5話
古ぼけた緑色のアルミ扉に『会議室』と書かれた看板がかかっている。ミミズがのたくったような字体は加奈子との手による。
中央に置かれた年季の入った長机と、ところどころ赤錆の浮いたスチール製の棚。棚に差されている膨大なファイル群は、すべてゴーレムにまつわる資料である。ただし、ゴーレムの大小・新旧はごちゃ混ぜ状態だ。
会議室と呼ぶには狭苦しい空間だが、仙波工業ロボット開発部『第ゼロ会議室』もまた、徳栄にとって思い出の場所である。
幼い頃、初めて加奈子に敗北してから新製品を投入するも三度の連敗を重ねて、徳栄は恥をしのび敵情視察に訪れた。そのとき通されたのが、この部屋だ。
当時は物置同然だった。小さな躰で椅子によじ登った加奈子がいて、銅線を金属棒に巻き付けていた。モーターコイルの巻き直しをしていたのだ。
既製品で大パワーのモノを買い集めるしかなかった当時の徳栄にとって、それはとんでもないチート行為のように見えた。
一度も口にしたことはないが、怒りと同時にほんの少しの憧れも抱いたものだ。
徳栄は、先程の加奈子の態度に、茫漠とした不安を感じていた。どうにも落ち着かない。何かないかと首を振り、戸棚に置かれた小さなゴーレムに話しかけてみる。
「久しぶりだな、初代・仙波マンパワー」
幼稚園で配ったゴーレムの一体だ。外見は元の素体がどうだったのか思い出せないほど改造されている。対戦を重ねるごとにインフレしていくパワーに合わせて脆いプラスチックパーツは取り払われ、まさしく鋼のボディに換装されたのだ。
衝撃吸収用のダンパーを噛ませて延長した両足は重心を下げるために常に膝が曲げられており、前傾姿勢となった躰を支えるためにブーツのつま先が異様なまでに伸長されている。
加奈子が興味ないのか塗装はされておらず、見れば見るほど武骨な色味。改めて観察してみると、この頃からすでに加奈子のロボット開発に置ける基本思想は固まっているとみえる。
徳栄は自分の社長室に置かれているビッグマネー群を思い出し、笑んだ。仙波マンパワーも負けず劣らず古ぼけているが、メンテナンスは十分で小綺麗だった。
「ほら、仙波マンパワー、ご挨拶は?」
ふいに背後から加奈子の声がした。徳栄が慌てて振り向く。
「仙波加奈子! いつからそこに!」
と、同時に。
かしょん、と懐かしくも間の抜けた動作音が聞こえた。戸棚に置かれた仙波マンパワーがいつの間にか直立し、お辞儀をしている。
「……仙波加奈子」
「なに?」
「こんな機能、前に来たとき、付いていたか?」
「どうだったかなー? この前って、いつだったっけ?」
「……仙波加奈子、暇なのか?」
徳栄が訝しげに尋ねると、加奈子は呆気に取られたような顔をした。
ボイスオーダーの実行を終えた初代・仙波マンパワーが、慎重に元の姿勢に戻っていく。中腰になると同時に、単眼のような小型カメラの通電を示す赤色LEDが光を消す。
笑顔を引きつらせた加奈子のこめかみに、青筋が浮かんでいた。
「暇じゃないっての! 今日だってホントは全然暇じゃない! どうせ徳栄が来るだろうと思ったからココにいたんだって!!」
「ぬぅ!?」突然の爆発に驚いた徳栄は、しかし、
「ふははは! 俺を待つとは殊勝な心掛けではないか仙波加奈子!」
ようやく宿敵がなじみ深い態度を見せてくれたと、徳栄は晴れ晴れとした顔で吠えた。こうでなくては仙波加奈子らしからぬ。いまは昔のあの日から、落ち込んでいてもいいのは負けた瞬間だけだと、ふたりの間で暗黙のルールとなっているはずだった。
しかし、徳栄の期待に反して、加奈子は細いため息をついた。
「まぁいいわ。とりあえず座って」
「ふは……は?」
またしても。またしても異常な態度である。
