4話
仙波工業へと走る車の中で、緋登美は引きつったような笑顔を顔に張りつけていた。
「社長、その、先方ににもご都合があるかと思いますので……」
「そんなことはわかっているぞ、柳川緋登美!」
先ほどまでの高揚はどうしたことか、徳栄は不機嫌であった。
「ヴェルテュ・ルロワ! あの女! 本気ではないのか!?」
社長室での交渉の後、徳栄の提案をヴェルテュが断ったからである。
徳栄は遠路はるばるやってきた新たな遊び相手を、仙波加奈子にも紹介してやろうと思ったのだ。しかし『社長のいう通り、時間は限られているので』と、拒否されてしまった。
『敵と仲良くするつもりはない』ならば理解はできた。
だが、時間がないなど、徳栄には到底納得できない事由である。
とはいえ断られた以上はしかたなく、徳栄は企画書を取峰に丸投げして、予定通り仙波工業に向かうことにしたのだった。
「見ていろ柳川緋登美! この俺が、あの女を! 泣かせてやる!」
「あー……はい。期待していますね」
緋登美は心底呆れ果てたとばかりに、細く、長いため息をついた。常ならそこで会話は終わる。
怒り心頭にある徳栄は、その吐息にすら噛みついた。
「なんだ柳川緋登美! 見たくないのか!? ヴェルテュ・ルロワが! あの礼儀知らずの女が! 壊されたゴーレムを前に涙するのを! この俺の前で! 膝を折るところを!」
「お言葉ですが社長」
いい加減に頭にきたのか、緋登美の声はキンキンに冷え切っていた。
「ヴェルテュ・ルロワCEOは、礼儀をわきまえていましたよ。少なくともあの方は、ただ社長と遊びに来たわけではないのでしょう。せっかく新しい遊び相手になってくれそうな方が、遊ぶ約束をしてくれたのに、反故にされたくはないでしょう?」
「……む。なにが言いたいのだ、柳川緋登美」
「ですから、まずは加奈子さんにも、丁重にご報告しましょう」
「……だから! なにが言いたいのだ柳川緋登美!」
まったく意味が分からん、と語気を強める徳栄に、緋登美が説教を飛ばした。
「――初対面の相手に真正面からぶん殴りに行くなって言ってるんですよ! 仙波さんのところでもその調子でいくなら、私も怒りますよ!?」
「ぬ……」
徳栄はすかさず相手になってやろうと身構えた――のだが、止めた。
成徳がつけた監視役でありながら徳栄の代弁も担ってくれる緋登美だが、語調が乱れ始めたその先は、コワイのだ。
永見川成徳に言伝られるだけなら、ビデオ会議でも使って相手をしてやればいい。
しかし、本気で怒っているときの緋登美は徳栄の代弁をしなくなるし、スケジュール管理すらも放棄してしまう。もちろん緋登美を解雇して新たな秘書を寄こすよう成徳に頼む手もある。けれど、そのためには成徳に頭を下げる必要があり、それだけは我慢がならない。
なにより、厄介払いよろしく中学卒業と同時に永和ロボティクスの社長に据えられてから、今日まで、すなわち緋登美にとって社長秘書となってからの三年間、彼女は驚くほどによくやってくれていた。
それが、たとえ圧倒的な権力をもつ永和グループ総帥の命令だからだとしても、柔軟すぎるほど柔軟な考えをもつ徳栄の言葉をかみ砕き、頭の固い連中にもわかるように伝えてくれるのは、緋登美以外にいないのである。
ゆえに、永見川徳栄は、不承不承ながらも、ぷすっと息を吐きだした。
「柳川緋登美の意見も一理ある。認めようではないか」
「……アリガトウゴザイマス」
苦虫でもかみつぶしたかのような顔をして、緋登美は窓の外を指差した。
「ほら、着きましたよ、社長。私の提案、認めていただけるんですよね?」
「……見損なうな柳川緋登美! この永見川徳栄! 一度した約束を反故にするような男ではなぁい!」
徳栄は負け惜しみに聞こえてやしないか気にしつつ、停車と同時に飛び降りた。
緋登美は眉間に寄せた皺をもみほぐしつつ、運転手から手土産入りの紙袋を受け取る。
ふたりの先には、仙波工業の工場兼テスト施設兼事務所が広がっていた。
有限会社仙波工業は、創業から実に六十年を超える機械器具製造業の老舗である。
