2話
翌日。永和ロボティクスに向かう車中にて。
徳栄の傍らでタブレットを操作していた緋登美の顔が、ふいに歪んだ。
「社長。先日の件ですが……まずいことになっているようですよ?」
「もってまわった言いかたはやめろと、いつも言っているだろう。柳川緋登美」
間髪入れずにそう答え、徳栄は唇の端に貼られたバンドエイドを撫でた。喋った拍子に痛みが走り、手が自然と伸びたのである。『I&S:REAL』の表彰式直前に食らった仙波加奈子の右ストレート。あれはいいパンチだった。
ニヤリと唇の端を吊りあげ、新たに走った痛みに眉を寄せる。
「それで? なにがどう、まずいというのだ、柳川緋登美」
「……わが社の広報用アカウントが大炎上しています」
「ふむ?」
徳栄は身を乗りだし、タブレットを覗き込んだ。
広報部アカウントの主催大会優勝を伝えるコメントに、いくつかの投げやりな賞賛がついている。おそらく自社の人間か、取引先の何某か、そういった連中だろう。その他の大多数のコメントは、永和ロボティクスへの怨嗟に満ちていた。
曰く、『武器は反則だろ』だの『場外乱闘するクズ』だの『暴行傷害社長』だの『社長に頭下げさせろ』『社長解任しろ』『自分で開いた大会じゃん』『仙波がんばれ』……。
薄く笑った徳栄は嘲笑するかのように鼻を鳴らした。
「いつものことではないか。なにがまずい」
「……前回は仙波工業が優勝していますからね。その影響が大きいようです」
「だから、わかるように言えと、言っているのだ。柳川緋登美」
緋登美は眼鏡を外して目頭を押さえ、首を左右に振った。
「では、こちらの動画を」
言いつつ画面に指を滑らせる。ウェブに公開されている大会公式動画だ。
寄せられたコメントのほぼ全てが仙波工業の加奈子を応援するもので、残りは永和ロボティクスに対する誹謗中傷となっている。
また、緋登美が次々と見せる非公式の動画も、すべて加奈子を主人公に打倒永和ロボティクス希望の星へと祭りあげるかのように再編集されている。
「おわかりになられます?」
あなたは
世間的には、資金にものをいわせて戦う永和ロボティクスの徳栄は悪であり、大企業の横暴に屈することなく技術力で戦う仙波工業の加奈子が善となっているのだ。
徳栄は冷めた目でそれを見やって哄笑した。
「無様だな仙波加奈子! 前回大会の優勝よりも大きく扱われているではないか!」
「あの、社長!? 僭越ながら、笑いごとではすまないと思うのですが?」
「これが笑いごとでなくてなんだ? 株価は見たか? どうせいくらも下がらんのだ! なんせ文句を言っている愚民どもは、俺の会社の株を買う金など持っていないだろうからなぁ!」
口をつぐんだ緋登美は、呆れ眼でタブレットを操作する。表示された株価は――。
「微減ですね」
「ただの平時変動だ。優勝してるからな。じきに戻すに決まってる」
緋登美は小さく舌打ちした。自信満々に言われたのが腹に据えかねたらしい。しかし、すぐに気を取り直し、画面の端に表示されていたメールを開く。送り主は
緋登美はメールの内容を流し読むと、鼻でため息をついた。
「社長。そうは仰いますが、わが社のビッグマネーが自社製品をひとつも使っていないのは、やはり問題があるのでは? 取峰副社長から苦情がきていますよ?」
「取峰浩二だぁ? やとわれの副社長が偉そうに! 言わせておけ! なにがロボット開発部だバカめ! 他所から買った方が早かったではないか!」
言いつつ、徳栄は頭に叩き込んであるビッグマネーのスペックを思い返す。
先日の大会で繰り出した六億五千万円パンチは、開発が間に合えば、そしてまた製品性能が他社競合品より高かったのなら、永和ロボティクス謹製のパーツを使う予定もあった。
もっとも、永和ロボティクスの開発能力自体はさほど高くはないため、そこまで期待もしていなかった。なにしろ徳栄は勝利にこだわる男。試合に勝てるなら、自社製品にこだわる意味などないと考えていたのだ。