何か声をかけるべきだろうかとガラにもない対応を思案しつつ、徳栄はお気に入りのパイプ椅子に腰を下ろした。対面で片肘をつく加奈子は、高校に進学すると告げてきた日のような遠い目をしていた。
「――どう」と、徳栄が口を開きかけたところで、
「いや、お待たせしました! お茶をお持ちしましたよ、永見川社長」
仙波工業ロボット開発部の技術主任を務める佐伯智仁が茶盆を持ってきた。
徳栄は開いてしまった口を一旦閉じると、すぐさまに声を張った。
「ふはは! 久しぶりだな佐伯智仁! 元気にしていたか!?」
「久しぶりって、昨日も会ったじゃないですか」
佐伯の苦笑交じりの返答に、加奈子が失笑する。
「ありがとうございます……って、緋登美さんは?」
「それなんですが、見せたい資料があるらしいのでこっちにも移してもらっています」
「見せたい資料ぉ?」
加奈子は頬杖を崩して、徳栄に胡乱な目を向ける。
「今度はいったい何を始めようってわけ?」
その楽しげな、いかにも悩みなどないと主張するかのような口調に、徳栄は戸惑いを覚えた。
しかし、加奈子自身がそうしようとしている限り、聞くつもりはない。加奈子が口にしないのであれば、まだ意見を求める段階には至っていないからである。
徳栄は出された手土産の羊羹をつるりと切って、口に運んだ。
「ほれは、ひりょうをひははらへるれいひほう」
「毎度言ってる気がするけどさ。せめて食べるのと話すのは分けてよ」
「ですから社長、相談前から手をつけないようにいつも言ってるじゃないですか……」
ちょうど、緋登美がタブレット端末を数台持ってきた。
徳栄は素知らぬ顔で茶をすすった。熱い。表情には出さずに舌先を噛む。
「茶は熱い内に、羊羹は乾く前に食すものだ」
「なにそれ。その言い訳は初めて聞いたかも」
加奈子は呆れたように苦笑しながら、タブレット端末を受け取った。
「で、相談って――なにこれ? エキスポ? ゴーレムの?」
「そうだ。これは是が非でも仙波加奈子に参加してもらおうと思ってな!」
「なんで私らも参加するのが前提になってんのさ」
「なに!? 参加しないと言うのか!?」
徳栄は許さんと言わんばかりに机を叩いて立ち上がる。間髪入れずに緋登美がその肩を押さえ込み、ムリヤリ着席させた。
なおも憤懣やるかたないといった様子の徳栄に、加奈子はひらひらと手を振った。
「落ちつけって。なんて顔してんのさ。参加しないとは言ってないじゃん」
「何が落ちつけだ仙波加奈子! 先方がサプライズまで用意してると言うのに!」
「だから、落ちつきなって。だいたい、サプライズがあるって言ったらサプライズにならないでしょうが。あとその泣きそうな顔もやめて」
「な、泣きそうだと!? この俺がか!?」
心外である、と徳栄は緋登美に顔を向ける。コンパクトミラーが待っていた。そこに見慣れた意志の強い瞳はなく、知らず知らずのうちに弱々しく歪んでしまった眉が映っている。
徳栄が指で眉を持ち上げていると、加奈子が「あ」と、小声を出した。
「これ、スティール・フィランソロピーが入ってるんだ」
徳栄のしょぼくれた眉根が引き締まった。
「そうだ! 米国の企業もI&S:REALに参加しようと思っているらしくてな! その先駆けだと言っていたぞ! この意味がわかるか!?」
「わからいでか、ってね。徳栄の遊び相手が増えたわけだ」
「そう――だ?」
なぜわかるのかと、聞くべきか。
徳栄が逡巡している合間に、加奈子はタブレットを叩いて忙しく目を動かし始めた。
「うわ。これ、準備期間短すぎない? 人集められるの?」
「なに? 準備期間だと?」
「はっ?」単音で疑問を呈した加奈子は、信じられないものをみるような顔をした。
「徳栄……あんた、これ、目ぇ通す前に請け負ったわけ?」
「……それが何か問題か?」
沈黙と、一拍の間があった。加奈子の目が釣り上がっていく。
