7話
周囲に喧騒が戻りはじめた。どこかのメディアのライターが、薄っぺらい愛想笑いを浮かべて近づいてくる。投げかけられた質問に無視を決め込み、徳栄はいつまでも頭を下げ続けている緋登美に歯を軋ませた。
「もう行った。みっともない。顔を上げろ、柳川緋登美」
「……私にこの仕事を下さったのは総帥なので」
ようやく躰を起こした緋登美は落ち着きを取り戻したようだった。慣れた様子で興味本位で近づいてくるライターを追い払い、開いたリーフレットの一点を指さす。『エキシビジョンマッチ:ビッグマネー VS ???』と題されたイベントまで、まだ少し時間があった。
「さすがに今日ばかりは加奈子さんもお越しになると思いますので、見物しながら、仙波工業さんのブースを覗きに行きませんか?」
「提案してくるとは珍しいな柳川緋登美! 成徳に任せたと言われたからか!?」
「どうとって頂いても構いませんよ。行かないんですか? もしかしたら、加奈子さんも待っていらっしゃるかもしれませんよ?」
「……フン! たまには部下の提案も聞いてやらんとな!」
言って徳栄はリーフレットを奪い、パンッと広げて堂々たる所作で睨めつけた。
――のだが。
略式地図上の細かな文字を熟読する内に、眉間に深い皺を刻まれていく。
「柳川緋登美!」
吠えると同時に地図を突き出す。
長年、仙波工業の工場で抽象画じみた地図を見てきたせいなのか、それとも途中から緋登美に任せるようになったからか。徳栄はまともな地図すら読めなくなっていたのだ。
「こちらですよ、社長」
緋登美は微苦笑を浮かべて、徳栄の手を取った。
徳栄は早々に手を振りほどきながらも、迷子にならないようにとしっかり緋登美の後姿を目で追いかける。と、コンパニオンたちが視界の端に入り、重い息をついた。
なぜ格闘ロボットと水着コンパニオンが同じ会場にいるのか、了解できても理解はできない。
もちろん、社長業を務めているうちに客層については学んだつもりである。イベントにほんの少し色を足してやれば数字が大幅に変わると知っている。
しかし、見せたいのはロボットだ。水着の女に夢中になられても仕方がないではないか。
格闘と水着の女の関係についても同じだ。商品として提供しているのが格闘戦なら、商品の魅力以外で人を呼んだとして、なんの意味があるのか感じてしまう。
曲がりなりにも経営者であるだけに、商品が売れるに越したことはない。けれど、いやだからこそ、商品の売り方も気になってしまう。
エキスポを見て回ればすぐにわかるように、参加企業が売りたい商品は、ゴーレムによる格闘戦でも、ゴーレム自体でもなくなりつつある。
第一回大会のころは、どの企業も本気で勝ちにきていた。それが、二回目にはすでに永和ロボティクスと仙波工業での決勝を前提としはじめ、三回大会に至っては、いくつかの企業は意図的にゴーレムの開発を小規模なものに留めていたのである。
技術や資金、時間も含めて、進歩が難しくなっているのは重々承知している。
しかし、最初から勝負を諦めてしまうなら、参加企業を募って大会を開く意味などない。
理想主義的で幼い考えだ。それくらいは分かっている。
分かっているが、納得できないのだ。
I&S:REALは、元を正せば、加奈子とふたりで始めた本気の遊び。いくら金をかけていようが、時間を費やしていようが、本気でぶつからなくては意味がない。
甘さ、なのだろうか。
徳栄は緋登美に聞かれないよう、小さくため息をついた。彼女の細い肩越しに、左腕を失くした武骨なゴーレムが、見えてきていた。
仙波工業ロボット開発部を象徴するかのように、仙波マンパワーが足元にある黒山の人だかりを静かに見つめている。さすがにネットで人気を博するだけあって、他の参加企業とは集客力が違う。周囲の企業ブースから顔を出すコンパニオンや担当者も、もはや妬みを通り越して羨むような眼差しを送っていた。
徳栄は近づくたびに高まっていく熱気を肌で感じ取り、背筋を伸ばす。
I&S:REALのいまは、自分と加奈子のふたりで作り上げたのだ。その、いま形のひとつが目の前にあるのだ。間違ってはいない。
