指を加奈子の鼻先に突きつける。


「仙波加奈子の性的魅力についてはこの永見川徳栄も認めよう!」

「せ、性的魅力!? 認める!? 真顔で何言ってんの!?」

「黙れ、仙波加奈子!! 俺が問いたいのは、仙波加奈子がバイヤーに見せたいのは技術力ではなかったのかということだ!! 人々に知らしめたいのは、仙波加奈子の色気だったのか!? まさか、ゴーレムを利用してアイドルに――」

「違うってのバカ! バカ徳栄!」


 加奈子も怒気を滲ませ立ち上がる。その拍子にウィンドブレイカーがはだけた。慌てて手で隠す。伏せた顔は湯気でも出ていそうなほど上気していた。

 徳栄の発言に引っ張られたか、必要以上に肌を晒すことを警戒しているようだ。

 そのありさまに、徳栄はさらに身振り手振りを大きくする。


「恥ずべきことだと自覚しているのなら! なぜ技術で勝負しない!」


 気づけばこの一月の間に積もらせた疑問を包み隠さずぶつけていた。

 ずっと動揺を引きずっていたのかもしれない。なんの用意もなく永見川成徳と対面したからかもしれない。ヴェルテュという新しく仲間となるであろう参加者との対戦が、すぐそこに控えていたからかもしれない。


 敵でありながら盟友でもあると信じていた加奈子が、徳栄の理想からかけ離れた行為を実践しているのが許せなかったのかもしれない。

 八つ当たりでしかないと理解していた。

 しかし、胸の内に収めておけない。


「仙波加奈子は! この永見川徳栄を! 技術力とやらで打ち倒すのではなかったのか!?」


 裏切ってくれるな。

 それは懇願に等しい。

 受けた加奈子はすぐに口を小さく開くも、下唇を噛み、俯いた。言葉を選んでいるのか、視線があちらこちらへ彷徨っている。やがて上げられた顔は苦み走っていた。


「……そのつもだったし、そうしたいけど、もう限界なんだよ」

「限界、だと?」

「そうだよ! 限界! 遊んでばっかじゃいられないんだよ!」


 吐き捨てるように言った加奈子はペットボトルを引っ掴み、一気に喉に流し込み始めた。飲み干すと同時に捻りつぶして、ウィンドブレイカーのポケットに突っ込む。

 加奈子は胸に手を当て、深呼吸をひとつして、徳栄を見据えた。


「この前、言ったかもしれないけど、色々と考えないといけない時期にきてると思う」

「考えるだと!? 何をだ!」

「大声出すなって! 色々だよ。私ら、もう子供じゃないんだよ? 無駄にお金使って、人を集めてさ。やってるのはロボットでケンカだよ? そんなので笑ってられないの!」

「なん、だと……? もう一度言ってみろ仙波加奈子ぉ!」


 徳栄は加奈子の襟ぐりを掴むと、額をぶつけ合わさんばかりに顔を近づけた。ともすれば触れそうなほどの距離にある黒い瞳が目を逸らす。

 激昂する徳栄は、その迷うような素振りに嫌な予感を覚えた。


 普段なら手をあげたりしない加奈子が、なぜあの日だけは腕力に訴えようとしたのか。

 前日まで闘争心をむき出しにしていたはずなのに、なぜ再戦に乗り気でなかったのか。

 最悪の答えを予感する。

 しかし、徳栄に流れる永見川の血が、退くという選択を取らせない。


「仙波加奈子! どういうつもりなんだ! 言いたいことがあるなら、はっきり言え!」

「どういうつもりもなにも!」


 加奈子の潤んだ瞳が徳栄を睨み返す。


「私は! もう! もう……」


 そこで言葉を切って、徳栄を押し離した。続くであろう言葉を徳栄は待ち受ける。加奈子は息を大きく吸い込み――、

 俯いた。

 虚を突かれた徳栄の覚悟が揺らぐ。再び加奈子の手が伸び、徳栄の腕を掴んだ。


「こっち来いバカ徳栄!」

「なんだ!? どこに連れて行く気だ!?」

「黙って来いって言ってんの!」


 ずんずんと足を進める加奈子に引きずられるようにして、徳栄は仙波マンパワーの前まで連れてこられた。名誉の傷も生々しい前回大会の決勝を戦いあった鋼の巨人の足元で、加奈子が肩越しに徳栄を睨んだ。


