3話

 永和ロボティクス社長室に入ってすぐ目に入ってくるのは、重厚な机や緋登美が趣味で持ち込んだサイフォン――ではなく。壁棚に並べられた黄金色の小型二足歩行ロボット群、『旧ビッグマネー』シリーズである。

 普段ならば徳栄は入るなり人形群を眺めてアイディアを練るのだが、今日は先約がいた。

 

 輝くような長い金髪を垂らした背の低い少女が、棚に手をかけ、じっくりと見入っている。その仕草と外見、白いワンピースにクリーム色のジャケットという出で立ちが相まって、場所が場所なら遊んでいるか、あるいは見学に来ている小学生と見紛っただろう。

 だが、仮にも、永和ロボティクス社長室である。


「フハハハ! どうだ! 見事だろう!」

「――ちょっ! 社長!」


 慌てて緋登美が引き留めようとした。しかし、ギリギリのところで手が空を切る。

 徳栄は誇らしげに胸を張った。


「それはこの俺! 永見川徳栄の! 終生の宿敵、仙波加奈子との闘いの記録なのだ!!」


 大げさな身振り手振りもそのはず、徳栄は自身のゴーレムコレクションを見つめる子どもの姿にテンションがあがりすぎ、臨界点を突破していたのだ。

 というのも、並べられているビッグマネー群は、勝者となった個体以外にも、一部には特殊なアイデアを実現したものがあるのだ。


 言い換えれば、徳栄にとって社長室に安置されるビッグマネーたちは、幼稚園からの因縁となる仙波加奈子と過ごした日々の思い出だ。

 その数は社長室に置かれているものだけでも優に三十体を超え、倉庫や自宅を含めれば百すら軽く上回る。それらに魅入る子どもに悪はいない。

 なぜなら、それを作った自身が悪人ではないから。


 徳栄は本気でそう思っていた。

 だからこそ、仙波加奈子に通算百三十勝している徳栄は、振り返ろうともしないスティール・フィランソロピー現CEOの小さな背中に、もう一度大声で呼びかけた。


「どうだ! 素晴らしいだろう! I&Sの歴史は! この俺! 永見川徳栄の歴史と言っても過言ではなぁい!」

「――ちょ、社長! 失礼ですよ!」


 と、すかさず緋登美が小声で注意をうながす。が、その程度で止まるようなら、永和グループをいつか討ち果たすと(勝手に)決めている徳栄ではない。

 では止めるのは?