しかし、取峰は自社製品の使用に固執した。徳栄の要求するスペックに到達しようと、余計な努力を始めてしまったのである。開発費は瞬く間に膨れあがり、計画は遅れ始め、最終的には、他社製品の購入と動作プログラムの外注をした方が費用も安く収まり仕上がりも早くなる、という試算が成り立つに至り、徳栄は開発計画を破棄した。
『ゴーレムは音声認識によって動作させなければならない』という大会規約にしたがう以上、操縦者の動作確認――つまりは練習期間が取れる方がいいに決まっている。
チャンスは与えた。
応えられなかったのは、取峰だ。
ただ、それだけのことである。
「取峰浩二の文句はどうでもいい。今日の予定は? 仙波に行く時間はあるな?」
「それなんですが、社長」緋登美が眉をひそめてタブレットを操作した。「残念ながら、先日ご相談のあった米スティール・フィランソロピーCEOとの会食が前倒しになります」
「前倒しだとぉ?」
徳栄の眉間に深い皺が刻まれる。数日前に受けた話では、夕食がてらに相談、という予定だったはずだ。まして、I&S:REALで勝利したばかりである。
会食前に仙波工業に赴き、仙波加奈子の涙を食前酒の代わりに、と考えていたのだが。
徳栄は苛立たしげに歯を軋ませた。
「そもそも奴らは、なんの理由があって俺の会社にコンタクトを取ろうとしてるんだ?」
「それがわかっていれば対応もあったのでしょうが。断る理由はございますか?」
「あぁぁぁる!!! 仙波――」
「加奈子さん以外でお願いします。仙波工業はしばらく動きませんが、こちらは――」
「機会を逃せば次は遠い、か……えぇい! わかった!」
話を持ちかけてきたスティール・フィランソロピーは、自律型ロボット開発を生業とする新興企業である。まだまだ経営規模自体は小さいが、近年、なにかと世間を賑わせている。
その理由はCEOの年齢だ。
なんと、十五歳の天才少女が務めているという。
徳栄にしてみても十八で永和ロボティクスの社長に座る身である。親近感を覚えなかったと言えば嘘になる。それに、もうひとつ別の理由もあった。
天才少女ヴェルテュ・ルロワは、『I&S:REAL』に興味があるという。そうなれば、言わずもがなである。
引き込みたい。引き込んで、徳栄自身の手で、高いであろう鼻っ柱をへし折り、泣きべそかかせて、本国に叩き返してやりたい。
そう願わずには、いられなかったのである。
徳栄は獰猛な笑みを浮かべ、絆創膏を引きはがした。
「……どういう相談かは知らないが、聞いてやろうではないか!」
「お願いします。もっとも、社長に拒否権はございませんが」
「拒否権がないとは大きく出たな柳川緋登美! 秘書の分際で!」
すでに興奮しきっているのか、徳栄は声を荒らげる。
対して、緋登美はまるっきり冷めた目で答えた。
「こちらの件につきましては、お父さまのご命令でもあるので」
「……永見川
徳栄は怒りに任せて前方座席の背を蹴りつけた。運転席の背板に仕込まれたクッションが足を優しく受け止める。ドライバーも慣れた様子で、運転を乱したりはしない。
それらが却って、徳栄の逆鱗を撫でまわす。
「成徳め……いまに追い落としやるからなぁ!」
父の、あの憎き男の顔が脳裏を過ぎる。
――永見川成徳。
永見川徳栄の父を自称する者であり、また永和グループの総帥である。早逝した先代に代わって経営指揮を執り、一代で永和重工を時価総額四兆円の大企業へと導いてみせた怪物。現在では経営の第一線から身を退いており、最終的な意思決定のみを行っている。
「あまり大きな声でそのようなことをおっしゃっていますと、いまに永和ロボティクスの代表から降ろされてしまうかもしれませんよ?」
緋登美は人差し指を伸ばして眼鏡を押し上げた。
早い段階で最前線からは身を退いたというだけで、成徳はまだまだ現役のグループ最高責任者である。ありえない話ではない。