「ほら! これ見てみなよ!」


 薄青のネイルが塗られた指先が指し示していたのは、肩関節から千切れた仙波マンパワーの左腕だった。関節部には吹き飛ばした際についたであろう黒々とした焦げ跡がある。

 傍らに置かれたプレートには『炸薬式離断ロックボルト』と書かれていた。接合部を自発的に爆破、離断し、ビッグマネーから隙をもぎとったギミックの名前だ。

 プレートにも記載されている三回大会の激戦を思い返して、徳栄は笑みを浮かべた。


「いいアイディアだったとは思うが、惜しかったな」

「ちっともよくない!」


 間髪いれずに怒鳴り返した加奈子の顔は、痛みに耐えるかのように歪んでいた。

 その表情かおは徳栄の予想に外にあった。言い争うときの表情かおは見ている。子供の頃から対戦を重ねてきたから、泣き顔だって見慣れたものだ。

 しかし、その表情だけは見覚えがなかった。


「私は、もう、I&S:REALから手を引くから」


 加奈子は畳みかけるように言った。

その瞬間、ふたりのやりとりを聞きつけて集まってきていたプレスと野次馬が、フラッシュを焚いた。止めようととする者はいない。

 言葉を受け止めきれず呆然とする徳栄を置いて、加奈子が続けた。


「私はもう、ロボットを壊して騒ぐような遊びから、手を引くつもりだから」


 その宣言に、徳栄は目眩をおぼえた。I&Sは遊び。事実だ。徳栄自身もそう考えてきた。

 しかし、最初に誘ってきたのは、誘ってくれたのは――。


「お前だろうが! 仙波加奈子!」


 一度吼えだした徳栄は止まらない。


「言わせておけば! 俺たちは戦っているのであって、壊しているわけではないぞ!?」

「同じだって言ってんのよ! 戦えば結果としてゴーレムは壊れるでしょ!?」


 加奈子は壊れた仙波マンパワーを見せつけるかのように手を払った。


「いい!? もう昔と違うの!」


 眉を歪めて、握った拳を震わせる。


「私たちが大人になっていくのと同じように、世界も年を取っていくわけ。私たちは使える資源が有限だってことを、もう知ってるでしょ? いつまでも、こんな無駄な消費を重ねてて、いいわけないんだって!」

「無駄な消費だと!? 仙波加奈子! 自ら口にするか! この会場に集まっているのは、I&S:REALが産んだ技術ではないか! 遊びは遊びでも、ふざけているわけではない! 本気の勝負だ! 負ければ敗因を分析し! 勝てば次の勝利のために研鑽を積んでいくんだ! そのために必要な犠牲なのだろうが!」


 認めない。認められない。

 加奈子はぐっと歯を食いしばり、言葉を選ぶように言った。


「だから、今のうちに終わっておくの。いろんな物を、いろんな技術を産んでくれたから、これ以上、無駄な消費を重ねる前に終わったほうがいいんだよ」

「だから、だから手を引くと!? いまはまだ必要な消費だとしてもか!?」

「そうだよ」


 加奈子は今にも泣きだしそうな目をして、徳栄を見つめた。


「もう私は、やめようと思ってる。それでも続けたいなら、徳栄一人でやりなよ。一人で遊んでたあのころに、また、また戻ればいいじゃんか」

「な……仙波加奈子!」

「怒鳴るな! 私はちゃんと聞いてる! 何が言いたいわけ!?」


 詰め寄られた徳栄は、しかし言葉に詰まった。

 周囲には、カメラ片手に記者連中が集まってきていた。第一回からの参加者である仙波工業の離脱はいいネタになるだろう。ましてネットでの加奈子本人の人気は徳栄の比ではない。