「ええ、存じ上げています。永見川社長」


 振り向いた少女は、美しく整った顔にはそぐわないようにも思える、石膏像のような固着した微笑みを湛えていた。


「私は、Steel Philanthropy Inc. CEO――」


 少女はそこで言葉を切り、んんっ、と咳ばらいをする。


「ヴェルテュ。ヴェルテュ・ルロワです。日本語を勉強してきてよかった。お会いできるのを楽しみにしていました」

「ふむ――」


 唇の両端を吊りあげた徳栄は、緋登美の制止を振り切り、ヴェルテュの差しだした手をがっしりと握り返す。


「舌を噛みそうな名前だな! ヴェルテュ・ルロワ! 要件を聞こうじゃないか! 具体的かつ手短になぁ!」

「社長! いい加減にしてください!」


 言いつつ、緋登美は徳栄の手を引きはがし、口角を引きつらせて営業スマイルをつくる。


「まことに失礼をいたしました。私、秘書をつとめておりま――」


 すい、と突き出されたヴェルテュの生白い手の平に、緋登美は口を噤んだ。


「構いません」ヴェルテュは言う。「予定を繰り上げたのは私の方ですからね」

「ですが」

「構わない、と言っています。それに、私としても話は早い方が助かるのです」


 言うや否や、ヴェルテュは応接テーブルに歩み寄っていく。

 その意気やよし、とばかりに徳栄は呆然と立ち尽くす緋登美を置いて、大股で歩いてヴェルテュを追い越し、ソファーに腰を下ろした。

 ヴェルテュは眼光鋭く徳栄を一瞥し、メタルケースからクリップ止めの書類を出す。


「これがご相談したい話です」


 徳栄は「ふん」と鼻を鳴らして、書類を引ったくる。


「――『アイアン・アンド・スティール:REAL 日米合同ロボット展』だと?」


 右肩に社外秘を意味する赤いスタンプが押されている表紙には、そう書かれていた。

 共同開催を望んでいる、ということだろうか。

 しかし、I&S:REALは、いまのところ日本の企業しか参加していない。つまり、誘うまでもなく、スティール・フィランソロピーは大会に――、


「いずれは参加したい、と考えています」


 ヴェルテュは柔らかな笑みを浮かべて、徳栄の思考を見透かすかのように言った。同じ資料を緋登美にも手渡しながら、軽い調子で続ける。


「――ただ、その前に日本の企業にも我々が作っているものを知ってもらいたい。またできれば他の参加企業とも技術交流を図りたいと考えているのです」

「それは――」と徳栄が口を開きかけると、それに先んじて「素晴らしい提案ですね」と緋登美が継いだ。


「ですが、こちらを見る限りでは、アメリカから参加されるのはスティール・フィランソロピー一社のようですが?」

「Yes. 今回、参加させていただくのは私たちだけです。実のところ、現時点で、我が国の企業は、I&S:REALに市場価値を見いだせていません」

「では、どうしてこのようなご提案を?」

「それは――」

「ふはは! 決まっているだろう柳川緋登美!」


 意に反して黙らされていた徳栄は、ここぞとばかりに叫んだ。


「ヴェルテュ・ルロワは誰よりも早く俺に接触したかったからだ!」

「…………ああー……社長? もう少し私にもわかるように説明していただけけますか?」


 緋登美は呆れたように眼鏡を押しあげ、目頭を指で揉む。

 ヴェルテュは緋登美と徳栄を交互に見て、クスリと頬を緩めた。


「簡潔に言えば、私は、わが国で先駆者パイオニアになりたいと考えているんです」

「先駆者、ですか?」

「はい。誰よりも早く手をつければ、誰よりも多くの収穫を得られる。これは文化圏が変わっても変わらない、ただひとつの摂理でしょう?」

「それは……たしかに、そうでしょうが……」


 緋登美が言い淀む。なにかが引っかかっているのだろう。

 それは徳栄も同じだった。知ったような口を聞く、とさえ思っていた。このタイミングで、誰よりも早く接触したかった理由など、ひとつしかない。

 徳栄は渡された資料を応接テーブルに投げ置いた。


「はっきりと言ったらどうだ! ヴェルテュ・ルロワ!」 

「はっ!? ちょ、社長!?」


 緋登美が慌てふためき、ヴェルテュの眼光が鋭さを増す。

 しかし、徳栄はふたりに構わない。頓着しない。なぜならば、


「第三回I&S:REAL優勝者である! この! 永見川徳栄に! 挑戦したいと言うのだろう!? ヴェルテュ・ルロワ!」

「はぁ? 社長、なにをおっしゃって――」


 間の抜けた緋登美の発言を遮るように、ヴェルテュの手が伸びる。


Absolutelyまさしく」ヴェルテュは真っ赤な舌をちろりと出して、下唇を湿らせる。


「我が国の企業がI&S:REALに参加する、その先達として、私が第三回Champion王者のあなたに挑戦する。もちろん、Exhibitionおためしとして。どうですか?」

「エキシビジョンだと? 俺は公式戦でも全く構わんのだがな?」

Regulationやくそくに完全に沿うように、いま調整をしている段階なのです」


 言って、ヴェルテュは資料を数ページまとめてめくった。

 緋登美も同じように資料を開き、「えっ?」と微かな疑問を声にした。

 ヴェルテュの開いたページには、『I&S:REAL』第三大会のレギュレーションが書かれていた。が、広報用に公開されている資料ではなく、部外秘として用意されているはずの内部資料である。


