第12話 疑惑と危惧と(後編)

 事件が起きたのは、開発拠点が置かれているS市において伝統的なお祭りの日。機器のメンテナンスのためという理由で職員全休の日が設けられた。FSO完成直前の骨休めといった所である。ほとんどの職員が祭の夜に繰りだし、施設はいつもの喧噪とは打ってかわって静寂に包まれた。そんな夜……唐突に警備室に通報が入った。通報者はエドワード・レノックス。


「レノックスだ……施設の出入り口を封鎖してくれ。必要なら警察にも連絡を。……ハンナ・キャンベル博士がFSOのデータを盗み、逃走した」


 最初は社内の警備部が調査にあたった。ハンナ・キャンベルは住居を含め所在不明で、開発室のいくつかの端末がアクセスされデータが持ち出された形跡が見つかった。空港その他の検問が必要と判断され、S市警にも通報がなされた。パンフィリア社の上層部から「最優先」との条件が付けられて。しかし、検問にキャンベル博士が引っかかる事はなく、後から逃走経路を調べても不明なままだった。

 社内の、後には警察の取り調べに対して、エドワード・レノックスが語った説明は──


 自分たち夫婦は、突然ハンナから呼び出しを受けた。全休日に施設内の会議室とは妙な指定とは思ったが、身内のことでもあり疑念を持たずその場に出向いた。そこでそこでハンナが持ち出したのは、FSOのデータを持ち出して他社に売る事。自分は、今は明かせない企業のスパイでパンフィリアの機密を得るためにもぐり込んだのだという。莫大な報酬が約束されているから、一緒に他社に寝返ろう……そういう申し出だった。妹のあまりの変貌に嘆き悲しみ、考え直すよう説得したのだが、ハンナは二人に銃を突きつけ会議室に閉じ込めた。キーを解除して脱出できたのだが、その時にはもう逃げ去った後だった──


 はっきり言って、S市警はもとよりパンフィリア社の警備部もその言い分を信用しなかった。警備部の若い社員が「役回りが逆だったら少しは信じたかも」と漏らし、同じ場にいた同僚全員が肩をすくめた。

 レノックス夫妻はS市警に拘束されて取り調べを受けた。エドワードは同じ話を繰り返すだけ、夫人のアーシャはやつれた表情で頑なに黙秘を貫いた。S市警はハンナの身に起きたことについてシビアな事態を予測したが、数度にわたる施設内の捜索にもかかわらず、手がかりはつかめなかった。社外秘とされて調査できない部分が多すぎると、市警からパンフィリア社に抗議がなされたが、日が経つにつれて施設内に「ハンナ本人」がいる可能性は低下し、フェードアウトしていった。

 市警に拘置されていたエドワードは、担当弁護士を通じてパンフィリア社の上層部──はっきり言えばデービス・ウォン宛てに嘆願状を送った。


 曰く、自分の身の不徳とはいえ、こんな濡れ衣を着せられてFSOの完成が遅れるのは甚だ遺憾である。あと少し、ほんの少しでかつてない新世界が誕生する。たとえ監視されながらでもかまわない。龍の絵に、目を入れさせてくれ……


 ウォンは悩んだ。もとよりエドワードに対してあまり好感をもっていなかったし、今回の件ではっきりと不信感を抱いている。だがしかし、「かつてない新世界」それは彼にとっても長年の夢である。それが「あと少し、ほんの少し」……

 そしてウォンは、後に悔いることになる手を打った。市警からレノックス夫妻が釈放されるよう工作したのだ。警察上層部から「決定的な証拠がないにも関わらず拘留し続けるのは不当だ」と、誠にもっともな指令がS市警に下った。担当者は歯がみをしながら従うほかなかった。


 釈放されたレノックス夫妻は、すぐにFSOの仕上げ作業にとりかかった。エドワードは傍目には上機嫌に見えるほどだった。下で働く職員の志気は最低だったが。アーシャは……夫と正反対に憔悴しきっていた。彼女の下で働いていた女性職員によれば、「お願いだから、今だけ協力して。その方が早く終わって、あたたたちも私たちを見なくて済むようになるのだから……」そう漏らしたという。

 厳重な監視付きで、夫妻は最終工程を進めていった。そのため非効率な手順になってしまうことも度々あったが、それを差し引いても進捗度は遅かった。意図的な引き延ばしに見えたと、アイラ・パルミラ他数名の職員が語っている。その引き延ばしの最中に、夫妻は〝タネ〟を仕込んでいったのだろう。


 そして、夫妻が釈放されて一ヶ月ほど経った夜、突然S市全体を大規模なサイバー攻撃が襲った。混乱する交通、インフラ、通信。さらに加えて、正体不明のテロ集団が襲ってきたというデマが公的機関のアカウントを装って流布された。それは各種のセキュリティによって厳重に守られているはずのFSO開発施設にまで及んだ。現実味を疑うような情報であってもデマと確認されるまでは対処体制を取らないわけにはいかない。市警はもとよりパンフィリア社の警備部もテロ対策のために人員を動かし……そのため監視の目を逃れたレノックス夫妻は、当然のように施設とS市をを脱出した。

 事後の調査・検証では、港湾部はずれの砂浜を所属不明のホバークラフトがかすめていったのが確認されている。また、施設の端末からエドワードの置き手紙と思われる一文が発見された。


『デービス・ウォン殿へ。これがかつてない新世界。私は約束を守った』


 それ以降、レノックス夫妻の行方はわかっていない。


 一連の情報攻撃は、どう見てもエドワードの手によって仕組まれたものだった。後にFSO開発室のサーバー自体がサイバー攻撃に使われた事がわかり、パンフィリア社はS市と国に対して金銭・道義両面から大きな負債を負った。