成徳ごときになんと言われようと、本気でやりあうその熱こそ――、
「カナっぺ可愛いぃぃぃぃぃ!」
ふいに聞こえた観覧客の歓声に、徳栄はこれでもかと眉間に皺を刻んだ。
知らず知らずの内に足が早まる。緋登美の制止すら振り切って、人の群れに真正面から突っ込んだ。押された観客は怒りも露わに振り向き、徳栄に気づいてスマホを出した。
焚かれるフラッシュ、聞こえてくる「カナっぺぇぇぇぇ!」という野太いコール。仙波工業ブースに押し寄せる客をかきわけ、徳栄は最前列に躍り出た。
と同時に、
「な……なにをしている仙波加奈子ぉぉぉ!!!」
絶叫した。
仙波マンパワーファンを自称するであろう人々の視線の先。壇上。半裸といってもいい格好の仙波加奈子その人がいた。
上はへそが丸見えの白いノースリーブで、下は太ももを見せつけるかのようなホットパンツである。なにかのデモンストレーション中なのか、両手足の外側に黒色の細い金属フレームを着けてもいた。そして、珍しく薄く化粧をして艶やかな顔が、呆気にとられていた。
奥に置かれたモニターが色鮮やかに展示内容を主張している。
『SENBA Powerd Exoskeleton :SPE projects』
ゴーレム開発で培った技術を転用した、汎用強化外骨格、らしい。開発責任者である加奈子自身が動体展示をしていたのだ。自身の魅力を、ネットでの人気を利用するために。
徳栄の片頬がひくひくと痙攣する。強化外骨格の展示をするなら普通の服装でいいはずだ。いつの間にやら女性らしくなった体つきを強調するような、ぴっちりとした服は必要ない。見せたいのは自慢の汎用強化外骨格であり、うら若い加奈子の肌色ではないはずだ。
いつもの青いツナギでは、いかんのか。
先ほど内側に押し込んだはずのなにかが、喉元まで這い上がってきていた。
「『ソレ』は半裸じゃないと着れんのか仙波加奈子ぉぉぉぉぉ!」
表には出すまいとしていた迷いが、とうとう口からまろび出た。その遠吠えは、加奈子の名を呼びながらも、彼女に向けられてはいない。
しかし、人目を引き付けるには十分な声量だった。
集まっていた観覧客が一斉に首を振って、すぐに声の主に気づいた。誰もが予想していなかったであろう光景に、スマホを握る手が伸びる。
「徳栄っ!?」加奈子は慌てて見物客に言った「お、落ち着いて! 落ち着いてください!」
必死の呼びかけは少しばかり遅かった。I&S:REALの、しかも仙波工業のファンたちは、仇敵の出現にすでにボルテージを上げ始めていた。怒れる仙波ファンの誰かが「カナっぺを守れ」と叫んだ。それ自体は半笑いで発せられたもので、冗談のつもりだったのだろう。
しかし、ブースの空気は一変した。
悪の枢軸、みんなの敵、永和ロボティクスがカナっぺを襲いに来たのだ。間もなく徳栄への「帰れ」コールが飛びはじめ、掴みかからんばかりに手が伸びる。慌てて背後から緋登美が割って入ってその手を払う。目聡く気づいた誰かが、「暴力だ」と声を荒らげた。仙波ファンの熱狂が質を変化させながら徳栄たちに迫る。
暴徒一歩手前の観客にもみくちゃにされるなか、加奈子が警備員を呼べと叫んだ。
仙波工業側にしても、エキスポの運営にしても、暴動じみた状況は想定していない。警備への連絡は遅れ、場は混迷を極めていく。
怒れるファンに埋没して呆然とする徳栄。身を挺して守ろうとする緋登美。
そのとき、加奈子が事態を収拾すべく強硬手段に打って出た。
仙波マンパワーの開発で蓄えてきた技術の粋を集めた強化外骨格が、加奈子自身の手によりファンの塊を切り拓くために使われたのだ。
数十を上回る人々の力すらものともせずに、まさしく仙波のマンパワーが徳栄と緋登美へとつづく道をつくった。
そのできたばかりの細い道に、仙波の技術屋たちが雪崩れ込んでいく。
加奈子が道を拓き、社員がそれを整える。
仙波工業は期せずして新技術とチームワークを世間に見せつけたのだった。
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