 いまは退くべきだと頭ではわかっていても、感情がついていかなかった。

 幼い頃、徳栄が一人で過ごした日々――世界から見放されているような孤独は、決して忘れられやしない。すべてを与えられた代償にしては重すぎる。


 仙波加奈子という人と出会ってしまったいま、あの孤独に耐えられる気がしない。身内といえる人々は傍になく、一人で時間を浪費する日々には戻りたくない。偶然の出会いだったかもしれないが、あの時間が無ければとうの昔に壊れていた。


「……本当に理由はそれだけか?」


 徳栄は、あの頃と同じように歯を軋ませた。


「資源は有限だと? 無駄な消費だと? 詭弁ではないか! この前の敗北を認めたくないだけだろう! この俺の! 圧倒的資金力に負けたと認めたくないのだろうが!」


 乗ってこい仙波加奈子!

 そう心中で叫んでいた。あの頃と同じになりたくなくて、挑発していた。

 加奈子は開きかけた唇を噛んで、言い直す。


「もし徳栄が本当にそう思うんだったら、私は、もう、それでいいよ」

「――何だと? 仙波加奈子! 本気か!?」

「悪いけど私は本気だよ。わからないんだったら、もうそれでいい。一人でやってなよ」


 加奈子は暗い顔をしていた。諦めたように首を振る。フラッシュが焚かれ、突き出された録音機材がふたりの発言を冷酷に記録していく。


「これで話は終わり……それじゃ、私はもう引きあげるから。まぁでも、なんかエキシビジョンマッチとかいうのをやるんでしょ? それは見てくよ。頑張ってね」


 投げやりに言って加奈子は背を向けた。

 徳栄は内心で狼狽えながらも虚勢を張ろうとしたが、口は上手く回ってくれなかった。


「な……ま、待て、仙波加奈子!」


 なりふり構わず、加奈子の背に呼びかける。


「待てと言っている! 仙波加奈子!」


 しかし、たったひとりだけの友人は、徳栄を見ようともせず手をひらひらと振っていた。その向こうから緋登美が戻ってきた。加奈子とのすれ違いざまに訝しげに眉を寄せた。振り向き肩越しにその背を目で追う。


「お待たせしました……けど……社長? ケンカ、ですか?」


 尋ねつつ、緋登美はしきりに加奈子の去っていった方向を目で追っていた。どう答えるべきなのか。ケンカでも、間違いとは言い切れない。むしろ、ケンカ程度であってほしい。

 徳栄はじっと瞑目して言った。


「なんでもない! 時間は!? エキシビジョンマッチはいつだ!?」

「……あと、ニ十分ほどですが……大丈夫ですか?」

「問題ない! うちの連中に連絡しておけ!」


 そう言う徳栄の顔は僅かに青ざめている。散っていくプレスを忌々しげに睥睨し、こちらの様子を窺う野次馬とコンパニオンたちを威嚇し、徳栄は無理やり口角を吊った。


「ヴェルテュ・ルロワ」


 徳栄は自らに言い聞かせるように呟いていた。


「俺の遊び相手になってもらうぞ」


 王は孤独である。孤独は貫けば孤高になると、成徳の著書にもあった。成徳は孤独を与える側で、孤独を感じたことなどなさそうなものだが、その教えにはしたがうべきだ。

 一度でも孤独を忘れてしまえば、再びそこに身を置くのかと予期するだけで恐ろしくなる。恐怖は躰を強張らせ、固まった頭では判断を誤る。


 そして、一度判断を誤れば、堕ちるところまで堕ちるのだ。

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