「これは……いったい、どこから……」

「知れたことだ、柳川緋登美。コレを配ったのは参加企業だけだからな」


 おおかた公開資料との相違点を見つけて交渉材料にしようとしたのだろうが、甘い。

 公開されたレギュレーションとの相違点は、一箇所しかない。それも参加企業の多くにとってはどうでもよく、徳栄ともう一人くらいしか気にしないであろう点だ。

 すなわち、『ゴーレム』というロボットの呼称である。


 十年以上前、永和重工の技術提供を受けて玩具メーカーが販売していた『アイアン・アンド・スティール』では、音声入力で動作する格闘ロボットをゴーレムと呼んでいた。名前の出典をどこに求めるかはともかく、その名称を用いた理由は、『製作者の命令にのみ忠実にしたがう』ロボットだからだったという。


 ゴーレム自体は会話能力を付与されていないが、幼き日の徳栄にとっては大事な友だちの一人でもあった。そのため、永和ロボティクスの社長という地位を与えられ、『アイアン・アンド・スティール』に『REAL』を加えて巨大ロボットの格闘という形で復刻した際に、絶対に譲れない箇所だったのである。


 もちろん、格闘ロボットをどう呼称しようが性能は変わらない。やることも、開発内容も変わらない。ただ自分たちが作るロボットをどう呼ぶべきかという意味しかないのだ。

 そのため、参加表明したほぼすべての企業が、自社ホームページでロボットを紹介しているくだりでは『ゴーレム』という呼称を使用していないのだ。


 ――永和ロボティクスと、仙波工業ロボット開発部を除いては。

 そうだ、と徳栄は喜び勇んで顔を上げた。資料の確認は後からでも構わない。仙波加奈子にもこの話を伝えなくては。


「ヴェルテュ・ルロワ。その提案、受け入れよう」

「えっ!?」


 緋登美が、まだなんの話も詰めていない、と言わんばかりに頓狂な声をあげた。

 その間にも、ヴェルテュは嬉しそうに長いまつ毛を瞬かせ、徳栄に手を差しだしていた。


「ありがとうございます。永見川社長は即断即決とは聞いていましたが本当にSpeedyですね」

「うむ。時間は常に流れ、止まらんからな。足を止めれば置いて行かれてしまうのだ」


 徳栄は差し出された手を見、しかし握ることはなく、緋登美に視線を滑らせた。


「俺が教育係に教えられた言葉だ。いい言葉だろう?」

「え、えっと……」


 とうとつに身の上話を振られた緋登美は、言葉をつまらせた。

 しかし、すぐに気を取り直したのか、徳栄の代わりに宙に浮いたままとなっていたヴェルテュの手を取った。


「では、大筋としては賛同するという形で、私どもの方でお預かりした資料を検討させていただきます。検討結果のご報告につきましては、弊社営業企画部、ならびに法務部を通して、おってご連絡させていただきます」

「ヨロシク。お願いします」


 ヴェルテュはたどたどしく、はにかむように言って、緋登美と握手を交わした。

 瞬間、緋登美が顔をしかめた。ふたりの手が離れたとき、緋登美の手には薄っすらと白い跡が残っていた。

 横目でそれを目にした徳栄の笑みが、凶暴さを増す。徳栄自身にするならまだしも、腹いせに部下に敵意を向けるのは頂けない。

 宣戦布告だと受け取ろう、と徳栄はガンと床を蹴りつけた。


「I&S:REALのエキスポ、エキシビジョンマッチ! 楽しみにしているぞ! この永見川徳栄の『ビッグマネー』が! ヴェルテュ・ルロワのゴーレムを、叩き潰してくれるわ!」


 そして、ふははは、といつものように高笑いする。

 居ても立ってもいられないほど血沸き肉躍るのは、あの日以来であった。

 はるか昔、幼稚園で、仙波加奈子に敗北した、あの日だ。


 実に十三年ぶりに現れた、徳栄にとってふたり目となる、遊び相手だ。全力で叩き潰したくなり、また全力で叩き潰しにきてくれるであろうニューカマーの登場である。

 ゆえに徳栄は睨みつけてくるようなヴェルテュの黒い瞳に、凶暴かつ獰猛な笑みをもって応じた。


 こうなれば最早のんびりしてなどいられない。

 はやく、仙波加奈子に知らせてやらねば。

 時間は常に流れて、止まらないのだ。

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