第21話 ネームド・モンスター(後編)
ダーククアールの体に幾筋ものひび割れが生じた。亀裂の底に赤い光の点滅が流れる。その瞬間、少年の脳裏にレオン教官の言葉が蘇った。「この世界の中で、グラフィックとプログラムは二にして一の物」。フルダイブVRゲームに於いては、時々刻々計算結果がグラフィックに反映されている。その意味で外見とプログラム本体のつながりは想像以上に密接なのだ。前世代の「用意された画像を貼りつける」ゲームとはそこからして異なっている。
ユーリが起動していた〝感覚〟は、その割れ目の意味をストレートに読み取った。
「『大振り』!」
「グゲエエェェェ!!」
攻撃力アップのスキルを乗せたショートソードの一撃を、躊躇なくひび割れの底に突き立てる。ダーククアールは魔法攻撃を受けた時以上の悲鳴を上げてのけぞった。HPバーが大きく削れる。が、一秒ほどの硬直の後、
「ギアオォォオォォォ!!」
黒い獣は狂乱して爪を、牙を、触手を振り回し、あたりの全てを切り裂いた。
ひび割れは一定のダメージを受けた後に生じる、物理攻撃が通る弱点。しかしそこを突けばしばらくの時間、手の付けられない狂乱化が始まるのだった。
「ユーリ!」
ほとんど範囲攻撃に近い手数の暴風に巻きこまれたと見えたユーリだったが、今度はエルムの方が目をむく番だった。
「えっ、なっ!」
「ふっ……くっ……!」
ユーリはその場から動こうとせず、最小限の動きで敵の攻撃を受け流していた。信じがたい動き。獣の四肢と共に触手まで加わった手数の暴力だ。一々見て反応してては間に合うはずがない。まるで……まるで、予め自分の身に及ぶ攻撃がわかっているかのような。
ダーククアールの動きが止まった。体のひび割れが消えて行き、オーラのような薄い光が全身を包んで明滅する。多くのモンスターに共通する属性変化のエフェクトだった。
「くっ!」
使う魔法の選択に、一瞬迷ったエルムだったが
「エルム! 風属性!」
「わかった!」
かけられたユーリの声に間髪を入れず応じて魔法の詠唱を開始した。
さらに数合、ユーリがダーククアールの攻撃をしのぎ、
「『ウィンドミキサー』!」
「ギシャアアァァ!!」
放たれたエルムの魔法が初撃とは比べものにならない大ダメージを与えた。どういう手段で変化したばかりの弱点属性を知ったのか? しかしユーリの指示は事実、正しかったのだ。悶絶して身をよじるモンスターの体表に、再び赤い割れ目が生じる……
『迅雷のダーククアール』の行動パターンは、ほぼ明らかになった。後はタンク役のHPが尽きる前に敵のHPを削りきれるか、である。
「はっ……はっ……くそっ、こっち向けっ!」
「グジィィ!」
「ユーリ、ムリしないで!」
後方のエルムにヘイトが向かないよう、必死で手を出し続けるユーリ。しかし現在の彼のレベルは23。ダーククアールとはほとんど三倍近い差がある。スキルでステータスを底上げしていても、反撃されるたびにHPを削られていき、アイテムでの回復が追いつかない。継続回復の『癒やしの呪符』も効果時間が切れた。こんな事になるなら買いこんでおけばよかったと、後悔の念が脳裏をかすめる。残念賞とはいえイベントの賞品である。まともに購入するとかなりな高額品だった。
〝感覚〟を総動員して敵の行動を予測し、脳裏に移る最適解を体でなぞる。ユーリの主観では必死のあがきなのだが、他のプレーヤーが見れば神業的な防御行動に思えただろう。しかし〝感覚〟の使用は重い疲労となってユーリにはね返ってくる。エルムが見抜いていた通り、いつまでも続けられるものではない。
数度目の魔法攻撃が決まり、ダーククアールのHPはレッドゾーンに入った。途端に黒獣は硬直して動かなくなり、全身を雷のエフェクトが覆う。皮膚の赤いひび割れがどんどん広がっていき、まるで内部から弾けるかのよう。
ボス・モンスターでは既にお約束と言っていい、瀕死状態で起きる特殊行動と思われた。形態変化の演出中は、こちら側からの攻撃は一切通らない。ユーリの顔に焦燥が浮かぶ。
「くそっ……!」
敵の行動パターンを調べ準備万端で戦いを挑む攻略組ならば、この時間に自パーティーの回復を図るだろう。しかし既に彼は回復手段を使いきってしまった。そして彼の〝感覚〟が告げる所によれば、形態変化後に放たれる全域放電で、残りわずかな自分のHPは消し飛んでしまう。
(何か……手はないか? ヤツをひるませ、放電を止める方法は……?)
