第22話 妄執

 安ホテルの一室で、目立たない初老の男が携帯端末機に向かっていた。携帯を置いているやや大ぶりなクレイドルは、通信のさらなる暗号化を行う秘匿化タイプだった。携帯画面に映る通信相手の姿は『block』の文字だけ。彼の仕事の依頼人にはよくあるパターンだった。


「……で、写真データは手に入ったのかね?」


 端末から響いてくる依頼人の声に、男はかすかに眉をひそめる。ボイスチェンジャーを通しても、その横柄な語調は消えてない。仕事だ、我慢しろ、こんな事はいくらもあった。自分自身に言い聞かせ、平板な声で返事をかえす。


「それがあなたのご依頼を先読みしてた誰かがいたようでして。近所の親しかった家庭を訪ねてみたのですが、ホームサーバーがハッキングされて、該当する写真データが軒並み削除されていました」

「……ふん」

「中には娘さんが泣き出すケースもあって。ま、一般人で自分たちのホームサーバーが狙われるなど、本気で想定している方々はほとんど居りませんからなぁ」

「写真データは手に入らなかった。それが結論かね?」


 『言い訳は要らない』といった語調に、さすがに男の顔にも不快の感情が浮かんだが、押し殺して言葉を継いだ。


「各家庭にモンタージュ写真作成への協力を願いました。ほとんど断られましたが……まあ公機関の要請でもなければ怪しまれて当然ですからな。一人だけ、近所の老人が協力してくれました」

「モンタージュは作成したんだね?」

「はい、しかし……」

「渡してもらおう」


 依頼人の覆いかぶせるような言い方に、男は言葉を継ぐ気をなくし、無言で画像データを転送した。


「……結構。依頼料は今振り込む。確認したまえ」

「はい」


 数秒の間のあと、男の携帯に入金確認のメールが届いた。依頼終了。皺の刻まれた顔に、わずかに安堵の色が浮かぶ。


「では失敬」


 その言葉と共に通信は切られた。常ならば「またの機会がありましたらよろしく」程度の挨拶は返すものだが、こんな商売──裏稼業に近い探偵業──をやっていても客相手の好悪感情はある。


(協力者の婆さんが、目立ちたがり屋のうえに言動がフラフラ不安定で、とても信用できたもんじゃないんだが……)


 男は以前、地方警察に勤める刑事だった。素行優良とは言えなかったが、仕事カンについてはそれなりに自負心を持っている。その時の経験から言えば、この手の証言者の情報は、役に立つどころかむしろ有害な場合が多い。現役時代ならまっ先にオミットするか優先度最下層に放り込むところだ。


(……知ったことか。俺の忠告を聞こうともしなかったのは向こうの方だ)


 そもそも自分相手に依頼しなければならないような相手は、ほとんどがスネに傷をもつ連中だ。こちら側がわざわざ「誠意」を示す必要などない。冷静に考えれば自虐に近い理屈で自分の行動を正当化し、男は立ち上がり荷物をまとめ始めた。宿を引き払い、今日中にこの合衆国の田舎町を出るつもりだ。

 ふと窓の外を見やれば、緑の濃い、整然とした町並が広がっている。悪くない。住み続けるのに、悪くない町ではあるが……


(……子育てやリタイアした後にはいい環境かもしれんが、大した遊び場もないのではな……)


 俺だったらリタイアした後でもムリか。そんな事を思いつつ、通信機器をキャリーケースに放り込んだ。


 ◇


 薄暗い部屋で、通信端末を前にして男女が並んでいた。プラチナブロンドを肩まで垂らし、年齢を感じさせない整った面立ち。隣に座る女性は東洋的でありながら掘りの深い顔立ちで、充分美人と言っていい容貌だったが、ひどくやつれており年齢以上に老けて見える。送られてきた画像データを開き、男はかすかに鼻を鳴らした。


「……もう、止めてください。こちらから手を出す、何の理由があるのです?」


 苦悩に満ちた声で彼女は訴える。


「不純物だからだよ。あの世界に、僕たちが作った以外の自律人工人格は要らない。そうだろう?」


 返された男の声は軽薄で、どこか面白がっているような調子だった。


「無視すれば済むことです! 私たちの計画に関わってくるはずがないじゃありませんか!? あっ!」


 生々しい殴打の音。立ち上がりかけていた女性は、頬を覆って椅子に崩れ落ちた。男は椅子から身を起こし、氷のような視線で彼女を見おろす。と、突然


「うぐっ……ぐぅぅぅ……!」


彼は頭を抱えて苦しみだした。部屋に備え付けのキャビネットに駆けよって薬瓶を取りだし、数も数えず錠剤を口に含む。水を汲んで貪り飲んだ。そして、そのまま靴も脱がずに部屋の隅のベッドに身を横たえる。……やがて、どこか苦しげな寝息が響いてきた。

 女は頬を腫らしたままベッドの端に腰かけ、悲しげな表情のまま彼の髪を撫でた。何度も、何度も……


「……始まるよ……ペンタAIが、始まるよ……」


 幼子のような調子の男の寝言。どんな夢を見ているのだろう。

 今、彼が見聞きし感じている〝世界〟は自分が感じている物と同じなのか。彼女はもう確証が持てなかった。彼はもう自分の夢の中にだけ生きており、自分もまたそこに引きずり込まれ彷徨さまよっているのではと、そんな思いに囚われる。めまいと共に自分の外周がにじんでいくような感覚──


(助けて……父様、母様……ノブ、ダニー……誰か……エドを、止めて……)


 この悪夢を自分の手で終わらせる事も何度も考えた。しかし……それでも彼女は彼を愛していた。自分だけがましな立場で救われるより、共に断罪されたいと願うほどに。しかし、このまま彼を支え続ける事は、一番大切な友の願いを踏みにじる道につながる。どうすればいい? どうすれば……

 答えの出ない問いが、彼女の中で木霊こだまし続けた。

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