第11話 疑惑と危惧と(前編)

 FSO解析修正部、ミーティングルームにて。


「……まずは、テッラ・エリアのロックされていた六ヵ所の解除が完了した。バグ修正とバランス調整が可能になったよ」


 自分の部下に回された職員たちに囲まれて、ノブヤ・カトー博士は仕事の進捗を報告する。やや疲れた顔で無精ヒゲが目立つようになっていた。


「助かります。さすがですね、カトー博士が来るまで、私たち総がかりで二ヵ所しか解除できなかったのに。ウェントス・エリア解放までに修正できなかったもので『修正なしで突っ走るつもりか』とユーザーから批判が多くて……すぐ調整作業に入ります」

「今までの解析から、ウェントス・エリアのロックはおよそ七ヵ所と予想されます。あと、できればアップデート・スケジュールを我々の手で管理できるよう、権限を取り戻して欲しいんですが」

「……あー、努力する……。イグニス・エリア解放のアップデートは、いつの予定になってるの?」

「スケジュールをのぞいて見ることもできないのでなんとも。しかし今までのアップデートがほぼ二カ月間隔だったので、おそらく三週間後あたりでは?」


 部下の返事に、ノブヤは眉を上げて応じる。額にシワが走り、口には出さないが「きっつ……」という声が聞こえてきそうだ。


「わかった、ありがとう。……俺はゲーム進行の都合というのはわからないんだけど、ウェントス・エリアのロック解除とアップデート・スケジュールのと、どちらが優先されるべきかな?」

「アップデート・スケジュールの方を。それができれば全体の進行を遅らせて時間稼ぎもできますし」

「えー? ユーザーから散々ウェントスの調整要望送られてんのよ? 現にある客の要望が先じゃん」

「あ、あの、優先度は低いかも知れませんが、カエルム・エリア担当のラフレシアの育成が予想外に遅れてまして……」


 受け持ち部署どうしの利害もぶつけ合い、ミーティングは進んでいく……


 職員たちが退室するのと入れ違いに、エンジニアコート姿のアイラ・パルミラが入ってきた。開発と言っても別に服装に制限があるわけではないのだが、彼女は自分のスタイルとしてエンジニアコートを通している。彼女いわく「なんとなく気合いが入る」とか。


「お疲れー。どう? なんとかなりそう?」

「……まだ序盤の問題を解決したばかりだ。問題点のおかわりがてんこ盛りでね。なんとも言えん……おっと、なんとかしなけりゃならないんだな」

「そういうことー。ま、コーヒーブレイクくらいは必要でしょ」


 アイラが差し入れてくれたのはドーナッツとコーヒーのセット。彼女の厚意に甘えて、ノブヤはコーヒーの香りに一時緊張を解いた。


「しっかし迷惑なまねしてくれたもんよ。失踪前にFSOが稼働できる状態に仕上げたのは認めるけど、プログラムの管理者権限を歯抜けのようにロックして行くなんて」


 助手たちが残していった資料をのぞきながら、しかめ面でもらすアイラ。


「……なぜ」

「ん、なに?」

「エドワードは、なぜこんなマネをやったんだろう? ゲームを運営し続けるためには、自分が必要だというアピールか? 自分で失踪しておいて?」


 旧知の友人の前で、つい抱えこんでいたモヤモヤを漏らしてしまうノブヤ。かつての同輩といえるエドワード・レノックスだが、ノブヤは嫌悪・憎悪に近い感情を持っている。そしてそれを当然だとさえも。しかしそれでも彼の能力は認めざるを得ないもので、かつてのラボの同僚……「ビッグファイブ」の中で序列をつけるなら、No.2と言えるだろう。


「さあてねー、あたしとしちゃ『天才とナントカは紙一重』って、あの男の頭の中を想像したくないけどねー。……しかし、三人が失踪した一連の事件は、事前に計画された事というよりアクシデントに近いものだったんじゃないかな? すっきり筋が通る説明は、できないような気がするわ」

「アクシデント、か……」


 それは……そうだろう。FSOの完成直前の段階で、ハンナは行方不明になった。それが彼女自身で計画した事とは、ノブヤには絶対信じられなかった。


 ◇─────


 FSOのNPC用AIの開発は、曲折に満ちたものだった。

 初期に志向されたのは、ごくオーソドックスな受け答えAIだった。単純にゲーム用と割り切れば、それで充分実用レベルのものが作られた。実際、αテストではそのAIが使用されて、枯れた技術レベルでの動作検証がなされている。しかし、そのαテストに自分自身も参加したデービス・ウォン会長のだめ出しによって開発は一からやり直されることになった。


「VR技術の革新によって、プレーヤー側は今までとは比べものにならないくらい五感から受け取る情報が増えている。しかしNPCはそれに対応できとらん。今までの受け答えAIでは、プレーヤーとNPCとで『住む世界が違っている』という断絶感さえ感じるんだよ。しかし、NPCのAIに『感覚』という条件を足し算的に増やしていくと、どんどん処理は重くなり反応もあやふやになっていく始末だ。これでは……ゲーム世界にのめり込む……いや、引き込むことはできんよ」