自分が取り得る様々な行動を思い浮かべ、それぞれに対して〝感覚〟が返してくる
「えっ!」
ユーリは信じられないヴィジョンを見た。普段であれば数秒あっけにとられていただろう。しかし、不作為という時間の浪費はもはや許されない。地を蹴って高くジャンプし、黒獣の頭上から躍りかかる。後方からエルムが何か叫ぶ声が聞こえた。
ひび割れがめくれ上がって、より巨大に、より禍々しく変形したダーククアール。演出シーンが終わり、天を仰いで咆吼しようとしたその瞬間、ユーリは逆手に持ったショートソードを、上空に向けられた獣の口に全体重を掛けて突きこんだ。
「ゴオォ! …………………………」
その瞬間、咆吼の最初の音だけを漏らし、ダーククアールは硬直した。いや、正確には痙攣しながら固まった。身に纏った雷光のエフェクトが、不自然な途切れ方で繰り返される。
「まさか……バグった? いや、バグらせたって言うの!?」
「エルム、水属性! 全力でやって! 一度攻撃当てたら、こいつは動き出すから!」
驚愕するエルムだったが、ユーリの声に我を取り戻し行動を開始した。自分にてんこ盛りでバフをかけ、使える限り最強の魔法を詠唱する。
「消っし飛べえぇぇぇ、『メイルシュトローム』!!」
「ヅッォォォォォォッォォォォ!!」
魔法に全身を切り刻まれて、ダーククアールは中断されていた咆吼を吐きだした。そしてユーリが予見した通り、戦闘域全てを飲み込む放電が放たれる。しかし
「オゴルルルル……オゴゥゥゥ……」
ダーククアールの全身が崩れ、光るポリゴン片となり消えていく。そして本体の死亡判定と同時に、放電の攻撃判定も失われていた……
大きく息を吐き、地に転がっていたユーリは身を起こして立ち上がる。自身のHPバーを見れば、残量表示はもう赤い線と言ってよかった。ギリギリの、本当にギリギリの勝利と生存だった。たった二人でよくぞと思うが、恐らく敵モンスターはパーティーメンバー数に応じてステータスも上下するタイプだったのだろう。そうでもなければあり得ない「
と、ファンファーレの効果音が鳴り響き、派手な装飾のメッセージウィンドウが表示される。
【『迅雷のダーククアール』を初討伐しました! 称号『ビーストスレイヤー』が与えられます。討伐パーティーを公開しますか?】
*YES ←
*NO
え、どうしようと迷っていたら、ピロンと音がしてカーソルは「NO」を選んだ。ああ、パーティーのリーダーが決めるべきだよなとエルムの方を見ると、怖い顔をしてズンズン近寄ってくる。
「………………(怒)」
「え、えっと、その……」
「どうして……どうして退かなかったの? あんなムチャして!」
「えっと…………ごめん…………」
不用意に手を出したのは自分だからと既に言った気がするのだが、素直に謝った方がいいと感じた。なぜかと言えば──
「ばかっ! 死ぬのなんて……例えゲームの中でだって、死ぬのなんて、軽々しくやっていい事じゃないんだからっ!」
怖い顔をしたエルムが、いつものようにどこかファニーな雰囲気じゃなく、むしろ泣き出しそうに思えたから。
数度、エルムの小言に平身低頭して、ようやく普段の雰囲気に戻ってきた。
「もういいよ……うん。今日はもう引きあげよう」
「うん、そうだね」
さすがに今は、精も根も回復アイテムも尽き果てた。それにユーリはスキルの反動でステータス低下が始まっていた。この状態で戦い続けるのは、それこそ死に戻り志願というものだ。
