ただひとり
6話
スティール・フィランソロピーCEO、ヴェルテュ・ルロワが永和ロボティクスに来訪してから一カ月後――、I&S:REALエキスポ会場にて。
大会を開いているときとはまた異なる華やかさをみせる異横浜バトルアリーナの一角で、徳栄は不快感を露わにしていた。
もちろん、気取って三つ揃えのスーツで来てみたら、冷房の有無を尋ねたくなるほど暑かったから、ではない。むしろ、その場にいるだけで汗の玉が滲んでくるようなエキスポの盛況ぶりは、これまでの活動が認められたようで誇らしかった。
いったいどれくらい前から広告が打たれていたのか、人の入りは上々だ。より多くの人に知ってもらうために企画された見本市なのだから、きわめてよろこばしいことだ。
永和ロボティクスがスティール・フィランソロピーとの共催扱いなのも問題はない。
ほぼ全ての交渉と告知をスティール・フィランソロピーが担ったと聞いていたから、なぜ単独でオフィシャルスポンサーを名乗らないのか不思議なくらいである。
過去三回の大会に参加した企業が協賛に並んでいるのもありがたいことだ。
展示内容がゴーレムそのものよりもゴーレム開発によってもたらされた新技術の紹介に偏っているが、技術見本市というコンセプトからすれば正しい判断といえよう。その意味では永和ロボティクスの展示が徳栄自身は興味のない技術ばかりだったとしても、仕方がない。
だが、しかし。
「なぜ仙波加奈子は来ない! なぜヴェルテュ・ルロワのゴーレムが会場にないのだ!!」
徳栄の魂の咆哮が、開演三日目の会場に
傍らに立つ緋登美がまたかと顔をしかめつつ、リーフレットに目を落とす。
「そうはおっしゃいますが、社長ご自身も会場を巡るのは今日が初めてじゃないですか」
「ぬっ!? 文句は成徳に言うんだな!」
「そのお言葉、誰に言うかを換えるだけでお返しできそうですね」
言い終えると同時に緋登美は気だるげに息をつき、耳を塞いだ。
「あれから一カ月! あいつらはどこで何をしていたというんだ!」
今日だけで実に三度目となる代わり映えしない叫びが観覧客の注目を集めるも、怒れる徳栄と呆れる緋登美を認めると愛想笑いと会釈に切り替わる。
徳栄が溜め込んだフラストレーションは、決してなくなりはしない。
――一カ月前、徳栄は仙波工業から引き揚げた瞬間から、仕事のほとんどを放りだしてきたのだ。より正確には、上げられてきた営業報告や企画に目を通し、会議にかけるかどうかの意思決定をするだけのマシーンと化してきたのである。
さすがに片手間に仕事めいたことはしていた。厳密には仕事ではないが、I&S:REALにまつわる企画や開発用のアイディア出しだ。合間を縫っては仙波工業に赴き、今日はいないからと無駄足を踏むまでがワンセットだったのだ。
しかも、その間、ヴェルテュは永見川ロボティクスに姿を見せなかった。
なにかにつけて担当者とやらが訪ねてきていたらしいが、それも社長室に顔を見せたのは初回だけで、以後は担当部署から上がってくる書類だけの関係となっていたのだ。
もちろん、徳栄は面白くない。特にゴーレム談義ができる相手がいないという一点において、彼は過充電で破裂寸前まで膨らんだバッテリーのように熱くなっていた。誰彼構わず吼えたくてたまらない。思いついたアイディアも含めて話がしたい。
それも、まだ戦ったことのないヴェルテュや、ゴーレム自体にはそれほど関心がなさそうなエキスポ参加企業ではなく、宿敵である加奈子と。
「社長。気分転換に、少し見て回りませんか?」
割れんばかりに歯を軋ませる徳栄の肩を叩き、緋登美がなだめるように言った。
すかさず徳栄は牙を剥く。もはや黙っていられなかった。
「何が気分転換か! だいたいにして、なんなんだこの! 猥雑な空気は!」
叫びつつ、徳栄は会場全体を示すように腕を振った。
大げさなアクションに、協賛企業のコンパニオンたちが振り向いた。みな、水着同然の露出度の高い格好だ。中には衣服の形をした布を纏わせているブースもあるが、それでもわざとらしいくらいに短いスカートやホットパンツである。