「バッカじゃないの!? これ、開催が一か月後になってるよ!? いまから声かけて回っても、間に合うかどうか分かんないじゃん!」
「ぬ!? 間に合わせればいいのだろう!?」
受けて立とうじゃないかと、徳栄は緋登美に目配せする。が、
「知りませんよ、私は」
にべもなく緋登美は対応を拒否した。とはいえ、と眼鏡を押し上げる。
「――まぁ、一応、うちを通しての契約になるので、それほど大きな問題にはならないかと思いますよ。そもそも企画の提案をしてきたのはスティール・フィランソロピー側ですからね」
「……だ、そうだ! 仙波加奈子は参加するだけでいいのだぞ!」
徳栄が自信満々にそういうと、加奈子は自らのこめかみをぐりぐりと揉み始めた。空いた手の指先で机を叩きながら、資料を読み込んでいた佐伯に訊ねる。
「どう思います? 佐伯さん」
「ん~……見た限り、参加自体は特に問題なさそうですね。ただ、ウチの仙波マンパワーは整備が間に合わないかもしれませんが」
「そうじゃなくて」
「言いたいことは分かりますよ。怪しいですよね。ちょっと調べてみます」
何が怪しいと言うのかと、徳栄はずっと引っかかっていた疑問を口にした。
「臆したか仙波加奈子! これは海外企業に我が国のロボット開発能力を見せつけるチャンスではないか! これを機にI&S:REALの――」
「誰もビビっちゃいないっての! そうじゃなくて!」
加奈子がバンと机を叩いて、身を乗り出した。
「そうじゃなくて。徳栄、あんたの心配をしてんの」
「何をぅ!?」
言うに事欠いてこの俺の心配だと!?
「仙波――ぶぐっ」
続く徳栄の罵倒は、緋登美の手のひらが阻止した。
「落ち着いて下さい、社長。――加奈子さん、どういう意味ですか?」
加奈子は困ったように細いため息をつく。
「これきっと、プロレスですよ」
「プロレス……ですか?」
黙々とタブレットを操作していた佐伯が、小さく頷く。
「ありましたよ。もう告知打ってるみたいですね」
「告知って、そんな、今日話を受けたばかりで……」
呆然と呟く緋登美に、佐伯がI&S:REALエキスポの開催を謳う告知ページを見せた。主催としてスティール・フィランソロピーの名が躍り、共催には資料にもあった交渉予定の企業名がずらりと並ぶ。また、SNSを通じて、参加表明をした順にくわしく紹介されてもいる。
そして、その参加企業の中に、永和ロボティクスの名前がすでに登場していた。まだ諸々の契約が結ばれていないというのに。
「こ、こんな……こんなやり方、どう考えたって――」
わなわなと震える緋登美に、加奈子が忌々しげに言った。
「だから、プロレスなんですよ。ショービズ系が入ってる向こうの会社って、こういう見切り発車やるんですよね。他の企業にはもうずっと前に根回ししてあるのかもですけど」
「――ッ! 社長! これはいくらなんでも――」
半ば怒りすら滲ませる緋登美に、徳栄は歯を剥き出して笑ってみせた。
「ふはははは! 面白い! 面白いではないかスティール・フィランソロピー!」
徳栄の口角が吊り上がっていく。
吹けば飛ぶような企業だと思っていたが、なかなか挑発が上手い。
緋登美が顔を青ざめ、加奈子が呆れたように首を振り、佐伯が苦笑いを浮かべていた。
「この永見川徳栄を巻き込んだこと、後悔させてやるからなぁ!!」
徳栄は吼える。そして、加奈子に指を突きつける。
「仙波加奈子! いますぐ参加表明しろ! 新参者を叩き潰してくれるぞ!!」
「言われなくても。内容が内容だから、ウチを宣伝する絶好のチャンスだしね。ただ、私はこの企画、潰したりする気はないからね?」
こうして、後に永見川徳栄の人生を変える一日が決まった。
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