まして、若い永和ロボティクス自体は、将来的に永和グループの基幹産業にもなりうるポテンシャルがある。そのとき邪魔になるのは、なにかにつけて反発する徳栄だ。
しかし、と徳栄は緋登美の指摘を笑い飛ばした。
「はっ! やれるもんならやってみろ! というやつだ! 柳川緋登美! 成徳は遺言にだけは逆らわんからな! 俺を解任できるはずがない!」
永見川成徳は、先代が残した遺言に逆らいはしない。
『徳栄を自由にさせる限りにおいては、成徳に家業の全てを任す。ただし、徳栄の自由を奪うようなら、即座に成徳は家業より手を引くこと』
それが祖父・永見川
状況、内容ともに荒唐無稽にも感じられ、法的拘束力を伴うような言葉とは思えない。
しかしなぜか、永見川成徳は遺言を律義に守っている。
それも、愚直なまでに。
徳栄は唇の端を吊りあげる。
「やれるものならやってみろ……だ」
その傍らで、緋登美は深くため息をついた。
窓の外には、すでに永和ロボティクスの敷地が広がっていた。
建造したロボットのテストフィールドを兼ねる製作所の壁面には、真っ赤な明朝体の『祝』も眩しい『I&S:REAL 第三回大会 優勝』と書かれた垂れ幕が下がっている。
だが、よく見ると、『三』のところだけ布が真新しい。どうやら第一回大会の垂れ幕を流用したもののようだ。
「……さすがに腹立たしい垂れ幕ですね。文句を言っておきます」
「フハハ! 辛辣だな、柳川緋登美! 嫌なら止めればいいというのにな!」
徳栄の返答に、緋登美は諦めたように鼻を鳴らした。
「なんだ!? どうした柳川緋登美! 面白いものでもみつけたのか!?」
「いえ。社長は大したものだと思っただけですよ」
「いまさらだな! 行くぞ! 次回大会に向けたプランを立てなくてはな!」
言って、徳栄は車を降りた。社内に入ると同時に感じる強い不満を示す視線。それを向けているのは永和ロボティクスの社員たち――とりわけ、名目だけと化しつつある開発部と、間接的に営業機会を逃した営業部である。
「いい気なもんだよ、ウチの製品一個もつかわねぇで」
誰かが小声で言った。しかし誰も咎めない。そしてまた、徳栄自身も気にもとめない。
大会優勝を果たしたとは思えない冷ややかな空気の社内を我が物顔で――実際にわがものではあるが――闊歩し社長室に向かうと、扉の前で副社長の取峰が待っていた。
「おはようございます。永見川社長」
口調は普通。だが、いまにも殴りかかってきそうな気配を伴っている。
徳栄は唇の両端を吊り上げて「フハハハ! 朝から酷い顔をしているぞ取峰浩二!」と部下を煽った。
かと思うとすぐにその肩を叩き、言った。
「次回大会のプランを立てるぞ取峰浩二! 次こそは他社に負けない製品を――」
「お言葉ですが社長――」
取峰は徳栄の提案を遮った。
「スティール・フィランソロピーのCEOがお待ちです。先に社長室に通しておきました」
「ぬ。そうか。ならまずはそっちだな」
徳栄は緋登美についてくるよう目配せし、取峰に尋ねた。
「お前はどうする取峰浩二。同席しておくか?」
「いえ、ありがたいお話ですが、遠慮しておきます」取峰はつまらなそうに答えた。「私は、先日の一件の、事後対応が残っていますので」
取峰は『で』の瞬間に語気を強め、憎々しげな目で徳栄を睨んだ。
徳栄は鼻を鳴らし、手を廊下に差し向ける。それなら、さっさと失せろ。そう意志を込めて。
取峰は顔貌を歪め床を蹴りつけていった。その去り行く背中を目で追いながら、緋登美が口を開いた。
「……どうやら、事態は私の把握している以上に深刻なようですね」
「放っておけ! 奴にしてみれば身からでた錆という奴だ!」
「私には社長の身から錆がでているように思えますが」
「ふはは! 無学だな柳川緋登美! 金は錆びたりせんのだぞ!?」
小さなため息を引き連れて、徳栄は少しばかり遅れての出勤を果たした。
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