戦後まもなく自動車用エンジンパーツの開発・製造で身を立て、以後は時代に合わせて産業用ロボットの開発・製造へと生業を変えていった。
会社法改正以後は特例有限会社として業務拡大に乗り出しており、現在でもその開発能力と製品精度には一定以上の評価を得ている。
そしてなによりも。
徳栄は古ぼけた工場の外壁ではためく三本の垂れ幕を見上げた。
『祝・第一回アイアン・アンド・スティール:REAL 準優勝』
『祝・第二回アイアン・アンド・スティール:REAL 優勝』
『祝・第三回アイアン・アンド・スティール:REAL 準優勝』
第一回大会の開催が決まると真っ先に参加表明し、そのときこそ永和ロボティクスの後塵を拝するも、見事に第二回大会で優勝せしめた仙波工業ロボット開発部部長の名は、ネットを中心としたI&S:REAL愛好家の間で、大いに広まっているのだ。
曰く、『巨大資本に立ち向かう下町の星』(言うほど下町の町工場ではない)
曰く、『機械いじりが趣味の美少女
曰く、『永和のボンクラを叩きのめし隊、唯一の希望』(口だけでなくお前らも参加しろ)
いずれも第一回で徳栄が仙波マンパワーを打ち倒してから散見され始めた言説である。
その仙波加奈子へと注がれる讃辞が、徳栄の魂を赤熱させるのである。
それでこそ我が終生の宿敵である、と。
「ふははは! 語るに落ちたな仙波加奈子! 二位を誇るようになるとはなぁ!」
叫びつつ、徳栄がドガンとガラス扉を開いた。受付代わりに座っている勤続二十年になろうかという事務のおばちゃんが、来たかとばかりに顔を上げる。
「いらっしゃい。いつもより遅かったね、トクちゃん」
トクちゃんとは、まだ四歳だったころの徳栄に、おばちゃんが付けたあだ名である。
そう。徳栄の来訪は大会直後なら毎度のことであり、叫びながらの突入を予見したうえで垂れ幕を下げているのだ。
また、加奈子と徳栄が知り合ってから十三年、対戦後には、ほぼ確実に叫びながら現れるため、もはや誰も驚きはしないのである。
もっとも、一部の社員にとっては迷惑であり、また自分たちの愛娘的扱いに達しつつある加奈子を罵倒されるのは、快く思っていないようではあるが――。
おばちゃんは違う。
「加奈子ちゃんは第三製作所にいると思うよ。電話しとくから、あんまり騒がしく歩いてかないようにね?」
「ふはは! 任せておけ! この俺がこの程度のショボくれた工場で――ぬ?」
迷うものかと続けようとして、徳栄は自らの腕を掴む緋登美に気付いた。
おばちゃんに、ぺこぺこと頭を下げていた。
「ほんっっっと! いつもいつも、もうしわけありません!」言いつつ、紙袋のひとつを棚越しに手渡す。「これ、どうぞ、みなさんで召し上がってください」
おばちゃんは「大丈夫よぉ」などと応じつつ、袋を受け取る。
「トクちゃんは昔っからこうなんだから、気にしてないわよぉ。あ、これゲストキーね。それと、いつもありがとうね、緋登美さん。緋登美さんの持ってきてくれるお菓子は――」
「えぇい、まだるっこしい!」
徳栄は緋登美の手を取った。
「なにをしている柳川緋登美! 早く行くぞ!」
「あっ、ちょ、ちょっと! 社長!」
おばちゃんの愛想のいい「いってらっしゃーい」という見送りの言葉を背中で聞きつつ、徳栄はずんずんと足を進めていく。
「いつも言っているだろう! あのおばちゃんと話をしつづけると調子を狂わされるうえにむやみやたらと時間を浪費してしまうのだと! 忘れたか!」
「社長の方こそ忘れましたか? 仙波工業に着いても騒がない約束だったでしょう? 永見川徳栄は約束を反故にしないんじゃないですか? ただでさえ普段からご迷惑をおかけしているんですから、せめて出入りだけでもという私の考えは間違っていますか?」
「えぇい! 捲し立てるな! 分かっている!」
徳栄は苛立たしさ叩きつけるかのように床を蹴り、叫んだ。
「というか! ここはどこだ!」
「――はっ?」
緋登美も足を止め、辺りを見回す。
飛び散る火花、頭どころか全身を揺さぶるような音と振動。数多の産業用ロボットがせわなく蠢いている。流れるコンベア上で、何かの部材と思しきフレームが組み上げられていく。明らかに、なんらかの金属加工を行っている、生産ラインであった。