「あの肌色はなんの宣伝になっていると言うのだ!」
まったくもって嘆かわしいとばかりに徳栄が殊更に声を大にする。
しかし、コンパニオンたちは契約企業のために閲覧客の目を引こうと奮闘しているに過ぎない。徳栄の叫びなど、どこ吹く風といった様子である。
――いや、さすがに無言の圧力はあったらしい。
緋登美がコンパニオンたちに向けて丁寧に腰を折っていた。
「なにが問題なんですか。一般の方もお越しになっているエキスポなんですよ? コンパニオンは必須ですよ」
対して、徳栄は声を低めない。むしろ強く張ろうとしている感すらある。
「本気で言っているのか柳川緋登美! I&Sのエキスポだぞ!? どうせコンパニオンを並べるなら、ゴーレムを模したロボットにAIでも積めばいいではないか! 水着の女を並べて誰がよろこぶと言うんだ!!」
その遠吠えには、
次の瞬間、緋登美の堪忍袋が爆発、炎上した。
「一般の方に決まってるじゃないですか! ロボットと! 格闘ですよ!? 会議でなんども説明を受けておられましたよね!? 大会観覧者の七〇%は二十代から四十代までの男性なんですよ!? エキスポで想定するターダゲット層だって同じになるでしょう!? ロボットコンパニオンなんてメカメカしいものより、お姉ちゃんの肌色の方がウケがいいんですよ!」
「ぬぅ!?」
まさか緋登美から反論があるとは思っていなかったのか、徳栄が一歩後退する。けれど、分かりやすい肌色攻勢にそのまま屈する男でもない。
「俺は興味がないぞ柳川緋登美!!」
歓声を上げかけた野次馬たちが、一拍の間を置き、「ん?」と一斉に首をひねった。次は緋登美の番だばかりに、視線が集まる。
緋登美は、握りしめた両拳を腰に当て、深く息を吸い込んだ。
「社長の趣味なんて知ったこっちゃねーんですよ!!」
それはまさに怒号だった。フラッシュ代わりのライトが光り、シャッター音が連続する。にわかに喧騒が広がり、数人のコンパニオンが担当者を呼びに姿を消した。
また、呼ばれるまでもなく顔を覗かせる者もいれば、ネタを見つけたとばかりに駆けてくる者まで現れ始める。
群れを形成しだした野次馬達を徳栄が睥睨する。
「だいたい……貴様らは……貴様らはぁ!」
こちらも爆発した。ただし緋登美にではなく、自分たちを珍獣扱いする外野に向かって。
「文句があるなら直接――」
勢い振り向いたがしかし、そこで言葉を失った。
ぶつけるはずだった観衆を遮るように、一人の老紳士が立っていた。老いてなお精悍な顔つき。他を圧倒する威圧感を全身から滲ませ、同時に、驚くほど徳栄とよく似た気配をもつ紳士である。
「――直接顔を会わせるのは久しぶりだな、徳栄」
永和グループ総帥、永見川成徳は、長年の激務を感じさせない威容を保っていた。
成徳は口を噤む徳栄に僅かに頬を緩めた。すいと手を払う。隠れるようにしてついていた黒服たちが野次馬を散らす。
満足そうに顎ひげを一撫でして、成徳は言った。
「電話を寄こせと言ったはずだがな?」
徳栄は気を抜けば笑いだしそうな膝を踏ん張り、胸を張った。
「招待した覚えはないぞ! 成徳!」
その暴言とも取れる発言に、緋登美が「社長!?」と目を丸くした。
すかさず成徳が手の平を広げ見せ、続くであろう緋登美の言葉を押し止める。
「いいんだ。柳川くんには言っていなかったかもしれないが――」
「成徳が父親と思うなと言っているからなぁ!」
首を伸ばした徳栄は、牙を剥き出し成徳を睨んだ。緋登美が顔を青ざめ成徳を見る。
永和グループ総帥は、動じることなく片笑みを浮かべていた。
「相変わらずよく吠えるな、徳栄」
「知らんのか? 成徳。吠え方を忘れた狼は飢えて死ぬのだぞ」
「狼とはな」
破顔した成徳ではあるが、眼光は一切揺らいでいない。
「狼がどういうときに遠吠えするのか、よく調べておくといい。お前に相応しい話だ」
