第14話 傷跡(前編)

 ピルルルル……ピルルルル……


 据え付け端末の着信音が響く。豪華なつくりだが画一的な印象のベッドで、ノブヤ・カトーは頭を抱えてうめき声を上げる。


「うぅ~~~……うるさい……契約……違反だ……」


 無意識に投げつけた枕のクリーンヒットに、端末は一時沈黙した。無論、この程度で故障するような製品ではない。使用者の反応から着信を維持するか遮断するか、それを判断するAIが組み込まれているためだ。

 使用者の拒絶を判断・優先したAIによって、ノブヤの安息は保たれたかに見えたが、


ブツッ……ザザーッ……

『ハロー? ノブ、遅刻だぞ。ミーティングの時間だぜ』


突然流れ出した声に、条件反射的に跳び起きた。


「うわあ、悪いダニー! ちょっとだけ待ってくれ……」


 わたわたと手足をばたつかせベッドの海から抜けだそうとしたが、これまた体が覚えている記憶が違和を告げて、はっとノブヤは我を取り戻した。上体を起こして辺りを見まわす。目に映るのはパンフィリア社が自分のために用意した宿舎の寝室だ。学生時代のボロアパートじゃない。


『場所はXX地区のホテル・サンライズ。最上階ラウンジで俺に呼ばれたとウエイター・ロボに告げてくれ。待ってるぜ』


 据え付け端末機は、一方的にメッセージを流して沈黙した。

 ため息をついて腫れぼったい目をこする。


「……あの野郎、せっかくの休日だってのに……」


 おまけにわざわざ端末をハッキングしてやるような事か。恨みがましさと共に、旧友の顔を思い浮かべるノブヤだった。


 ◇


 S市中心街にある、名の知れたビジネスホテルのラウンジ・バー。豪奢というより機能美をテーマにデザインされた店内に、呼び出しに応じたノブヤが入っていく。身長一・三メートルほどのウエイター・ロボットに案内され、窓際の区切られたブロックに通された。開けたようで外部からは見えず聞こえずという商談用設計がなされたスペースだ。


「ようノブ、久しぶり」


 手を挙げて旧友を迎えるのはダニエル・ノートン。上機嫌の笑顔だったが、ノブヤは対照的に表情を硬くした。ダニエルの隣に座る理知的な雰囲気の女性。サングラスを掛けたままだが、おそらく網膜表示ディスプレイだろう。初対面の相手だが、その記号的なトレードマークに見覚えがある。確か……


「初めまして、カトー博士。お会いできて光栄です。ケリー・バラキレフです。どうぞよろしく」

「……初めまして、ノブヤ・カトーです」


 それだけ返して、ノブヤは無言のままダニエルに目を向けた。非難のこもった視線に、よく回る口が若干上ずる。


「おいおい、いつも言ってただろう? 初対面の女性には、お世辞の一つくらい言うのが礼儀だって」

「……同席者がいるとは聞いていなかったぞダニー、おまけにJCSジャーナルコモンセンスの報道キャスターとはどういうことだ?」

「まあ坐れよ、話はそれからだ」


 しぶしぶと言った様子で二人の対面に腰かけるノブヤ。「話が違う!」と席を蹴るほどの頑固者ではない。

 各自飲み物を注文し、一息入れた所でバラキレフが切りだした。


「まずは事前にお話を通しておかなかった事をお詫びします。社会通念からは非礼とわかっていても私たちはあえてそれを無視するところがありまして。報道に関わるようになった社員は、『嫌われ者になることを恐れるな』と、まっ先にたたき込まれます」

「……便利な言い訳ですな」


 ノブヤの皮肉に、微笑を絶やさぬバラキレフ。ダニエルは何か言いたげに口を開きかけたが、後ろめたさからか声を飲み込んだ。


「それと同事に『情報提供者と信頼関係を築け』とやられるものですから、素直な新人ほどその矛盾に混乱します。私もいまだに割りきれない部分を抱えながら仕事をしている次第でして」

「前置きはいいから本題に入ったらどうです? あなたは俺に何を聞きにきたんですか? パンフィリア社の内幕でも? あいにく俺は数ヶ月前に雇われたばかりの外様とざまで、ついで契約上機密保持の誓約も立てている。話せる事は何もありませんよ」


 にべもないノブヤの態度に動じることもなく、バラキレフは淡々と話を進める。


「そう、あなたとしては契約上のルールに従う必要があるでしょうが……あなたがおっしゃらなくても、推測できる事は結構あるんですよ。FSOは完成したと一度発表されながら、なぜビッグファイブの一人がわざわざスカウトされたのか。単純に考えれば、それだけの能力が必要とされる課題が、未解決のまま残されていたという事ですよね。また、ネット上ではFSOユーザー間に根強いバグ・不具合論があり、個別のケースを検証してみると、どうも単なる難癖ではないように思われます……」