徳栄は緋登美にも声が届くように、産業ロボットの立てる騒音に負けじと叫んだ。
「相変わらず! 仙波工業の工場はどこがどう繋がっているのかわからんな!!」
仙波工業の工場は、半ば迷宮と化している。
事業拡大に伴い、増築と拡張を重ねに重ねたという経緯もあって、新人よりもベテラン職員の方が迷うとすらいわれているのだ。
もちろん、長年通いつづける徳栄も例外ではなく、訪れた際には必ず一度か二度は別の生産ラインやら増設された緊急会議室なる謎施設に、迷い込んでしまう。
しかし、いや、それゆえか、渡されたゲスト用キーカードに仕掛けがある。
「柳川緋登美! 地図だ! 地図を寄こせ!」
「えっ!? なんですか!? なんておっしゃいました!?」
「地図を見せろと言っているんだ!! 柳川緋登美!!!」
騒音に負けじとがなり立てつつ、徳栄は緋登美の首から下がるキーカード――を収めたネックストラップを引っ張った。急激な接近に「ちょちょちょ」と慌てる緋登美を無視し、カードホルダーの中から折りたたまれた紙を出す。
「なにするんですか!」
とほのかに頬を染めつつ離れた緋登美に、徳栄は紙を広げて見せる。
地図である。
抽象画じみた、へったくそな、手書きである。
緋登美は眼鏡をくいと押しあげ、しかめっ面で細々とした地図を睨む。
「……えぇと、ここは……」と首を振る。壁のプレートに第九製造棟とある。
「……こっちですね。地図、お借りしますよ」
緋登美は徳栄から地図をひったくり、伸ばされていた手を取った。
「やはりお前がいると面倒がなくていいな! 柳川緋登美!」
「はいはい、ありがとうございます。次からはちゃんと地図を見ながら歩きましょうね」
「言われんでも分かっている!」
嘘だ。すでにそう言われたのは両手の指では足りない。
そして、ため息まじりの緋登美に迷子の子供よろしく手を引かれてさらに迷うこと十五分、徳栄はようやく第三製作所の扉の前に立った。
「……なぜ仙波工業はこうも無計画な増築を重ねるんだ……」
「……私に聞かないでくださいよ。いいですか? 開けますよ?」
「うむ」徳栄はひとつ咳ばらいを入れた。「よし、開けろ! 柳川緋登美!」
「入ると同時に叫んだら、私はもう知りませんからね」
言って、ごぅん、と重い音を立てて扉が開かれた。もう知りませんからねは非常にマズい、と徳栄は叫びたい衝動をこらえた。
一区画を除いて一面にグリーンシートが広がり、生産ラインとは打って変わって規則的かつ静かな低周波音がしている。音を立てているのはカバーのかけられている工作機械群ではなく、性能試験用の様々な測定装置だろう。
徳栄は胸いっぱいに鉄と、鋼と、油の混じった空気を吸い込んだ。
「やはり、仙波工業の中でも、ここだけは特別だな」
第三製作所へと名前を変えたのは三年前からで、かつてはカナコの開発室ないしはKANAKO LABの札がかけらていた。
幼き日の徳栄は永和重工の工場に足を踏み入れることが許されておらず、初めてここに立ち入ったときは、機械を使って機械を作ると言う営為に、いたく感動したものだ。
もちろん、後に子供用玩具である『アイアン・アンド・スティール』のゴーレムは、ここで行われているように手作業によって組み上げられているわけではないと知った。しかしそれでも、徳栄にある種の憧れを抱かせるのは変わらない。
鋼の香りに浸る徳栄に、緋登美が鼻をつままんばかりの顔をして言った。
「あの、そろそろ行きませんか? 私はこの匂い、少し苦手で……」
言われてみれば金属質な甘い匂いを感じる。溶接でもしていたのか、日に晒されて温まった魚のようなオゾン臭もする。だが、
「それがいいのではないか!」
はっ、と気付いたときにはもう遅く、緋登美の眉間にバキリと皺が寄っている。
「どこがですか! 臭いですよ! なんで換気されてないんですか!? あと――」
怒鳴るなといっただろう、と続くはずだった。
しかし、盛大に鳴り始めた警報音に緋登美は首を竦める。
「な、なに!? なんですかこれ!?」
「慌てるな! 事故かもしれん!」