「老人の話に付き合ってやっているというのに、ねぎらいの言葉も言えんのか? 成徳」
「徳栄は主催者の一人だろう? それが招待客への態度か?」
「もう一度いう! 俺は、成徳を招待した記憶などない!」
事実、スティール・フィランソロピーには望むだけの招待チケットを用意すると言われていたが、徳栄は誰にも声をかけなかった。
もちろん、最初から声をかける相手がいないというのもあるが、群れたがるのは弱者だけだという持論もあった。身内を含めた共感を示す仲間だけを集めて悦に入るのは、性に合わないと考えていたのだ。
瞑目した成徳は全てわかっているとばかりに穏やかな頷きを繰り返す。
「私に招待状を送ってきたのはスティール・フィランソロピーだ」
「では俺の客ではないではないか!」
「永和ロボティクスの客でもあるのだがな? 客をえり好みする前に――いや、そんなこと、いまはどうでもいいな。私は、今日が見本市のハイライトだと聞いてな」
「……今日、この俺、永見川徳栄のビッグマネーが! スティール・フィランソロピーのゴーレムを叩き潰すからなぁ! それを見せたいとは変わった――」
言い切るより早く、成徳が鼻を鳴らした。
「安心しろ。くだらない子供のお遊びでどちらが勝とうが、私にはどうでもいい」
「ならば……」
徳栄は両の拳を痛みを感じるほど固く握りしめた。
「ならばなぜ来た! 成徳!」
「知れたこと。取峰からも色々と報告を受けていたからだ」
「取峰浩二だとぉ?」
脳裏に過る、敵愾心をむき出しにする男の姿。取峰はあれで副社長として任された永和ロボティクスの仕事を楽しんでいるようにも思えていたが、やはりお目付け役としての役割の方が優先順位が高いのだろうか。
しかし、わざわざ多大な責任を与えられているエキスポの話を、成徳に報告する意味が分からない。監視役として仕事をこなせていないと自ら証明しても得はないはずだ。
戸惑いを見透かすかのように成徳が小さく顎をしゃくる。
「部下の仕事にもっと目を光らせるんだな、徳栄。そのうちに足元をすくわれるぞ」
「言われずとも!」
「口ばかりではないか。吠えるなら、群れを率いるようになってからにしろ。はぐれてしまった狼は、いずれ飢えて死ぬぞ。私としても同じ血を引く人間がそうなるのを見るのは辛い」
言いつつ、成徳はもう聞きたくないとばかりに、徳栄の眼前に手をかざす。射抜くような眼光を緩めて緋登美に向けた。ほんの微かに疲労の色が見てとれる。
「では、引き続き、徳栄をお願いします」
成徳が、緋登美に頭を下げた。
緋登美は大慌てで両手を振った。
「いえそんな! こ、こちらこそ! よろしくお願いします!!」
まるで家臣にでもなったかのような緋登美の最敬礼を横目に、徳栄が鼻を鳴らす。
「柳川緋登美! 成徳ごときに卑屈に――」
言い切るより早く、成徳が「徳栄」と名を呼んだ。重い声音は明らかに圧力をかけてきている。たちまち緋登美の顔が生気を失っていく。
だが、徳栄は引く気配すら見せなかった。
「いまに見ていろ成徳。この永見川徳栄とゴーレムが、いずれお前を追い落とす」
「無駄金かけた玩具がか。そんな夢のような日がくるといいな。楽しみにしていよう」
成徳は射貫くような視線を徳栄に送り、すぐに肩越しに背後を見やった。いつの間にやら近づいてきていた黒服の一人から耳打ちを受ける。頷きだけで返すと、それ以上は何も言わずに、緋登美に目礼して背を向けた。
遠ざかっていく背に、緋登美が深く頭を下げていた
徳栄は直立不動のまま、成徳を見送った。何か一言つけくわえてやりたかったのだが、先ほどの『狼はどうして吼えるか知っているか?』という言葉がそれを押さえ込まれていたのだ。
狼が吼える理由など、調べるまでもなく、知っている。
悲しみに暮れているとき、寂しさを紛らわすとき、そして――、
獲物を噛み殺すときだ。
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