 平静を装うノブヤの表情が引きつっている。心当たりは有りまくりだ。そしてそれを外部に漏らすわけにはいかない事も、重ね重ね念を押されている。


(くそっ、つまらないゴシップネタを漁りに来やがって。ゲームメディアなら仕方ないが、JCSほどの報道大手が食いつくような話かよ)


 だまし討ちに近いやり方で休息を奪われたという生理的なストレスも相まって、不愉快な感情が抑えきれなくなって行く。


「……率直に言って、私はエドワード・レノックス博士が、FSOというシステムに何かイレギュラーな措置を行ったのではないかと強く疑っています。そもそも、彼はなぜゲーム製作などに関わったのか……」

「ならエドワードに直接聞けばいい! あいつの行方を突き止めて! ちょうど俺もヤツに尋ねたいことが山ほどあるんだ。あなたがそれをやるならば、全て丸く収まるってもんだ! ……失礼する!」


 滅多にない怒りの暴発を起こし、席を立って出口に向かうノブヤを、ダニエルが慌ててさえぎった。


「おいおい、まあちょっと頭を冷やして考えてくれよ。JCSの報道とコネを作っておくのは決してソンはしないって。特に……」

「見損なったぞダニー! 科学番組の解説役は、まだかつての志の残り火みたいなものが感じられたさ。しかし、マスコミとつるんでゴシップネタを漁る。それが『電子妖精使い』と呼ばれた男のなれの果てかよ!」


 吐き捨てられた言葉に、ダニエルの顔が引きつった。それは彼にとって触れて欲しくない部分であり……


「……ああ、今の俺が、お前からすれば堕落に見えるのは承知してるさ。だがなノブ、俺は時々思うんだ。お前があの時、ハンナの想いを受け入れていたら、俺たちは全く違う生きかたをしていたんじゃないかって、な……!」


そして彼もまた旧友の古傷を知っていた。切り返された言葉に、まるで鞭打たれたかのように身を震わせるノブヤ。そのまま彼は、蒼白の顔を伏せてラウンジバーから逃げ出すように駆け去った。

 バーの出口を茫然と見るダニエルの背に、軽くとがめる口調の声がかけられる。


「ミスター・ノートン……」

「あ、ああ、すまん、つい……。チクショウ、なんであんな事を……」


 後悔しきりのダニエル。一時のむかっ腹が治まって顧みれば、ノブヤの言葉と自分のそれとが等しい重さとは到底言えない。しかしもう口から出た言葉は取り返せない。……こんなつもりじゃなかった。この会見はノブにとってもメリットがある。ハンナとレノックス夫妻捜索の力になると思ったからこそ、バラキレフと引き合わせたのに。

 悄然として席に戻ったダニエル。バラキレフは、今度は対面に腰かけた。


「私の話の進め方も上手くなかったかもしれません。私の目標はあくまでエドワード・レノックス博士であって、ゲームの不具合などに直接的な興味はありません。それを最初に断るべきでした」

「うーん、それを言うなら、俺の初手も良くなかったな。気安さからついイタズラを仕掛けたが、はっきり用件を先に言っておくべきだった」

「しかし……しばらくは冷却期間をおいた方がいいでしょうね。とはいえ、ミスター・ノートン。謝罪のメールなり、早めに出しておいた方がいいと思いますよ」

「分かってる……わかってるさ」


 そして二人はしばらく無言でグラスを傾けていたが、ぽつり、とダニエルが話を切り出した。


「確かなのか? エドワードが〝人工人格〟を造ろうとしているってのは」

「……それが目的だと思うんですけどね、彼が『全て現実と変わらない』という、うたい文句のゲームに関わったのは。少なくとも、直前の職場であるR国の研究所では、かなりグレーゾーンに踏み込んだ研究が行われていました。それに……調べているうちに思うようになったのですが、エドワード・レノックスという人物は、社会規範や法律など、ほとんど頓着していない。優れた研究者は他にもたくさんいますが、現在、国連の『人工人格禁止条約』を無視して、自律人工知能……人工人格を生み出そうとするのは、彼をおいて他にいないと思うのです」

「…………」


 眉間に軽くシワを寄せながら、ダニエルはグラスを干した。ケリー・バラキレフというジャーナリストは、長年エドワード・レノックスという特異な科学者に興味を持って追い続けてきたのである。


 ◇

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