赤いパトランプが明滅する中、徳栄は俄かに真剣な面持ちとなった。しかし、
〝永見川警報発令! 永見川警報発令! 作業員はただちに作業を中断し、永見川徳栄の来襲に備えよ!〟
杞憂であった。
流れてきたのは聞きなれたあの声だ。工場での作業や直近三年間の試合で喉を酷使し、ややハスキーになってしまった少女の声である。
「ふはははは! 面白い趣向だな、仙波加奈子ぉぉぉぉぉ!」
警報に対抗するかのように徳栄は全力で声を響かせ、颯爽と歩きだす。呆気にとられた緋登美は怒るタイミングを逸したのか、肩を落として後ろに続く。
革靴の底が滑り防止のマットと擦れて鳴いた。
徳栄の旧友を見つめるような視線の先には、胸に穴を穿たれた仙波マンパワーが佇立している。その足元に、青色のツナギをはだけて袖を腰に結わえた、少女の背中があった。
仙波工業のロボット開発を躍進させた秀才、終生の宿敵、仙波加奈子である。
「お嬢を守れぇぇぇ!」
周囲にいた作業員たちの内、若い誰かが叫んだ。ほとんど同時に、各々ロングスパナやらT型レンチやらを手に取り、加奈子を守るようにわらわら集まっていく。
「なにしに来やがった! まだやろうってのかこの野郎!」
正面の、わざわざ溶接面を下ろしている青年が言った。
徳栄は両の拳を腰に当てる。仁王立ちだ。
「この永見川徳栄! 仙波加奈子に用があって来た!」
「うるせぇ永和のボンクラァ! お嬢はてめぇに用なんかねぇぞ!」
「こっちはあぁぁぁる! 退かぬのなら推して参るのみ! 通してもらうぞ!」
「やっろぉぉぉぉ! やぁぁぁぁってやろうじゃねぇか! お前たちぃ!」
応、と男たちが吠える。
瞬間、怒れるハスキーボイスが性能試験場に響いた。
「うぅぅぅぅっるさぁぁぁぁぁぁい!!!」
男たちの動きがピタリと止まる。青いツナギの肉壁を割り開くように白い腕がぬぅと出てきた。続いて、迷惑そうな加奈子の顔が。
「ほら
加奈子は若い作業員たちを散らしながら、徳栄に向けて小さく顎をしゃくった。応じる徳栄の不敵な笑みに苦笑し、化粧っ気のない唇の端を指さす。
「思ってたより来るの遅かったね、徳栄。昨日は、ごめん。ケガ大丈夫だった?」
「――ぬ」
予想外の加奈子のしおらしい態度に、徳栄は何を言おうとしていたのか見失う。考えてみればつかみ合いをしたことは何度もあるが、実際に拳をぶち当てられたのは初めてであった。
それが、何だと言うのだ。
徳栄は唇の端を撫でさすり、獣のような笑みを浮かべた。
「あの程度の拳がぁ! この俺に効くわけがないだろうがぁ!」
「……そっか。よかった。ちょっと昨日はどうかしてた。ほんとごめん」
「――ぬぅ?」
第二弾となる殊勝にすぎる態度に、徳栄の思考能力は完全に喪失した。立ち尽くす徳栄の脇をすり抜け、てててと緋登美が前に出る。
「先日は失礼いたしました、仙波部長」
誰もが思わず微笑み返してしまうような緋登美の笑顔。もちろん、手土産を手渡すのも忘れない。
「これ、みなさんのお口に合うといいのですが……」
「あ、いつもありがとうございます。あと、いつも言ってますけど、加奈子でいいですよ」
「いえぇ、せめてご挨拶のときくらいは……」
「堅苦しいなぁ。もう何年も来てるんですから、ほんとに気にしなくていいですよ」
加奈子はもらった土産を作業員の一人に流し渡す。
「誰か佐伯さん呼んできて? 徳栄が来たって。それと、休憩にしよう」
「でも、お嬢」
声をかけられた作業員が、立ち尽くす徳栄と仙波マンパワーに穿たれた穴を見比べる。
加奈子はその肩をポンと叩いた。
「いいのいいの。終ったことだし、先に手ぇ出したのはこっちだしね。早く佐伯さん呼んであげてよ。きっと今頃、書類仕事で糖分不足だ」
「むぐぐ……お嬢がそういうなら仕方ねぇ……了解です!」
首を左右に捻りながら走り去る作業員にひらひらと手を振り、加奈子は首を振った。
徳栄は、まだ呆然と突っ立っていた。
加奈子の様子が、あまりに、あまりに穏やかに過ぎたのである。
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