 デービス・ウォンはおのれの不明を恥じた。関係各方面に自らおもむき頭を下げまくった。時に強引な手を使う彼ではあるが、自分なりの哲学を持っている。「横車は押すな。縦車は押せ」筋の通らぬ事をごり押しするなというものだ。レノックス夫妻の釈放工作も、決定的証拠は見つかっていないし刑法の原則「推定無罪」という最低限のすじはあった。結果として、汚点ともいうべき失敗に終わったが。

 レノックス夫妻の逃走劇に泥を塗られた形のFSO開発だったが、エドワードが書き残したとおり製品として完成しているのなら動作検証にかからないわけにはいかない。道楽といわれながらも会社で作った商品なのだ。あくまで営利目的での運用が最終目的である。

「あの男がどんな毒を仕込んでいるか」とこぼしながらウォンは起動テストを見守ったが……意外なことに動作状況は良好に見えた。例によって会長自らも参加する形でβテストが行われたが、これまた問題点らしい問題点は浮かばなかった。この規模のプログラムとしては異例な事である。


 そしてFSOフィフスエレメンタル・サーガ・オンラインは華々しくリリースされた。相次いだ不祥事を覆いかくす程度に華々しく。

 ゲームのスタート地点は「アクア・エリア」。舞台となる大陸に開拓・冒険を目的とした人々が最初に訪れた地区、という設定である。ゲームの進行とともにテッラウェントスイグニスカエルムと、五つの元素に対応したエリアが開放されてバックグラウンド・ストーリーも進んで行く。

 サービスの開始からFSOは好評を博した。プレーヤーの数も順調に増えていき、エンターティメントの一大ムーブメントになりつつあった。しかし、最初のメンテナンスとテッラ・エリア解放アップデートが行われ……深刻な事態が運営側に突きつけられた。不具合調整その他の権限がブラックボックス化されロックされている。あまつさえ、以降のアップデート・スケジュールが既に決められており外部から干渉できない。FSOは運営側がコントロールできないまま、まるで巨大な生き物が歩いていくように勝手に進行していった。


「上げて落とすのが、あの男の流儀かっ!」


 デービス・ウォンが吠えた。しかし既にサービスが始まっている以上、ユーザーには秘密にしたままで、ロック部分を解除して管理権限を取り戻さなければならない。残された職員による懸命な努力の結果ロックのいくつかは解除されたが、ゲームの進行に到底追いつけないペースだった。ユーザーから上げられる不具合情報・改善要望に応えきれないまま二回目のアップデートが強行されて、ユーザーの一部から激しい非難が起こった。

 能力というより持ち前の性格からか、技術職員のまとめ役といった立ち位置にあったアイラ・パルミラは、ダメ元と思いながらも前職のよしみを頼ってノブヤ・カトーに声をかけた。「研究が一段落したから」という理由で予想外の参加承諾が得られて、現場は沸きたった。場に居合わせたウォンは、自分を抑えながら


「……今度はまともな人物だろうね」

「大丈夫だよ会長。ノブはまともだって」


返されたアイラの言葉に、ようやく口の端を上げて会心の笑みを漏らした。

 そして話は、冒頭の場面につながる──


 ─────◇


 いつの間にかコーヒーは冷めてしまった。

 ハンナ、エドワード、アーシャの失踪事件を思う時、冷静に考えるならハンナの安否は楽観できない。彼女は、少なくとも自分の意志に関わらずパンフィリア社施設から、あるいはS市から〝連れ去られた〟。だからこそ……今度はアイラが疑問を口にする。


「なぜ……彼女はここに来たんだろう? 聞いた話が事実なら、キャベル博士にとってエドワードは近づきたくもない、思い出すことさえおぞましい存在のはずなのに……」


 広いようで狭いAI研究者の世界である。そして研究者として同年代と言っていいアイラは、「ビッグファイブ」たちのステファナ大スプリング・バケーションの事件を、噂で聞き知っていた。だからこそ疑問に思わずにいられない。なぜ彼女はFSO参加を自ら望んだのか。そしてその選択の結果が、今の状況なのだから……間違いだったと言うほかない。そして天才と呼ばれた彼女に、その危険性が理解できなかったはずがないだろうに。

 ぽつりと、ノブヤはアイラの問いにつぶやきを返した。


「メールを送った……俺は、ハンナのFSO参加を知った時に……」

「メール?」


 残っていた古いメールアドレス。触れる事さえつらく、恐ろしかった。しかしあの時だけは、彼女に問わずにいられなかった。

 冷えたコーヒーを一口飲み、彼は続けた。


「……なぜ、なぜ今になって、エドワードたちに近づくようなマネをするのか。それは君の本心なのか。そう……尋ねた」

「返信はあったの?」


 うなずき返し、ノブヤは記憶を探るように目を閉じた。


「……『愛する者が失われるのを、手をこまねいて見ているのは、死ぬよりつらい事だから』……それがハンナの答えだった」


 首をかしげながらアイラは立ち上がり、ウロウロ歩きながら考える。彼女のクセだ。


「……どういう意味? ノブと彼女にだけ通じる話なの?」

「いや、俺も何のことか心当たりがない。しかし……」


 今度はノブヤが立ち上がり、FSOの資料が表示されたままのディスプレイの前に歩を進める。


「俺は……このゲームの中に、その答えがあるように思う。エドワードがロックした部分に、もしかするとその答えがあるんじゃないか。そう考えている……」

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