灌木や小さな草むらがまばらに散った半砂漠地帯をテクテク歩く。何とはなしに二人とも無言だったのだが、ポツリとエルムが漏らした。
「ユーリ、キミは……先の事がわかるんだね?」
「……うん」
エルムの語調は疑問形でなく、分かりきった事を確認するそれだった。それを素直に認めるユーリ。あれだけやれば、どうしたって感づかれるよなあと、諦めに似た気分だった。さて、どう説明したものかと考えていると、エルムは急に前に回り込んで、グンッと胸を張った。
「へーんだ、その程度でいい気にならないでよね! ボクなんかねー!」
ゴーマンかますポーズのまま、エルムの全身を淡い光が覆った。何事? と目を見ひらくユーリに
「変身! さて、今のボクは何者でしょう?」
イタズラっぽい笑顔と共に問う。
「あ……」
パーティーメンバーのステータスボードに記されたエルムの情報は
*エルム レベル62
*
さっきと同じように、突然
「他にも色々変身できるんだ。これ、ツール使ったチートとかじゃないからね。ボクだけの特技だよ」
「すごいすごい! びっくりしたよ!」
素直に驚き、手を叩いて賞賛するユーリ。彼の〝異能〟も大概だが、彼女のこの能力がなければ、さっきの物理耐性持ち相手の戦闘は詰んでいたはずだ。
イタズラっぽい笑顔のまま、人差し指を唇に立てて
「ナイショだからね?」
「うん。……その、僕の力も」
「うん、わかってる。お互いさまだね」
「うん……!」
……二人が秘密を明かし合った事は、お互いの保護者が知ったら卒倒しかねない「軽はずみ」だった。しかし二人とも、これが相手から漏れることはないと、なぜか確信していた。むしろ……互いに秘密を共有した事が、かすかに誇らしくさえあった。
「♪冷たい風に頬をなぶらせ、道を行く旅人よ……♪」
二人の間の空気がほぐれ、エルムが涼やかに歌いだす。平原の影が濃くなり、西の空の雲が色づき始める。彼女の歌声に聴きいりながらユーリは、何か胸の奥が解き放たれて行くように感じていた。
◇─────◇
運営の一部門にて。
「名前持ちが討伐されたの? へー、早かったね。しばらく阿鼻叫喚になると思ってたのに」
「それがその……バグがあったみたいでして。『迅雷のダーククアール』なんですが、最終形態に移行する際、攻撃を受けると狂乱化のシーケンスに繋がっちゃって」
「ああ、行動がバッティングするのね。そんなのを掘り出すなんて、ラッキーな連中がいたもんねぇ……。は? 一人!? レベル23の見習い騎士って……あり得ないでしょう!?」
「ですよね……」
「ツール使った形跡は……
「……ひょっとして、バグった影響で戦闘ログの方がうまく採れなかったとか」
「うーん、あり得るのかなぁー。それだとバグの影響が広すぎない?」
「それはそうなんですが……」
「……いや、今やるべき事は他の名前持ちのデバッグね。同様の行動パターン持ってるのをリストアップして精査して。『迅雷の』は後回しでいいわ。名前持ちのリポップはそこそこ期間を置く決まりだから」
「はい(定時上がりが遠のいていく)……」
「この件は……カトー博士案件かな。早く戻ってくれ博士ー、待ってるよー」
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