第19話 仕事じゃないから
病室のベッドに、まるで縛り付けられているかのような姿のノブヤ・カトー。片腕に
ノブヤとそのスタッフは、エドワードの手による自動アップデートの解析・阻止が間に合わなかった。いや、正確にはあと一歩のところでウォン会長がタオルを投げ入れて、ノブヤをパンフィリア社付属病院に緊急入院させたのだ。
憮然とした表情のノブヤに、苦笑しながらウォンが声をかける。
「『恨みますよ』と言いたげだね」
「……別にそんな事は。ただ、会長直々にストップかけられるとは思ってなかっただけで……」
ウォンは真顔になり、車いすごとノブヤの方に向き直る。
「勤務状態が過労死ラインに入ってて、それを黙認したら経営者として失格だよ。少なくともワシはそう思ってる。カトー博士。自分の体は自分が一番よくわかっていると思いがちなものだけど、自分を一番客観視できないのも自分自身だ。だからこそ法で決められた規制ラインが必要なんだよ。君としてはレノックスの描いた図どおりに事態が進むのは面白くないだろうけど、それでオーバーワークを重ねて体を壊したら取り返しがつかない」
「……温情はありがたく思います。ただ、過分なほどの高給をもらってる身で、それに見合う仕事ができていないと思いますもので」
手を振ってノブヤの自虐を制止するウォン。
「君は充分な働きをしているよ。君が来てくれる前までの解析状況から考えれば、ペースは十倍以上になったと言える。ついで、高給をもらってるから体ぶっ壊れるまで働かなきゃいけないなんて、ナンセンスだよ? ワシを見なさい。金は腐るほど持っているが、それで自前の足は買い戻せやしない。金で
ポンポンと車いすを叩いてみせる。彼がサイバネティックな義足ではなく、古風な車いすを使っている理由が何となくわかったようにノブヤは感じた。おそらくは……自戒のためなのだろう。
「まあ、もう二十年若かったら再生治療を申し込めたんだが……『時間』もまた、金で買い戻せない物の一つって事だな。ともかく、しばらくは強制休暇だ。少なくともドクターの許可がおりるまでは、ね」
ウォンに視線を向けられた担当医が言葉を継いだ。
「最低で一週間と見積もっています。回復状況をチェックしながら判断して行きますが」
「ふう……」
それまで病室にこもりっきりか。むしろストレスだ。
そんなノブヤの考えを読んだのか、会長秘書がプロジェクターのコントローラを操りサブ画面を表示した。
「当医院の施設一覧です。見ての通り娯楽施設やスポーツジムも備わっていますから、自由に使っていただいて構いません。ですが、コンピューター端末を長時間いじるのは禁止ですからね?」
にっこり笑顔で釘を刺し、秘書は会長と共に病室を出て行った。残った担当医にあれこれの注意を受けた後、ノブヤは一人ベッドの上で全身の力を抜いた。
……頭を冷やして考えてみれば、たしかに少々むきになっていたかもしれない。FSOというゲーム自体に入れ込む理由はないのに、エドワードの意図を阻止することに義務感みたいなものを持ってしまっていた。パンフィリア社に来た最大の理由であるハンナの行方についての手がかりも得られぬまま、ひとり相撲をとっていたのかもしれない。
にしても一週間、何をして時間を潰したものか。考えて見ると自分の人生で、無為の時間って、あまりなかったかもしれないな……
そんな事を思いながら娯楽施設の一覧を眺めていた視線が一ヵ所に止まった。「VRゲーム室」プレイできるゲームリストを見て思わずもらす。
「へえ、FSOがプレイできるんだ……当たり前か」
……これは仕事じゃない。あくまで息抜きだ。うん。十何年ぶりかでゲームをやってみる、それだけのこと。そう自分に言い聞かせてノブヤはベッドから立ち上がった。
◇
翌日、FSOのバランス調整チームにノブヤからのメールが届いた。
「何をやってるんだ、あの人は。会長じきじきに病院送りにされたのに……」
シュールな図が浮かびそうな事を呟きながらも、調整担当の主任はいそいそとメールを開く。カトー博士にしばらく負担をかけるなとウォン会長から指示されてはいるが、猫の手も借りたい状況は変わっていない。そして今まで一緒に仕事をしてわかった事は、カトー博士は単に優秀なだけでなく、他者に分かるように考えを伝えられる人だということ。共同作業においては何よりありがたい資質である。その彼からのメールとなれば、仕事上、極めて有益な何かであるはずだ……
そんな期待とともにメールを一読し、すっとんきょうな声を上げる。
「は?! 『生産』まわりのデバック? 難易度調整?」
それは確かに生産者プレイ志望のユーザーから要望されていた件ではあるが、現状人手が足りなくて優先準位を下げられていた仕事だ。期待はずれとの思いを押し殺しメールを読み続ける主任の顔が、次第に驚嘆の表情に変わっていく。
「……なるほど、このやり方なら一石二鳥、いや、三・四鳥じゃないか? 確かに、回せない労力じゃないか……」
ノブヤからの指示は、最小限の修正で多方面の改善がなされる案だった。一体、どうやってカトー博士はこんな事を考えついたのだろう?
(「ビッグファイブ」は伊達じゃないねえ。あの人にできない事なんてないんじゃないか?)
そんな畏敬の念をいだきながら、部下へ修正作業を割りふる主任だった。
◇─────◇
FSOのゲーム内。ファストゥの港町、職人街の外れにある陶磁器工房で、ノブヤのアバターがロクロに向かっていた。それなりに修飾は加えているが、見る人が見ればノブヤ・カトーと知れる姿だ。
真剣な顔つきでロクロ上の粘土に手を添える。手元の粘土がスルスルと伸びて、器の形になっていく……が、急に型崩れを起こしてグダグダになってしまった。
「えい、くそっ、また失敗か。難易度調整できてないんじゃないか?」
「あはは、ガートさん、それはないって。昨日の調整で見違えるくらいリアルに近づいたよ。むしろ
思わず毒づくノブヤをたしなめて、隣に座る大柄な女性プレーヤーが、きれいに器を形成していく。ノーリンという
作業しながら、のんびりとした口調で言葉を継ぐノーリン。
「でもいい時に始めたよ、ガートさん。今まで何度もバランスおかしいってメールしてたんだけど、運営、さっぱり修正してくれなかったんだ。それが急に改善されたもの。……ひょっとして、あなたのおかげかな?」
「いや、俺は運営と無関係だよ。……ふう、精神集中……よっ、と……」
横目でカマを掛けてくる彼女に生返事で応じ、ノブヤは再び粘土に手を添えた。最初は軽い気持ちで始めた「ゲーム内陶芸」だったが、初めてプレイするVRゲームのリアルさと物作りのままならぬ魅力に、すっかりはまってしまったノブヤだった。
商品が並べられている工房の表に、大柄なプレーヤーが入ってきた。ヒゲ面のドワーフ体型に背負った大斧。古参プレーヤーのハンプティである。
「おう、ハンプティの旦那。何をお求めですかい?」
「酒器を求めに参りました。少し品を見せてもらえますかな?」
「まかせとけって言いたいが、旦那ほどの酒豪となりゃあ、そこらの器じゃなあ……」
工房主のNPCとやりとりしながら、ハンプティはチラリと奥を覗いてみる。ロクロの前では、ようやく成功した器を前にノブヤが大喜びしていた。
物思わしげな表情のハンプティだったが、やがてヒゲ面の下でゆるりと笑みを浮かべた。大柄な杯を一つ買い、やれやれと言いたげに頭を振りながら工房を出ていった。
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