 パンフィリア社内部でさえ「隠居の道楽」と陰口をたたかれたFSOの開発だったが、目的内においてはウォン会長の評言を正しいと認めざるを得なかった。そして着目されたのは……十数年前に「偉大なブレイクスルー」と讃えられながら、国連人権委員会から研究制限をかけられた論文とプログラム『人工世界の中の人工知能』だった。人権委は、「新たに隷属を宿命づけられた人格が生み出される事態を懸念する」という理由から、この技術の凍結を各国に働きかけた。無論、核兵器のように実体のある危険技術とはいえないもので、国連にできるのは要請までだったが、当時世間一般に広まっていた「AIはどこまで進化するのか?」という漠然とした不安感も相まって、AI研究には一定の歯止めがかけられる事になった。それから数年後に「完全に人間と同一になりかねないAI研究はしてはならない」という国際条約(通称『人工人格禁止条約』)が結ばれ、現在に至る。


 ともあれ……ウォン会長はかつての「ビッグファイブ」を探し求め、R国某研究所に在籍していたエドワード・レノックスとアーシャ・レノックス夫妻をスカウトすることに成功した。……思えばこれも運命のいたずらで、スカウトされる順番が違っていたら、その後に起こった物語はまったく違う展開になっていたかもしれない。

 ノブヤ・カトーは、当時在籍していた研究所での仕事を仕上げることを建前にスカウトを断った。当時の給料を遙かに超える条件を蹴られたので、交渉代理人は「信じられない」を連発しながらパンフィリア社に報告したものだ。

 ダニエル・ノートンは、ビッグファイブと持ち上げられた頃にマスコミに手づるを作り、今では科学解説番組の司会者として多数の番組をもつ売れっ子の科学タレントとなっていた。パンフィリアからのスカウトに、もう現役研究者とはいえないからという理由をあげて辞退した。

 そして……ハンナ・レノックス。ビッグファイブ中のNo.1と目される天才で、ステファナ大学では学部を越えた伝説と化している。しかし彼女は当時実家と断絶関係に陥り、母方のキャンベル姓を名のりながら隠遁に近い生活を送っていた。スカウトに対しても頑ななほどの態度を示し、代理人の訪問さえ許さないと拒絶した。


 十数年前に、ビッグファイブと呼ばれた青年たちの間に何が起こったのか。〝名家〟レノックス家とそれに連なる人脈により、さまざまな隠蔽やもみ消しが行われたのだが、当事者たちに会って調べればいくらでも調べられたろう。しかしパンフィリア社は、あまりに即物的に「今、働いてくれるかどうか」しか関心を持たず、記録データ以上の掘り下げをしなかった。


 ともあれ、レノックス夫妻は着任し、FSOの開発に携わった。必ずしも人当たりがいいとは言えないエドワードと職員の衝突もあったが、アーシャが両者を取りもち細かく調整することで、開発は軌道に乗りはじめた。そして一年ほどが経ち、ゲームメディアに「かつてない世界規模!」「全ての感覚を再現したもう一つの現実!」「ビッグファイブ・メンバーによる革新的レベルのNPCたち!」そんな煽り文句が踊るようになった。

 そして関係者全てにとって意外な事が起こった。ハンナ・キャンベル博士が拒絶の態度をひるがえし、パンフィリア社に自らを売り込む形でFSOの開発に参加したのだった。

 デービス・ウォンを始め、FSO開発推進派の役員は狂喜した。十数年前の事件を知る研究者やステファナ大関係者は困惑・懸念を持たざるを得ず、ノブヤ・カトーも当然、後者だった……


 ハンナの勤務形態は風変わりなものだった。厳重な警備がほどこされたタワー・マンションに住まい、そこを仕事場として、開発チームとはデータ送信とメールだけでやりとりをしていた。それはFSO開発に参加するにあたって、彼女の側から絶対の条件として提示されたものだったという。まるで、いや疑う余地もなく、彼女はレノックス夫妻と接触することを拒んでいた。

 対して……エドワードは、ハンナに対して好意を持っていた。いや、崇拝に近い感情と言っていいだろう。ハンナが送ってきたデータを確認しては「さすがはハンナ!」「こんな美しいコードは見たことがない!」そんなセリフを口走るのだった。……同業の他者、例えばアイラ・パルミラが見ても、それは客観的な評価と呼べないことはないが、それにしても他人が見ている前で吐くべき言葉でもないだろうに。彼のギリシャ彫像的な美貌に憧れを持つ女性職員も、そんなふるまいを目にするに従って評価を真逆に反転させるのが常だった。

 開発現場は奇妙な緊張感に満ちた……危ういバランスの上に成り立っていると多くの職員が感じていたが、進行度は大きく加速した。ハンナの天才は噂どおりかそれ以上のもので、後から加入したというのにレノックス夫妻に匹敵する仕事量を稼ぎ出すに至っていた。当時開発室で言われたダジャレが「FSOは二つのコードをより合わせたロープだ。一つはレノックス・コード、もう一つはキャンベル・コード」というものだったが、当たっているかもしれない。


 そして、彼らのFSO開発は異様な形で終わった。

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